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30代 友人と過ごす時間の変化

お昼に仕事を抜けて、別の職場の友人とランチに出かけた。店内は、女性客が大半で、ほとんどの席が埋まっていた。BGMは異国の曲が流れていて、お茶の入ったアルミコップはよく冷えている。仕事モードを引きずったままの頭と心がゆっくりと緩んでいく。
友人はエビ炒飯のセットを、私はパッタイのセットを注文した。
本当にタイに行けたらいいけれど、こんな風に日常の中でサクッと他国の文化に触れるのも、これはこれでいい。

料理が運ばれるのも待たずに、早速お喋りが始まって、来月、他の友人も交えて行く京都旅行の話になった。初日のランチのお店と、二日目の観光先がまだ決まっていない。
ここもいいし、ここもいいよね。
うんうん。
あっ、そういえばさ・・・。
決まらないまま、限られた時間に急かされて次の話題に移る。
仕事の話、随分会えていないあの子の話、最近の美容情報。時間のない今しなくてもいいような話題ばかりが回るけど、こういう話の方が面白かったりする。
ランチの時間だけでは足りない。

手を振り背を向ければ、仕事の頭に切り替わる。
でも、リフレッシュした分だけ、心と足取りは軽やかになる。


友人って、ありがたい存在だと思う瞬間が年々増えた。
悩んだとき、自信がないとき、友人の存在が背中を押してくれることがある。悩みを悩みとして、不安や心配をそのままに、相談することがある。
たとえ相談しなかったとしても、みんなそれぞれ頑張っている姿を想像するだけで、自分も踏ん張らないとって思えたりする。

一緒にほろ酔いになって、美味しいご飯を食べながら、雑談して笑う瞬間も好きだ。くだらない話も、深い話もごちゃ混ぜになって、思いつくままにどんどん話題が移り変わって。

支えられてるなぁ。早くまた会いたいなぁ。
年々そう思う。


でも、昔はそうじゃなかった。

学生時代、友人とどれだけ学校で楽しく過ごしても、放課後や休日に誘われるのは好きじゃなかった。ノルマのように感じてしまうのだ。
学校では時間割が決められて自由にできない分、休日は何の縛りもなく自由に過ごしたかった。
家族で遠出したり買い物に行くのも好きだった。どれだけ仲良くても友人には気を遣う一方、家族には遣わなくて済むから楽だった。
放課後や休日にまで友人と遊ぶのは、楽しい以上に疲れが勝るものだったのだと思う。
学校で、朝から夕方まで一緒に学んで、遊んで、休憩時間には大笑いする。それで十分だったし、それ以上は逆に嫌だった。

だから、放課後や休日の誘いは、遊んでいる時間=拘束で、一旦行ってしまえば楽しかったと思う時もあるけど、疲れもした。休日が一日になってしまったような気持ちになった。大好きで一緒にいて楽しい友だとしても。


卒業後に、定期的に集まるのも好きではなかった。
共通の話題がなくなって、近況について話そうにもどこから話せばいいのか迷うし、毎日顔を合わせなくなった分、久しぶりに会うと緊張もした。
だからと言って、一緒に過ごした時のことを、何年経ってもずっとその話題ばかり繰り返すのも、前進しないようで苦手で。
定期的に皆で集ることがノルマに思えてしまい、断り続けてフェードアウト。そんな集まりがいくつかあった。

自分のそんなところは、自分らしさでもあり、せっかく誘ってもらったのにこのままでいいの? という気持ちもあった。


今の私はというと、友人に誘われればなるべく行くようにしていて、自分から誘うこともある。
一度はフェードアウトしたはずの学生時代の集まりにも、結婚式で久しぶりに会ったのをきっかけにまた参加するようになった。

何がきっかけだったのかわからないけれど、気付いたら、友人と過ごす時間が娯楽になる瞬間が増えた。20代後半からだったと思う。
「せっかく誘ってくれたのだから」と行ってみたら、楽しかった、疲れることもなかった、と実感したのかもしれない。資格試験の勉強中に、友人と切磋琢磨した日々の中で、友人の存在のありがたさを深く実感した経験を経たからかもしれない。はっきり覚えてないけれど、そんなところかなと思う。


今では誘われたらなるべく行くようにしているし、昔に比べて人と仕事後や休日に過ごすことが娯楽になりつつあるとはいえ、「誘われたら絶対に誘いに乗らなければいけない」ものではないとも思う。
その時に自分が置かれている状況によって、自然に距離が近づく人、疎遠になる人など様々なのは当然で、一緒に過ごせる時間の制約の中では、なるべく共通項の多い人と会いたい。
少し話せばすっと理解してくれて、共感してくれて、同じ話題で盛り上がれる人と、会いたくなるものだと思う。

だから、今、プライベートで交流のある友人だとしても、もし共通項が一切なくなったとしたら、きっと少しずつ疎遠になる。
たとえば仕事を辞めたとしたら、同業で仲のよかった友人と会う頻度は減る。実際に、仕事を辞めて出産育児をしていた数年間、同業だった人と会う頻度はガクンと減った。
むこうも仕事の話をするのは気を遣うだろうし、私も、子育ての話なんてきっと面白くないだろうと思って自分からはできない。「子育てはどう?」なんて、みんな話を振ってくれるけど、それも気を遣わせちゃってるかなぁと思ってしまって。
そんな風に、お互いに話題に気を遣うようになったら、自然と会う頻度は減るのかもしれない。

でもそれってきっと自然なことで、無理して同じ頻度を保とうとしなくていいはずで。今は違うと離れても、それは関係が悪くなったとかじゃなくて、今はそういう時期なだけ、ってこと。

一度疎遠になっていた同業の友人たちとは、仕事に復帰後、頻繁に会うようになった。一度会えば、会わなかった時間や距離なんてあっという間に縮む。
復帰してから、久しぶりに会う友人が何名かいて、どの人に対してもそう思うから、どれだけ会わない時間があったとしても、会うべき時期が来て会えた友人ならば、一瞬で打ち解けられるものなんだと思う。

だから、疎遠になることって、必ずしも悪いことじゃない。
みんな忙しいし、歳を重ねれば疲れやすくもなってくるし(今はもうオールなんてとてもできない・・・!)、無理してまで会う体力も、気力も、時間もないから。
誰かとではなくひとりで過ごしたい日には、お気に入りのカフェで読書してみてもいい。
そんな風に、どう時を過ごすか、気持ちに委ねて選んでいけばいいのだと思う。


来月みんなで行く京都旅行は、春の温泉旅行ぶり。
30代になってから、友人と旅行する機会が増えた。
土日が潰れてしまうし、旅行中一人になる時間はないけれど、「疲れが残るかも・・・」なんて心配はしていない自分がいる。それは学生時代の自分からしたら信じられないし、自分自身、「友達と旅行だなんて!」と驚いてもいる。
性格が変わったのか、成長したのか、それとも単に、今は外に外に世界や心が開いている時期なのか、わからないけれど、とにかくすごく楽しみだ。














最後まで読んでいただき、ありがとうございます。