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今日の2000字小説(コント)「紅茶が苦手」

 通されたのはこぢんまりとした事務所だった。雑然としたデスクの奥にちょこんと応接セットが置かれていた。

「あら、お茶をお出ししなくちゃね。何かリクエストはあります?」

「あ、お構いなく」

「じゃあ、お紅茶でよろしいかしら?」

 女性社長はそう言って返事も待たずに給湯室へと消えていった。

「あ、い、いただきます」

 このお客様に営業に来るのは初めてだ。アポイントはすんなり取れたが、こちらのことはほとんど知らないようだった。今日は覚えてもらうだけでいい。できるだけいい印象で帰れるようにしよう。

 待っていると紅茶の香りが漂ってくる。

 …。オレ、紅茶 苦手なんだよな。いきなり「紅茶はちょっと」とか言っちゃったら角が立つかなぁとか思って「いただきます」なんて言っちゃったけど、どうしようかなぁ。商談だし、ひと口だけいただいて、そのままにしてても不自然じゃないよな。

「お待たせ。いま入れるわね」

 社長は空のカップと中身が見える透明なティーポットをお盆に乗せてやってきた。中には茶色…いや紅茶色の液体が波打っている。

「あ、そんなわざわざ、ありがとうございます」

 社長は片手でカップを持ち、もう一方の手でティーポットを持ったかと思うと、ティーポットを大上段に構えて傾けた。紅茶色の紅茶は滝のように落ちてきてカップの中に激しい音とともに吸い込まれていく。

 あ、ああ、あああ、杉下右京のやつだぁー!!

 え、これ普通なの?紅茶飲む人って毎回これやってるの?それともデモンストレーションみたいに来客が来たらやってくれる人なのかな。これリアクションどう取ればいいの?

「どうぞ、召し上がれ」

「あ、どうも。その、本格的なんですね」

「あらやだ。ちょっと張り切っちゃったわ」

 セーフか?これで合ってるか?とりあえず機嫌は損ねてないよな。

「温かいうちにどうぞ」

 やば、催促された。さすがに飲まなきゃだよな。よし。

 紅茶の香りが部屋中に充満している。私は堪能しているように見えるようにゆっくりとひと口いただいた。

 うん。好きな人が飲んだら美味しいんだろう。香り高くしっかりと味がする。だがそれが口に合わない。

「あ、たいへん香りの良いお味ですね、さっそくですが弊社のサービスについてお話を…」

 顔に出てないかな。大丈夫かな。ボロが出る前に商談を進めないと。

「あらいけない。砂糖やミルクはいります?私がいつもストレートだから忘れてたわ」

 何も入れないのをストレートって言うのか。ブラックって言いそうになった。

「あ、や、ストレートで」

「そう。じゃあ、説明していただこうかしら」

 この人、紅茶飲ませたいだけなのかな。

「それではサービスの説明をさせていただきます…」

 私は自社製品とサポート体制についてひと通り説明をした。

「ひとつ、よろしいかしら?」

 質問。てことはウチのサービスに興味を持っていただけたのか?

「あなた、お紅茶にひと口しか手をつけてないわね」

 やっぱりバレてた?いやでも紅茶のことそんなに気になる?

「あ、説明に夢中になってしまって、すみません」

「あなたもしかして、お紅茶はお嫌いですか?」

 いきなり図星を突かれてハッとなる。

「いえ、そんなことは…」

「だってそうじゃありませんか。私がお紅茶を持って現れたとき、あなたは銘柄すら聞かなかった。そしてティーポットから紅茶を注ぐ時も…。あんな注ぎ方をしたら、普通はもっと引きます」

 引いて良かったんかい!いやそれより、オレが紅茶嫌いだったとて、何なんだよ。別にいいじゃん。

「その時に私、気づいたんです。この人は紅茶が嫌いだ、と。そう考えるとすべての辻褄が合うんです。私はわざとミルクも砂糖も用意しないでお紅茶のみをお出ししたのに、あなたは何も不思議がることなく口を付けた。もしあなたが紅茶好きなら、こんなにもお紅茶を愛している私が何も用意していないはずがないと、不審がるはずです。ええ、まさに今のあなたのように」

 え?オレ?

「あなたはいま、私に対してこう思っているはずです。あなたの会社のサービスについて、散々説明したのに、この人は、自分が触れていない重大なことに対して、何故質問して来ないのか。その出方によっては、これ以降の営業の仕方も考えなければならない、と」

「そ、そんなことは…」

「もうお分かりですね?あなたのサービスに興味を持っていればすぐにでも私が質問しなければならないこと、それは、そのサービスの値段です」

 その通りだった。私は商談の間、一度もこのサービスの価格を口にしていない。まさに社長の言う通り、価格に関する質問がなければ興味を持っていないと判断し、営業を中止するか、より強く営業をかけるかを考え直さなければならない。

 ただ、いまオレが考えているのはそんなことではなかった。なんならもう二度とこの会社に来ることはないだろうぐらいに思っていた。それよりも私の頭を支配しているのは…

 この人、この人…


 この人、杉下右京みたいな人だぁ〜!!

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