出発に関する覚書
今朝のそよ風の中にあった出発
今宵の星の光の中にある出発
鏡の中の顔を たんびに濡れたタオルで叩きつけながら
叩きつけながら足踏みする その
焦燥の中にある個々の出発
また 葦原の中 風のなか
化け物めいた煙突と鉄骨の影のゆれる中
遠くから打ち振られる青い旗に やおら身をもたげるマルスの
その軍神の奴僕のためへの出発
あるいは 向こうの街の
もっとも傾いた最も削られた造花ばかりの谷あいから
打ち上げられる昼の花火に
祝杯をあげる赤ら顔の
酔眼の中にあるへらへらとした終点への出発
出発もそこでは刹那の決意
しばらくを口に香っては吐き捨てられる五円のガム
あるいは夜の海にむかって投げられるつぶてのいのち
恋も 実るかたわら朽ち
夢も 焚く間に冷えてゆく
砂の砦 ────
ああ これら茶番めいた吊り天井の下での
出発は 何?
出発は何処へ?
強いられた仮面の群れよ!
屠所へ急ぐ羊の群れよ!
詩誌『駱駝』26号(1953年5月)
戦後詩人全集Ⅳ(1954年*書肆ユリイカ)
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『戦後詩人全集』掲載にあたって、若干の改訂がなされています。上記は『戦後詩人全集』によります。