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11/30【A】朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりの道はめっちゃ細くてもいいだろうか? - 1日目

文章を書く習慣を取り戻したくて、今日からABCを頭文字にしたエッセイを毎日書いていこうと思います。(予約投稿の場合もあり)

#26文字のアドベントカレンダー

おそらく思春期の頃なのでもう30年は前だと思うけれど、座右の銘として「朝に道を聞かば夕べに死すとも可也」を掲げていた時期があった。朝と書いて「あした」と読む。論語の中の一説だ。

小3か小4の頃、当時よく図書館に通っていて、子ども向けの探偵小説が好きだった。
夢水清志郎シリーズとかもよく読んでいたんだけど、そのうちやっぱり探偵小説といえばシャーロックホームズよねと、読み始めた。シャーロックホームズはまだ理解ができた。そうしたら次はアガサクリスティも読まなきゃいけない気持ちになり、子ども向けに翻訳されたアガサクリスティのオリエント急行殺人事件を読んだんだけど…全く理解ができず、おそらく人生で初めて「物語がわからなかった…」という経験をした。
登場人物の名前、シーンごとに起きていることはかろうじてわかるが、それがなぜ次のシーンにつながるのか、そうこうしてる間に新たに出てきた人物とこれまでの人物との繋がりはなんなのか。なぜかさっぱり頭に入ってこなかったのだ。

今になって考えてみると、日英の文化の違いについての知識がなかったので、文化的背景から端折られた部分が分からなかったのだと思う。

そういえば、なんだったか忘れたけれど別の小説では2人の子どもが悪者に追われてクローゼットに隠れるという描写があった。
息を殺して悪者が去るのを待つが、運悪く悪者はクローゼットの扉に目を止める。ひたひたと近づいてくる足音。ガチャリと開く扉。しかし薄暗いクローゼットの中、猫が飛び出し、悪者は「なんだ、猫か」と去っていく。

当時の自分の家…つまり30年前の日本のマンションにおける「一般的なクローゼット」は「押入れよりも小さな収納」でしかなく、子ども1人であっても隠れるのは不可能だった。
それが、子ども2人に猫までいるってどういうこと!?と、疑問で頭がいっぱいになってしまったのだった。

今となってみれば、日本式の小さな収納クローゼットではなく、広いウォークインクローゼットだったのだろうとわかる。
しかし異国文化の知識がほぼなく、世界が自分の周りだけで構成されていた当時の自分には想像ができない「わからないもの」だった。そんなこともあって、外国の小説を読むのは苦手意識を持っていた。

そういえば、中学受験系YouTuberが「ハリーポッターを全巻読んでいる子はべらぼうに国語が強い」と言っているらしい。
単純に巻数が多いので語彙量が増えるというだけでなく、性格のはっきりした登場人物の人間模様で心の機微を理解することができ、さらには英国の文化的差異にも触れられるということらしい。実際に読んでみたが、たしかにアガサクリスティに比べると格段に英国文化が説明されていた。

これはおそらく、魔法の国と人間の国の文化的才能説明が多分に入っているからで、その説明の際にそもそもの英国の文化にも触れてくれているからだと思った。

知らない世界を知る入り口は、できるだけわかりやすいほうが飲み込みやすいだろう。

かなり話が逸れてしまったが、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可也」という言葉。

「朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない。」出典

という意味とされているが、解釈には諸説あるという。「真理を知らないまま漫然と生きるよりは、すぐ死ぬとしても真理を聞きたい」とか「真理を聞いてさえいれば、死ぬことに悔いはない(死に瀕して、死ぬことに後悔はないことを弟子に説いた)」とか。

中高生の頃の自分は、「この世の全てを知り尽くしたあとならいつ死んでも構わない」と解釈していて「めっちゃかっこいいな!」と思っていて「座右の銘」だなんて言っていた。

「座右の銘」の意味を紐解けば「自分を励ましたり鼓舞したり戒めるため、日ごろから心に留めている言葉」であるという。

海外小説のちょっとした文化の違いですら理解できないと諦めておいて、なにが「道を聞かば」なのか!といまでは笑ってしまいたくなる。

とはいえ、当時に比べると少しだけ道も聞こえてきて、海外小説や映画の文化的差異も楽しめるようになってきた。少しは「道を聞く」とはどういうことか見えてきたといったところだろうか。
見えてきた分、「道を聞く」ことの道のりの遠さもわかってきて、おそらく全ての道を聞く…全知全能となることは自分にはできないともわかった。

それでもたとえば何かしら、どこかの細い道でも聞こえてこないものだろうかと、もう40歳にもなって思っている。

もう20年近く同じ業界で働いているのでその分野とか、それとも趣味の分野とか、何かしら道を聞いたと言えるものはないだろうか?
人に胸を張って教えられるような、自分の中で確立した何かを持ちうるものはないだろうか?

そんなわけで、このタイトルである。孔子に聞いたら顔を真っ赤にして怒られるかもしれないが、「朝に道を聞かばの道って細くても良いですか?」

まあ、子どもも3人もいるので、まだまだ道は聞こえなくても大丈夫。のんびりやっていこう。

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