自分とは何か ⅹ
念願叶った後夜祭ステージから丁度3年の日。幸運が重なり、プロのサポートを受けられる立場にあった僕らは、知名度に見合わないクオリティのEPを発表することができた。タイトルは、“Only To Wave”。僕らの存在を誰かに知って貰う為の6曲。思い出の曲たちはそれとして保存し、バンド名も一新した。自らの非力さを痛感し、それまで表立った活動をしなかった僕らが、誰かに“手を振るだけ”の為に、堕落した生活の中で漸く形にした作品だった。
僕らは、作る曲が“良い”ということに細心の注意を払っていた。客観的な高評価が下せるような、普遍を求めた。いつまでもグズグズしているわけにいかなかったから、兎に角、何処に出しても恥ずかしくないものをさっさとリリースしなければならない、という思いだった。
無数の楽曲をリスニングする毎日で、The 1975以外にも崇拝の対象となるアーティストは沢山いた。しゃぶり尽くした彼らの作品からは自ずと興味が離れ、視野が広がった。作り手の在り方は多様で、それが作家性だ。彼らには彼らにしかない良さがあり、だから偏愛していた。他のアーティストも同様だ。
漸くライブに出られる状況になったが、その度に言葉にできない違和感に駆られていた。僕はこれらを作った張本人だ、ということでいざ人前に出ると、何処か後ろめたかった。これが君で、君にしかない良さに溢れた曲たちなのか、と問いかけると、口篭る僕がいた。横浜で生きてきた21歳が、マンチェスターで生きてきた33歳であるわけがない。僕は他の誰かではない。
この気付きを与えてくれたのは、yeuleというシンガーソングライターだった。僕らのEPが出る5日前に、彼女は“softscars”というアルバムをリリースした。それまで幽玄的なアンビエント・エレクトロを中心に作っていた彼女が、あろう事かギターを手に取った1枚だ。彼女が子供の頃から慣れ親しんできたのは、My Bloody Valentine、Smashing Pumpkinsといった90年代のオルタナティブロックや、My Chemical Romance、sum41などの00年代ポップパンクだった。その影響が確かに感じられるノスタルジックなギターサウンドと、従来のエレクトロ感が不思議なバランスで同居する。また、誰かが“Dirty Hitと100% Electronicaの中間”と書いていたが、彼女史上最もポップな版だ。それでいて変わらないエモーショナルな表現に、僕は先行シングルから衝撃を受けていた。
どういう人間なんだろう。ネットを掻き回し、インタビューや評論を読み漁った。東南アジアの国際都市、シンガポールにルーツを持ち、日本のサブカルチャーから大きな影響を受けているようだった。yeuleという名前は、愛してやまないファイナルファンタジーのキャラクターから拝借したもので、彼女の最大の特徴とも言えるヘアメイク、ファッションによるビジュアル表現も、ゲームや漫画のキャラクター、V系アーティスト、能面などにインスパイアされていた。彼女は、自分が何を愛しているか知っていた。
ひたすらサイバーで非現実的だった前作に比べ、今作はより肉体的で、パワフルな生命力に満ちている。それは生音を用いる上で自然なことかもしれない。ノンバイナリーである彼女の葛藤は、爽やかで何処か怪しげなメロディに乗り、彼女の口から発せられる。自分自身に忠実に生き、素直さで世界と戦う、そんな美しさに溢れた作品に、僕の魂は震えた。それまで経験したことのない類の熱を帯びた感情だった。
さて、どんな曲が作りたいのか、どんな曲を作るべきなのか。1曲目を作るにあたって浮かんだ問が、4年の月日を経て、再び投げかけられる。yeuleと同じくノンバイナリーである僕は、そんな個人的な苦悩を歌ったことがあっただろうか。ましてや、親友や家族にすら口にしたことがあっただろうか。肉体を扱うことに責任が生じる“バンド”という形態でボーカリストを担当し、作詞作曲を務める者として、僕が次に突き詰めるべきは“どうすれば良い曲が作れるか”ではなく、“何をどう表現したいのか”、すなわち“自分とは何か”ということ。
10章に及んだ長たらしい自己啓発は、その問に答えようとする道のりで掴んだ、幾つかの糸口に過ぎない。数年後の自分が読み返したら、短絡的で不明瞭に思えるかもしれない。また新しい価値観を見出し、この過去を否定してしまう日が来るのかもしれない。そうしていつか、腑に落ちる答えを知り、自我から解放される瞬間が訪れるのかもしれない。少なくともそれまでは、退屈な大人になった自分が顔を歪ませてしまうような、痛々しい青春を送ってやろうと思う。
Vivi, on my chain
ー “xwx” by yeule, “softscars”