これからの教育に携わる教師として

教育のプロとしての教師、学びのプロとしての教師。この二つの視点を最近よく考えています。「これからの時代の教育とは何か?」という問いが頭をよぎるたびに、どうしても新しいことをやらなければならない、あるいは過去を否定しなければならないというプレッシャーを感じることがあります。でも、それが本当に正しい方向なのでしょうか?

時代は確かに進化し、新しい価値観や技術が次々と生まれています。それに教育が応えていく必要があるのは間違いありません。ただ、ここ30年で私たちが見失ってきたものも多いのではないでしょうか。50年以上前から日本の教育で大切にされてきた価値観や考え方。そうしたものにも、改めて目を向けたい気持ちがあります。

その一つとして、「自由に生きる力の育成」が頭に浮かびます。教育は、単に知識を伝えるだけのものではなく、生徒が自分の人生を切り開く力を身につける場であるべきだと思っています。情報過多で不確実性が高まる現代において、なおさらその重要性を感じます。

生徒が自由に生きる力を育むためには、主体的に学び、自己を表現できる環境が必要です。最近、自分自身に問いかけることが多いのは、「生徒たちは自分の言葉で自分を語れているのだろうか?」ということです。自分の言葉で語る力。それは単なるコミュニケーション能力を超え、自分自身と向き合い、社会の中で自分の位置を見出す力でもあります。

また、現代の教育を見ていて感じるのは、生徒たちが「与えられた知識」や「正解」に依存しがちであること。もちろん、基礎的な知識は重要です。ただ、その先にある「1を聞いて10を知りたい」と思わせる授業の在り方を、もっと追求すべきだと感じています。知識を与えるだけではなく、学び方を教え、「単元」の本質を伝えられれば、それで十分ではないでしょうか。

こうした考えを持つ一方で、教師自身が「身につけさせないといけないことが多い」という幻想に縛られているように見えることがあります。けれど、網羅的に教えることが教育の目的ではないはずです。むしろ、生徒が主体的に探求し、学びたい意欲を持つことができるようにすることこそが重要だと、日々思い直しています。

一つは、自らが「学びのプロ」であり続けること。生徒に知識を教えるだけでなく、自らも常に学び続け、時代の変化に対応していく。その姿勢を見せることが、生徒たちにとって学びの原動力になると信じています。

もう一つは、過去の教育の良い部分を見直し、それを現代の教育にどう活かすかを考えること。共同体の中で学び合うことや、自然との関わりを通じて生きる力を育むといった伝統的な要素には、今でも意味があると感じます。

教育は進学のためだけのものではありません。生徒が社会で主体的に生きていく力を身につける場です。教師と生徒が共に学び合い、互いに成長していける環境をどう作れるか。その問いを大切に、これからも考え続けていきたいと思っています。

こうした考えに共感してくださる方がいれば、一緒に模索していければ嬉しいです。

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