伊勢物語 『東下り』と『芥川』の時系列はどちらが先か?〜授業準備記録〜
はじめに
今年、私は初めて高校で古典を教えることになった。古典初心者として、教材研究を重ねる中で、『伊勢物語』の「東下り」と「芥川」の時系列について疑問を持った。「東下り」が先なのか、それとも「芥川」が先なのか。この問いは単なる物語の順番を確認するものではなく、生徒の探究心を深める発問の仕方を考える上で非常に重要な要素となる。
今回の記事では、「東下り」と「芥川」の時系列についての考察を踏まえ、どちらを先に読ませることで生徒の探究心が深まるのかを検討してみたい。もっとも、時系列を考えさせること自体が目的ではなく、各章段の詳細な読みを促し、物語の本質に迫るきっかけとなることを意図している。その点については、批判を甘んじて受けるが、それ以上に作品の深掘りに寄与する記事となるよう、考察を重ねていく。
『芥川』とは?
『伊勢物語』の第六段「芥川」は、主人公が恋人を連れ去り、ある夜、雷雨の中で女を奪われてしまう物語である。この話は、物語の不条理性や恋愛の宿命を象徴するような展開となっており、読者に強い印象を与える。
物語の最後に詠まれる和歌「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」は、主人公の悲しみや喪失感を表しており、和歌の余韻が物語の悲劇性を際立たせている。これは単に「叶わぬ恋」の話ではなく、「決断の重要性」を説く話とも取れる。我々が人生の選択を迫られたとき、曖昧な態度を取れば、結果として何も得られず、後悔だけが残る。「かれは何ぞ」と問われたときにどう答えるかが、人生の分かれ道なのかもしれない。
また、物語の終盤で登場する「雷」や「鬼」は単なる恐怖の対象ではなく、恋愛が人間の思惑を超えた運命の力に支配されていることを象徴している可能性がある。平安時代の人々が「雷」や「鬼」をどのように捉えていたか、当時の文化的背景を踏まえて考察すると、物語の解釈がさらに深まる。
『東下り』とは?
『伊勢物語』の第九段「東下り」は、主人公(在原業平とされる)が京を離れ、東国へ旅する話である。旅の途中、主人公は各地で風景を詠み、文化の違いを感じながら進んでいく。そして、かつての恋人と別れた悲しみを和歌に込める。
特に有名な「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」という和歌は、馴染み深いものを離れることへの喪失感を詠んでおり、平安時代の貴族が旅に抱いた心情がよく表れている。この和歌は単なる「別れの嘆き」に留まらず、主人公が「旅に出ることで失われるもの」と「新たに得るもの」との間で揺れ動く心情を象徴する。
東国への旅が、貴族社会に生きる者にとってどのような意味を持っていたのかも考慮する必要がある。平安貴族にとって、京こそが文化の中心であり、東国は未開の地として認識されていた。主人公が「はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」と詠むのは、単に恋人との別れだけでなく、自らがそれまで生きてきた世界から切り離されることへの不安をも表現しているといえる。
時系列としてどちらが先か?
学術的には、『伊勢物語』が必ずしも時系列に沿って構成されているわけではなく、各段が独立した短編のような性格を持つため、どちらが先かを決定する明確な根拠はない。しかし、以下の観点から「芥川」の方が「東下り」の前に位置する可能性があると考えられる。
主人公の行動の変化
「芥川」では、主人公は恋愛に対して執着し、女性を奪い取る大胆な行動を見せる。
「東下り」では、主人公は京を離れざるを得ない状況にあり、ある種の逃避や放浪の側面がある。
もし「東下り」が「芥川」の前ならば、旅の途中で過去の恋愛を振り返りながら、再び恋愛に対して衝動的な行動を取るのは不自然に見える。
恋愛観の変化
「芥川」では、恋愛に対する執着心や行動力が強調される。
「東下り」では、過去を振り返りつつ、恋愛を回想する視点が描かれる。
そのため、「芥川」の後に「東下り」を読むことで、主人公が恋愛の挫折を経験し、旅を通じて過去の自分を見つめ直す流れが自然である。
まとめと授業実践
実際の授業では、「東下り」と「芥川」を同時に扱い、生徒にどちらが先かを選ばせた。それぞれのグループで内容を発表し、異なる視点を共有することで、物語の解釈を深めた。その上で、生徒自身がどちらの順序がより物語の探究に適しているかを考えるきっかけとした。
また、和歌を深く読み解くことを中心に据え、それぞれの和歌が作品全体の主題とどのように結びついているかを考察した。現代の恋愛観と比較することで、平安時代の恋愛が「宿命的なもの」として描かれるのに対し、現代では個人の選択が尊重される点など、新たな気づきを得ることができた。
古典初心者の私自身がこの問いに向き合うことで、単なる「作品の読解」ではなく、「物語の構造を考える楽しさ」に気づくことができた。今後もこうした探究を続け、より魅力的な古典の授業を目指していきたい。まとめ
『伊勢物語』は歌物語であり、和歌の読み取りが重要な要素となる。特に、「東下り」では「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の和歌、「芥川」では「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」の和歌に注目し、それぞれの物語の中心となる心情を読み取ることが大切である。この視点を大事にすることで、物語の主題をより深く考えることができ、現代の恋愛観との比較にもつなげることができる。
古典初心者の私自身がこの問いに向き合うことで、単なる「作品の読解」ではなく、「物語の構造を考える楽しさ」に気づくことができた。今後もこうした探究を続け、より魅力的な古典の授業を目指していきたい。
『伊勢物語』の「東下り」と「芥川」の時系列に関する考察は、いくつかの論文や研究で取り上げられています。以下に関連する資料を紹介します。
「伊勢物語の基底 - 東下りと筒井筒」
概要: この論文では、『伊勢物語』第6段「芥川」と『冷泉家流伊勢物語抄』を対比し、物語の構造や順序について分析しています。特に「芥川」と「東下り」の関係性や順序に関する考察が含まれています。
「教材として『伊勢物語』を読む:『芥川』(第6段)の表現分析」
概要: この研究では、『伊勢物語』第6段「芥川」の表現技法や物語構造を詳細に分析しています。「芥川」と「東下り」の順序や時系列に関する議論も含まれています。
「場面を想像する古文の読解―『伊勢物語』「東下り」―」
概要: この論文は、『伊勢物語』第9段「東下り」を精読し、場面の想像を通じて物語の理解を深める授業実践を紹介しています。「東下り」と他の段との関係性や順序についての考察も含まれています。
これらの資料を参照することで、「東下り」と「芥川」の時系列や物語構造に関する学術的な議論を深く理解することができます。