見出し画像

子供の笑顔は希望の証(4)

(前回の続きです)
被災支援ボランティア活動に勤しんでいた彼女(年長さん)。ずっとにこにこ、よく遊んで手がかからず愛嬌があり、まったく困らないかわいい女の子だったのですが、共同作業というものは一体感や信頼感を生み出してくれるようで、ずっとにこにこと楽しそうにしていたのに、突然
 
「あんな…わたしのほいくえんなぁ…かわのみずがなぁ…いっぱいきて、まだずっとどろだらけで、はいれんのんよ…だから、ほいくえん、いけれんのんよぉ…だからなぁ、そつぎょうできんのんよぉ…だからなぁ、わたし、しょうがっこうににゅうがくできんのんよぉ……。」とつぶやきました。
 
幼気(いたいけ)な子どもがこんなに思い込んでいたなんて…不意打ちに遭った衝撃を感じつつも「こんなに立派にお手伝いができる子は、立派な小学生になれるよ」としか言えませんでした(保育園がいつ再開されるかまったく見通しが立っていなかったのです)。
 
スクールカウンセラーからよく伺っていたのが、「心身の不調を訴えて保健室を訪れる子は支援できる。本当に心配なのは周りに気付かれないように気丈に振る舞う子」。気配りができる子ほど、周りが大変そうだったら何も言えなくなるのでしょう。大変なときにこそ、何も役に立てない(と自分が思い込んでいる)ような「大変そうじゃない人」の存在って必要だなって改めて思った次第です。
 
ちなみに、次女のこの日「子守隊長」の任務を立派に果たしてくれ(ただ一緒に遊んでいるだけですが)、本当に助かりました。本人も楽しんで、帰り際名残惜しげに「また明日な!」って言っていました。
 
この地区は、子どもの力が違うカタチでも発揮された出来事がありました。各家庭から出された水に浸かって使えなくなってしまった家財道具が、いたるところに山積みにされていた時期。ある臨時集積所の片隅にお地蔵さんがいるのをボランティアに同行していた子どもたちが見つけました。これをなんとかしたいと強く思ったそうで、みんなで知恵を出し合って、倉庫と倉庫の間の子どもくらいしか通れない細い道から掃除道具を運び込み、きれいにお掃除してくれました。


それでも荷物はどんどん運び込まれていく。その地蔵堂まで、あと30㎝!というところで、地域のおじいちゃんに「お地蔵さんが見えるように、この前片付けたいんよ。やってもいいかな?」と相談。「すげえ量でぇ?ホンマにええんか?ワシらはやってくれたら嬉しいんじゃけど…」ということで「子どもたちがきれいにしてくれたお地蔵さんをまた見えるようにしようプロジェクト」が発足。
 
たくさんの人が力を合わせて、とにかく運ぶ、運ぶ、運ぶ……とにかく!運びまくりました。夕方、この地区のお年寄りたちがたくさん集まって「あんたら!ホンマにありがとう!地蔵さんが見えるようになっとるが!」「ここらの住民以外は誰も見てないかもしれんけど、あんたらがホンマにようやってくれて嬉しい!」などなど、顔をくちゃくちゃにしながら喜ばれたそうです(NGOチームはるはるメンバーからの報告より)。


 
この時長男も一緒に作業をしていたのですが、何も言われなくても物を出しただけでなはく、もくもくと掃き清めていたそうで、明日使う軽トラの荷台まで掃き清めていたそうです。ちなみに、この「そうです」という語尾は、人から聞いた話だからです。帰宅すると、フツーの17歳男子ですので、
わたし「今日もお疲れ様!どうだった」
長男「うん」
わたし「うん、だけじゃわかんない」
長男「うん」
と、会話がこれで終わってしまうんですよね。職業柄、インタビューをすることも多々あるのですが、このシチュエーションは本当に「つまんない!」。毎回凹みながら、外堀から攻めるがごとく情報収集に徹します(苦笑)。
 

次回の記事はこちら