日本国憲法第九八条と国際法(条約)との関係と諸問題について その1

あの。実はオレ、note書くの初めてなんスけど、覆面パトカー(Twitter(X)ではスモーキー)と申します。よろしくどうぞ。

別のSNS(まぁTwitter(X)なんだけどね)でフォロワー様との意見交換の中で日本国憲法第九十八条の憲法と条約との関係についてあれ??と思った事があったので記したいと思います。
あ、ちなみに、別に僕は法曹界の人間でも何でもないズブの一般市民ですのでそこんとこよろしく。

Twitter(X)って、情報集めには最高なんだけど、長い文章ではどうしても限界があるんだよね。

って事で、早速本題に入りましょう。

まずは、日本国憲法の一番最初の前文を引用します。
これが日本という国家の原理原則ですし、後々重要になってきますので、覚えておきましょう。

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日本国憲法前文

また、日本国憲法前文の解説については衆議院資料
"日本国憲法前文に関する基礎的資料"

をご参照下さい。

続いて、憲法八一条と九八条を引用します。

第八一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

日本国憲法第八一条条文より

第九八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

②日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

日本国憲法第九八条条文より

初めて読む人でここでうん??と引っかかった人、結構多いのではないでしょうか。

九八条前段で日本国憲法は国の最高法規と謳いながら、二項で国際法規の遵守を『必要としている』。
『必要とする』→『必ず要る』ということ。

前段と二項でそれぞれ食い違う場合ってどう解釈するのだろうか。

巷でよく見られる論説として、
国会の承認が必要で法整備が必要。
現実的には憲法に反する条約を批准することは不可能。
国内で通常の法律である条約よりも憲法のほうが上位だ。
多国間条約であるから一国の法律よりも権威があると言う事はない。
などとする論説をお見受けしますが、


果たしてそうでしょうか??

ではまず、政府見解を見てみましょう。


1、平成16年4月22日(木) 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会(第4回)最高法規としての憲法のあり方に関する件(憲法と国際法(特に、人権の国際的保障))

1.学説上は「憲法優位説」が通説であるが、政府見解として憲法優位に例外があるとする「条件つき憲法優位説」を採っている。

国際人権条約と憲法との関係では、憲法よりも国際人権条約の保障内容が広範・詳細である場合に、特に問題となる。

2.違憲審査制とのすり合わせ
憲法よりも国際人権条約の保障内容が広範・詳細である場合は、条約の誠実な遵守のために、違憲審査制とのすり合わせを考えなければならない。

憲法解釈に複数の可能性がある場合は、可能な限り、国際人権条約に適合的な解釈を選択することが、条約の誠実な遵守を謳う98条2項の規定に適うと考えられる。

また、憲法よりも国際人権条約の保障内容が広範・詳細な場合は、当該条約の内容を憲法解釈を通じて憲法に取り込むことにより、間接的な憲法的地位を認めるべきである。

平成16年4月22日(木) 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会(第4回)最高法規としての憲法のあり方に関する件(憲法と国際法(特に、人権の国際的保障))より引用


2、衆憲資第50号/憲法と国際法(特に人権の国際的保障)に関する基礎的資料

から抜粋引用。

国内法と国際法とは、制定(締結)権の所在、規律領域等の違う次元の異なる別個の法体系であり、相互に抵触し合う関係にはないとする立場の二元論(dualism)
独/H.Triepel、伊/D.Anzilottiら
二元論の場合、国際法が国内的効力を有するためには、国内法に落とし込む手続が必要。

国際法が実際に国内的に適用・実施されているという法認識を主な基盤とする一元論(monism)では、両法の効力関係の解釈を巡り「国内法優位論」と「国際法優位論」とに分かれるが、近年では、『国際法優位論(条約優位)が一般的であるとされる。』、国際法優位を説く一元論はウィーン学派のA.Verdross 1890~1980、J.L.Kunz 1890~1970、/H.Kelsen 1881~1973等の提唱
国際法優位の一元論では、国際法と国内法は、その法主体(個人) と法源(個人を結合する客観的・社会的要因)の同一性またはその組織構造の近接性(異質なものではなく、その相違は程度の差)に基づいて単一の法体系をなし相互に浸透しあうとの前提に立って、国内法は国際法から派生しその委任を受けたものにほかならない...、「国際法と国内法との間の共通分野に生じた抵触は、国際法の優位(国内法の有効性は国際法から派生)により解決すべきものであり、国際法違反の国内法は法的に存在しえず、各国の国内法上も当然に無効となる、と主張している。」

(註釈:ここで日本政府は憲法優位一元論をすっ飛ばして等位理論へと展開しています)

等位理論
二元論と一元論は実際の妥当範囲には限界があり、国際・ 国家実行に必ずしも適合しないとの理由から、国際法と国内法を等位の関係において、『相互間に生じる「義務の抵触」については調整による解決に委ねようとする立場が国際法学者の間で有力となっている。この立場からは、各国は「義務の抵触」を調整すべき法的義務を負うことを前提』として、 「義務の抵触」をどのような内容として判断し、いずれを適用可能な実定法とするかは、各国の裁判所等の実行に委ねられるとされる。

4)日本国憲法の下での国際法と国内法との関係

九十八条二項は、その趣旨に鑑みて、我が国における国際法と国内法との関係については、

『「国際法優位の一元論」の立場をとるものであるとの見解が一般的である。』

すなわち、「国際的交渉がうすく、大部分の各個人の社会生活がその国家生活以外に出ることのすくなかった時代においてはともかく、今日のように、交通機関の非常な発達その他の原因により、世界が日一日とせまくなりつつある時代となっては、国際社会と国家とはけっして無関係ではあり得ず、法理論としても、

『二元説をとることは、もはや許されない。』

二元説をとるかぎり、憲法がいくら国際法規を守るといったところで、それに違反する国内法が成立する可能性、その結果として、日本が国際法を守らない可能性は、少しも否定されない。憲法前文において、強く"国際主義を宣言"し、国家主権の独善的な主張を排斥している点や、やはりそこで徹底的な平和主義をとなえ、第九条で戦争を放棄し、軍備を廃止している点や、さらに裁判所の法令審査権の対象から特に国際条約だけを除いている点や、本条第一項でも条約をあげて いない点などの背景において、本条を見ると、その精神が、確立された国際法規の遵守を妨げるような国内立法を否認し、したがって、そうした国際法規の国内法に対する優位をみとめることにあることは、明らかなよう に思う。いくら国際法を守るといったところで、確立された国際法に反する国内法が適法に成立することがみとめられ、しかも後者が前者に優先することがみとめられるかぎり、国際法はほんとうに遵守されたことにならない」というものである。

しかし、一元論をとることに対しては、「主権国家がなお並存し、実定国際法が世界法となっていないことを重視する見地からすれば、二元論もまた、それ以上に説得的である。憲法九十八条二項を、日本の実定憲法自身が一元論の説明方式を採用している趣旨にうけとる見解があるが、そう解さなければならない必然性があるわけではない。同条項は、二元論の説明を前提としたうえで、本来は国際法の法形式に属する規範を包括的に国内法秩序のなかにくみ入れたものとして理解することもでき、今日の国際法秩序のありように照らしてみるならば、その理解のほうが、むしろ実態に即している」として、二元論をとる見解もある。
ただ、いずれにせよ国際法優位の一元論と二元論との違いを過度に強調するのは問題があるとの指摘もある。
すなわち、
「国際法優位の論者も、多くは、国際法は究極的には国内法を破るものであるというようにゆるやかに捉え、他方、二元論の論者といえども、多くは、国家として国際法違反の国内法を放置しておくことは許されないと考えているから」である。

国内法体系における国際法の地位
慣習国際法の国内的受容:一般に、特別の措置を必要としない。
一般的受容方式
国際法を国内法に一般的に受容し、その国内的効力を認めるとするものである。この場合、国際法を国内法として立法し直す必要はなく、議会の承認を得ることで足りる。例、米国、ドイツ
日本における条約の国内的効力
我が国では、(中略)直接には、条約および確立された国際法規の遵守義務を謳っている(98条2項)ことを根拠に、条約は原則として特別の変型手続(立法措置)を要せず、公布により直ちに国内法として受容され国内法的効力を有する立場とする「一般的受容方式」。

ここまでが国の公式見解。

2、衆憲資第50号/憲法と国際法(特に人権の国際的保障)に関する基礎的資料より引用

雑駁にまとめると、憲法九十八条及び二項間の問題は、

(1)憲法優位説
→ ①積極説
  条約も法律に準じて扱うべきと考えられ、条約も違憲審査権の対象に含まれるとする考え方。

→②消極説
  憲法81条及び憲法98条1項に「条約」という文言がないことから、条約は違憲審査権の対象に含まれないとする考え方。

(2)条約優位説
  条約の効力の方が憲法より優位であると考えられるため、当然違憲審査権の対象にはならないとされる考え方。日本政府公式はこの通説の立場。
また、(1)と(2)は互いに対立関係(後述)

条約の実行力の行使に関しては、日本では公布する事によって、立法を通すことなく国内法に展開する方式。
「国際法優位一元論は、国際法は究極的には国内法を破るものであるというようにゆるやかに捉え、他方、二元論も国家として国際法違反の国内法を放置しておくことは許されないと考えている」
がFAです。


他の学説を見てみましょう。

松田浩道国際基督教大教授著『国際法と憲法秩序(東京大学出版会) 国際規範の実施権限P188~P192/”国内法令の国際法適合解釈義務””憲法の国際法適合解釈義務”の項目より抜粋
本稿の論説では国際法の適合解釈義務について,
国内法令の国際法適合解釈義務(第1項)
憲法国際法適合解釈義務(第2項)とに分けて整理しています。

松田浩道国際基督教大教授著『国際法と憲法秩序(東京大学出版会) 表紙

第1項 国内法令の国際法適合解釈義務

国際法の観点からは,国際義務が結果的に果たされるなら,新たな実施立法を行っても,既存の国内法令を適合解釈しても,その他の方法でも構わない。しかし,憲法98条2項は誠実遵守を要求しているので,国内法令をそのまま解釈 ・適用すると国際義務違反が生じうる場合,すべての国家機関は国内法令の国際法適合解釈義務を負うと考えられる。⇒ex)札幌地裁生物多様性条約8条 この点,札幌地裁は主観的基準 ・客観的基準を用いた直接適用可能性の枠組みを援用する北海道知事及び国の主張を退け,『国内法令の条約適合解釈を認め,条約の趣旨に反する国家行為が違法となる可能性を明示している』。

(中略)他方,これを憲法上の権限配分の視点からみると,国内法の解釈が国際規範によって変化し,実質的に行政官や裁判官による立法が行われるとすれば, そのような事態は民主主義の観点からも,権力分立の観点からも,許容しがたい)。

適合解釈はあくまで国内法解釈として可能な範囲に限定され,解釈を超えて立法行為が必要な場合,憲法98条2項の誠実遵守義務は立法府に向かうと整理すべきであろう。

(中略)具体的にどのような範囲で適合解釈が許容されるかについては,国際法と国内法令それぞれの性質に応じ),個別具体的に検討されることになる)。
国際法適合解釈義務に関する実施権限の配分過程は以下のようにまとめられる。

1、日本の行政府及び司法府は憲法98条2項を通じ,立法に及ばない範囲で国内法の国際法適合解釈義務を負う。この考え方は,私人間の事案についても同様に当てはまる。

2、適合解釈が不可能な場合,司法府は不適合状態を明らかにし、立法府が国内法を改正するか、行政府が国際規範を変更する等の方法により、国際義務違反の状態を解消しなければならない。

第2項 憲法の国際法適合解釈義務

日本の国家機関は,憲法に対しても国際法適合解釈義務を負うか。この点,従来の通説のように憲法 ・国際法・法律という序列関係を厳格に捉えるなら、
「条約の憲法適合的解釈の方こそ成立する」のであって,憲法を国際法に対して適合解釈する義務はないし,適合解釈すること自体が憲法問題を引き起こしかねないが、序列から出発するのではなく,遵守義務の配分過程をあくまで動態的に把握する立場によれば,憲法を国際法に対して適合解釈することも直ちに否定されるわけではない。

国際規範のみを根拠として従来憲法解釈が変更され,憲法改正が行われるなら, 民主的正統性の観点から許容しがたいとしつつ、裁判官の裁量を適切に制約するため, 憲法の国際法適合解釈はあくまでも国際規範以外にも十分な根拠があり,国際規範を補充的に用いる場合に限定されるだろう。

(中略)

国家は,憲法の規定を理由にして国際法違反を正当化することはできない。そのため,国際法の視点からみれば,国際法に適合しない憲法の解釈 ・適用は国際法違反である。国際法遵守の観点からは,国際規範は憲法に対しても国際法適合解釈義務を課している。しかし,その国際法適合解釈がどの範囲で憲法上許容されるか,事案に応じた権限関係の考察によって検討してゆく必要がある。国際規範を遵守する必要性と,権限関係からみた憲法上の許容性の両方を丁寧に考察してゆくべきであろう。

松田浩道国際基督教大教授著『国際法と憲法秩序(東京大学出版会) 国際規範の実施権限P188~P192より

憲法の専門家の論説でも、憲法が最上位という位置付けではありつつ、『日本国憲法前文の記述にある通り、国際協調主義は決して無視できない』
と言っているのです。

ちなみに、国際協調主義という言葉は記事冒頭で載っけた憲法前文のこの文脈です。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

参議院
答弁書第八九号質問主意書
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/198/touh/t198089.htm

法曹サイドの見解も覗いてみましょう。

違憲審査権とは?2つの分類や違憲審査権に関する判例紹介

憲法八十一条/違憲審査権
https://www.foresight.jp/gyosei/column/unconstitutional-examination/

違憲審査権とは、
国のルールの最上位にあるのは憲法であり、法令等が、憲法に違反することはできない。
その最上位の憲法に法令等が違反していないかどうかを最高裁判所が審査する行為を憲法八十一条で定めている。

違憲審査権は、憲法に違反する法令等による、国民の人権侵害を防止することが目的。
違憲審査権の主体は、最高裁判所(憲法第81条)
重要なのは次の項目⑦。

⑦ 条約

文書で書き記した国家間の合意のことをいいます。条約も憲法第81条には列記されていませんが、まず、憲法と条約との関係については、
(1)憲法優位説
(2)条約優位説という説が対立しています。

(2)条約優位説では、条約の効力の方が憲法より優位であると考えられるため、当然違憲審査権の対象にはならないと解されます。

(1)憲法優位説では、さらに、
①積極説
②消極説
があり、

①積極説では、条約も法律に準じて扱うべきと考えられ、条約も違憲審査権の対象に含まれると考えられています。

一方で、

②消極説では、憲法第81条及び憲法第98条1項に「条約」という文言がないことから、条約は違憲審査権の対象に含まれないと考えられています。

通説はこの立場に立っており、判例も、砂川事件(最判昭和34年12月16日)で「本件安全保障条約は…主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従って、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」として、

②消極説の立場に立っています。

さて、
ここでも先程の
(1)①憲法優位説(積極説)と、②憲法優位消極説と
(2)条約優位説

との対立関係が鮮明です。

ここで聞きたいのだが、憲法が最上位で、条約が優先される事はないとはっきり断言される方達に尋ねたい。

『上記、国の見解と、学説、法曹サイドの見解をひっくり返す程の強力な論拠を何かお持ちですか?』

以上から、素人なりに情報を洗ってみた私の現状の見立てとしては、憲法-条約との優位関係について国内法の憲法が、最高法規として位置づけられている事自体は確かに正しいものの、国際法と照らし合わせた時、憲法が国際法を差し置いて最優先されるとの態度を日本政府、学術界も法曹界も取っているとは到底言い難く、むしろ、憲法前文の国際協調主義の原則から鑑みても条約は憲法同様、無視できない位置づけであるとする国側の意思も必ず踏まえるべきでしょう。
それらを無視して条約よりも憲法が上ダー理論はそれこそ乱暴で、ミスリードに繋がるのではないかと考えます。

その他、関連論文を貼り付けますのでご参考に。

憲法と国際法(特に、人権の国際的保障) 北星学園大学 齊藤正彰

憲法論叢第 ll 号 (2004年12月)国際法の国内妥当性と憲法国際法の国内法秩序編入 を巡る諸問題 小野義典城西大学教授

おわりに。
初めて書いたnote記事いかがでしたでしょうか。

Twitter(X)では情報集めに最適でしたが、やはり長い文をじっくり書くのは全くですね。
このnoteはTwitter(X)では味わえない物事をよく考え、発信する面白さかもしれませんね。
また気が向いた時にお会いしましょう。

それでは、皆さん。また会う日まで〜♪


2024/6/5
追記。
この問題、個人的にとても興味深いと思っています。現状の整理も検証もまだまだ甘々だと痛感しています。次回の記事は置き去りになってしまっている、憲法優位積極説の論説を中心にまとめて本記事と比較してみたいですね。

あと、記事を読み直してみてリンクが貼れていない点で不便をさせてしまったかもしれません。その辺は随時整理していこうと思います。

みなさまいつも。ありがとうございます。

2024/7/12
追記。
ただいま憲法九八問題の検証記事の後編として、絶賛執筆中です。
近いうちに出せそうなので、お楽しみに。

2024/7/15追記。
続編記事を書きました。リンク貼っておきます。
日本国憲法第九八条と国際法(条約)との関係と諸問題について その2|覆面パトカー (note.com)

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