43歳にして2回の開腹手術、1回の内視鏡手術の既往歴あり。そこから思うこと
こんにちは。湯です。
私の将来の目標は、自己紹介の文章に書いてある通りヘルスコーチです。というのは、自分自身の健康管理とも日々向き合いながら生活しているからでもあります。
計3回の詳細をざっと下記で紹介します。
⬛︎第一回目
高校3年生。16歳。あれは忘れもしない大学受験を控えた夏。しばらく続いていた下腹部の激痛で病院へ。胃腸の病院で受診したところ、卵巣に異常があることが分かり、専門の病院へ緊急搬送、緊急入院緊急手術。
卵巣がグレープフルーツ大にまで腫れ上がり、それがお腹の中で回転して、いわゆる卵巣捻転を起こして、激痛を引き起こしていたとのこと。脂汗だらだら意識も遠のき、卵巣は破裂寸前、危険な状態だったようなのです。このときは、開腹手術です。
彼氏が出来たこともないのに、その年で、将来妊娠出産するときのために卵巣は全摘出せずに、少しでも残します。と言われ、誰の話をしているのかな?という感じのまま、ことが進んだのを覚えています。
そのため、退院後もしばらくは大事にしなくてはならず、高校最後の体育祭は要見学と、なんとも気持ちが晴れないまま、卒業までの数か月間を過ごしました。受験勉強も正直集中できずに、また、両親も体調第一だからと、何も言わなくなったのを良いことに、あまり勉強していなかったと思います。
結果、この影響があってかなくてか、第一志望の4大は不合格。滑り止めに受けていた短大に進学し、のちに4大へ編入する道を選んだのです。
⬛︎第二回目
最初の手術からちょうど10年目の、26歳の時。正直あまり覚えていません(笑)ちなみに、一回目の手術の時に、再発の可能性はあるとは言われていました。しかし正確に言うと、疾患の起こった部分は卵巣ではありますが、症状は前回とは少し異なり、卵巣は捻転を起こすほど巨大化はしておらず、激痛もありませんでした。ではなぜ、進行が分かったのか?
そのときは、今度は子宮に違和感を感じ、受診をしていました。ちなみにそのときから、私は現在まで子宮頸がんの定期健診も受けています。このときに卵巣のことも分かり、再度開腹手術になりました。2回目ともなると慣れたものです。左右ともほぼなくなってしまっていた卵巣が、これまで頑張って働いてきてくれていたことに、感謝の気持ちがむしろわきました。そしてこの手術で更に卵巣は小さくなるのですが、今回も残すことを選択しました。ちなみに元夫とはこの頃に出会いました。そしてこの3年後に息子を授かることになるのですが!
一方子宮頸がんの検査の方は、いつも結果に緊張感が走ります。といっても、その期間を過ぎてしまえば全く忘れているのですが。
⬛︎第三回目
これが、今から3、4年前のことになります。40歳の頃のことです。このときは内視鏡で、子宮内膜のポリープを切除する手術でした。
手術自体は開腹手術ではないので、これまでのものと比べると入院期間も短く、体への負担も少なく楽だったのですが、これをきっかけにしてホルモンバランスが崩れていったようなのです。加齢ももちろん関係して、ここからが魔の41歳、42歳の始まりでした。子どもの学年は、小学4年、5年生の頃のことです。
まずは、毎年の職場の健康診断で深刻な貧血だと診断されるようになり、朝、布団から起上がったときに、ふらふらとして真っすぐに歩けない状況になりました。また一番怖かったのが、駅の階段で視界がグラグラとする感じで、踏み外しそうだったことです。病院での診察結果は、月経過多が貧血の原因で、その症状だろうと。確かにその頃の毎月の生理はしんど過ぎました。だから子宮内膜ポリープ切除の手術をしたのですが、全く改善しなかったのです。その為、次の手段として、ミレーナというホルモン療法を始めました。
・治療の代償
治療を始めて3ヶ月もするとふらつきがもなくなり、貧血の数値も明らかに改善しました。
しかしその治療の代償なのか、その頃、手足の指先の関節がうずくように、痛くなってきていました。
そんな中でしたが、41歳と10ヶ月目に7年間務めた職場を退職し、ちょうど42歳になる月から、ハローワークの職業訓練校へ3カ月間、電車通学をすることにしました。
ホルモン療法を始めてからちょうど1年程が経過していた頃です。指先の痛みは依然としてありましたが、月経過多は改善し、まずまず快適に暮らしていました。
ところが、ちょうどその職業訓練の3か月間が終わるときに、指先の関節痛だけではなく、なんと次は膝までもが激痛に襲われ、歩くことが困難になってきてしまったのです。
このまま年老いていくしかないのか・・・・と絶望の入り口に立っていました。確かにここ数年育児はがんばってきたけれど、(いやそこまでがんばってもいないぞ?!)、それなのに、人間こんなにも急に老いるものなのか?!と悶々としていました。
実際膝の痛みは相当自分でも受け入れがたく、子どもが心配してくれるのをよそに、ひらすら我慢して病院にかからなかったのですが、指先の鈍痛はもう長かったので、重い腰を上げ整形外科で診てもらうことにしました。診察の結果は、レントゲン画像でも明らかに骨の異変がみられ、加齢に伴うへバーデン結節で、これから小指以外の指も第一関節から曲がってくる様子が見られる。曲がったものは元には戻らない。と悲しい宣告をされました。しかし、曲がり切ってしまえば、痛みは治まり、体に害があることはないとのことでした。そして塗る鎮痛剤を処方されました。
膝もきっと診てもらえば、膝変形性関節症ですとか言われかねないと思いました。
・決断
正直納得がいきませんでした。なぜ40代も始まったばかりで、もうこんなおばあちゃんみたいな手足・膝になってしまうんだ!!と。。新しいことも勉強したばかりだとういうのに。
そこで考え、毎日毎日関連するWebサイトやYouTubeで調べまくったところ、一つの仮説に行き当たりました。
それは、ミレーナのホルモン療法のせいで閉経状態になり、体が高齢化してしまっているに違いない!!と考えたのです。そのために、それこそ、私の体内は関節が変形するほどの高年齢の状況になってしまっているのだろうと。
具体的にミレーナのホルモン療法ではレボノルゲストレルという、避妊剤としても使われている成分が5年間、体内に放出される施術になります。
そもそも月経が起こるしくみとして、卵胞期にエストロゲン(卵胞ホルモン)が増加して、子宮内膜が厚くなります。妊娠不成立の場合は、この厚くなった子宮内膜がはがれ落ち、月経(生理)として体外に排出されます。
私は、この月経量が多いため貧血を引き起こしていました。施術したミレーナの成分であるレボノルゲストレルは、この一連の月経のサイクルを実際には起こさせなくさせる作用があります。脳にエストロゲンが出ていると架空の指令を出すのだそうです。そのため全くゼロとまでは言いませんが、月経の9割近くはカットになるという感じでした。
しかし、調べていくうちに、このやっかいものとしていたエストロゲンが骨の軟骨の成分であるコラーゲン作りにも関係していて、むしろ閉経後のエストロゲンの急激な分泌量の減少により、骨粗しょう症や関節痛、腫脹の原因となることが分かりました。更年期障害にも関係しているようです。
エストロゲンの急激な分泌量の低下。
もうこれに違いないと思いました。
どこにも、ミレーナや、ホルモン療法の弊害で関節が曲がるなんて書かれていなかったけれど、その可能性に最後の希望を託して、貧血のことはまた考えるにして、こうしてミレーナのホルモン療法をそれから間もなくして止めました。
・結果
するとどうでしょうか!!!!
程なくして、膝の痛みが治まり、進行していた指先の変形と痛みが止まったのです。むしろ私にはすでに曲がってしまった小指さえ、真っすぐに戻ってきたようにも見えました。きっとまた将来、閉経後その時が来たら変形するのかもしれませんが、時の歩みが正常化したのが分かりました。
今から、まだ1年も前の話ではありません。
今もそのまま、膝や指先に痛みはありませんし、それに加え貧血も特に出ていないのです。
◼️ストレスか、毒素か?はたまた栄養不足か
長々とお話してきましたが、私の人生何度か小休止が入っていますが、これらは必ずしも自分の宿命や運命でそうなった、病気になったわけではないと今では分かります。この数年体調を崩し勉強したおかげで、そう冷静に見ることが出来ます。
なぜなら病気になった16歳、26歳は、特に両親との関係に相当なストレスを抱えていた時期でした。そして40歳の頃はまた別の要因である転職や、子育てのストレスはありましたし、何よりそれに加えて、食生活が本当に酷かったのです。今でこそたまに体に良いおやつを投稿したり、医食同源を目指していますが。
当時、前職を退職前の仕事が激務になっていた時期で、昼ごはんはカップラーメン、夜はUber Eatsと、何のために働き稼いでいるのか分からなくなる状況にまでなっていました。
カップラーメンやUber Eatsが絶対悪だとは言いませんが、私の体には容量オーバーなところまで、食べ進めてしまったのだろうという気はしています。本当に良く食べていたので!
そして2年前までは、吐いてしまうほど辛い偏頭痛も定期的にあり、一週間で頭痛薬を1箱使い切ってしまうこともありました。当時は既に、そんな大量の頭痛薬服用に抵抗感さえ、さほどなくなっていました。
しかしそれから生活を見直し、この1年弱で頭痛になったのは、トータル2、3回あったかどうかまでに減りました。その際、薬を飲まなかった時もあります。そのくらいこの1年間で体調が変わりました。
意識したことと言えば、ミレーナのホルモン治療で辛い体験をして以来、自分の体に入るもの、入れるものには慎重になるようになった!!
主な意識と行動の変化はそれだけです。
あと、もう入れてしまった、たまった毒素的なものを出すためには、汗をかいたり排出する必要があるので、日常的な水分補給や、適度な運動の重要性も実感しています。
更には遺伝的なものでさえも、自分自身でコントロールできる部分が多くあると感じています。
⬛︎最後に
改めて、私は10年後にヘルスコーチになることを目指しています!
引き続き身近で感じている良いものや、すぐに真似できそうな簡単なお勧めのものを、たまにまた投稿していこうと考えています。
そして、間違いなく口から入るもの、体内に取り込むものには気を付けていかないといけませんが、何よりそれ以上、人間にとって、ストレスの破壊力は計り知れないとも実感しています。だからストレスこそ、心配しなくてはならない、軽減しなくてはならないものなのです。
ストレスは、その人の弱い部分を攻撃してくるのだと思います。
そこで重要となってくることは、人それぞれ、自分のストレス発散方法を持つこと。そして計画的に定期的に、休息日・休息時間を予め日頃の生活の中に組み込むこと。
その他、睡眠のこと。坐禅や瞑想の重要性。文化や知識に触れること。
いろいろと、自分自身実践あるのみだと思っていますので、またご報告します。
ときには、深く考えすぎずに、素直に楽しいと思える方、心地いいと思える方を選択して、微笑みながら進んでいきましょうね!!
今回の私の病歴編、今後また悪いご報告が無いことを自分自身願うばかりです。その為には、自分の適正や状況にあった職場選びや、自分の気持ちに素直に生きること。食事や運動面だけでなく、内容重複してしまいますが、なにより自分の考え方やその傾向などの内面を変えていくこと、バージョンアップしていくことが重要だと、自分自身に言い聞かせています。
簡単なことではありませんが。
こんな時に役に立つのが、先日ご紹介しました、こういう本だったりもします。
少しずつでも確実に、ストレスをため込まない、病気知らずのいつでもハッピー体質を目指して行きましょう!
最後まで、読んでいただきありがとうございました。
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