午前四時の国
キッチンの明かりだけをつけてコーヒーを煎れているこの国の人口はいったいどのくらいだろう。国境も曖昧で国土の面積も把握できていない。政治体制は王政だがほとんどの国民が王様なのでそこにはあまり意味がない。憲法はとてもシンプル。穏やかでいること。争わないこと。それを遵守するための細々とした決まりごともあるが、例えばあまり記憶を深掘りしてはいけない、泣き叫びたくなってしまうからといったようなもので、ここでは割愛する。そういえば昔、自分で書いた恋文の文言を思い出そうとして我を失い、街中を走り回って追放された男がいた。決まりはやはり、守った方がいいようだ。とはいえ、この国は概ね安全で、事件らしい事件もほとんどない。情勢は安定している。問題があるとすれば、それは他の多くの国と同様に財政だろう。国民総生産などの正確な統計は出ていないが、生産性はかなり低い。一方で、幸福度は悪くない。少なくとも国民は、そのように感じている。
いくつかの隣国はそんな我が国のことをあまり良くは思っていない。あるいは妬んでいるのか。特に悪質なのは、侵略行為も厭わない午前一時の国で、四次元空間にぼんやりと引かれた国境の外側、所謂フロンティアや排他的経済空間などを踏み越えて平気で浸透してくる。侵攻とは違って武力が用いられることはないが、我々にそれを阻止する術はない。何しろ憲法で争わないと規定されているのだ。国際法上の自衛権は認められていても行使できないのだから、できることはただ耐えることだけ。それをいいことに、彼らは頻繁に夢を侵してくる。何度やってもしくじってしまう仕事や作業の、あるいは寄る方ない中空をただただ落下していくようなイメージの刷り込みは常套手段で、つい苛立ちのあまり怒鳴ったり、悲鳴をあげてしまいそうになるけれど、そんなことをすれば彼らの思う壺、たちまち取り込まれてしまう。午前一時の国の浸透は常に不意打ちで、暗くしたたかな上に執念深い。それはおそらく、彼らが光側の陣営から最も忌み嫌われ迫害、差別されてきたことの裏返しだ。
かつて光と闇、両陣営の間には明確な境界があって、互いに互いを尊重しあい、均衡が保たれていた。隣国の間で季節的とでもいうべき、蝋燭の炎のような小さな紛争はもちろんあったが、数カ国を巻き込んだ初めての大戦が勃発した19世紀中頃まで世界の勢力図を書き換えようなどという不遜な野望を抱く者はいなかった。きっかけはガス灯で、午後六時の国と午後七時の国との間で最初の紛争は起こった。これはだが、光側の盟主午前十時の国と闇側を司る午前二時の国の代理戦争だったと考えられている。多くの国が参戦したが、闇側陣営は最後まで決定的な対抗手段は見つけられず、結果的に午後十一時の国あたりまでが光側に占領されてしまう。20世紀には再び電気による世界大戦が勃発し、今ではもう、闇側陣営に留まっているのは徹底抗戦を続ける午前一時の国と、すっかりオカルトに走ってしまった午前二時、真空地帯である午前三時の両国、それに我が国だけである。ちなみに、お隣の午前五時の国は光側だが、我が国との関係は比較的良好だ。午前一時の国よりはずっと。それにしても、かつて「日の昇らぬ国」とまで謳われ、最も力のあった午前二時の国が、同じ陣営内で揉めごとを起こす午前一時の国を何故放置しているのか。彼らには実世界の問題などもはや興味がないのかもしれない。
ともあれ、午前四時の国は今のところ、世界のどの国より平和だ。憲法にあるとおり、穏やかで争いがない。あなたがどんな容姿で、何を信仰し、民族的にであれ性的にであれ、仮にどこかの場所で少数派だとしてもそのことで差別や迫害を受けることはない。あなたはあなたのままの個人として尊重され、抑圧や迎合、同調を強いられない。誰もあなたを密告しないし、断罪したり責め立てることもないだろう。それどころか、この国ではあなたもまた王様になれる。いいでしょう? その上、我が国を訪れるのにパスポートや査証といった煩わしい手続きは一切必要ない。交通費だってかからない。あなたはただ、いつもより少しだけ早く目を覚まし、コーヒーでも淹れながら心静かにその時を待つだけでいい。あなたが望みさえすれば、午前四時の国はきっと、あなたを国賓として迎え入れるはずだ。ただひとつ、入国の際に余計な荷物は、有形無形を問わず、極力お持ちにならないほうがよろしいかと。
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