永坂壽 nagasaka hisashi
一日一本書き下ろし短編小説。
「川上とこの川しもや月の友」と芭蕉は詠んだが、行徳から江戸市中に塩を運ぶために家康が開削させた運河である小名木川の、いったいどちらが川上で川下なのか、深川で暮らし始めてからぼんやりと疑問に思っていたことを口にすると、女が当たり前のようにそりゃああなた、中川の方が川上に決まっているじゃないと言う。自分は、つまり芭蕉翁は隅田川の辺に暮らしていてちゃんと「この」川下とことわっているし、それにね、「礼儀として友達を下に置くわけがない」とのことだった。なるほど、一理ある。なぜ気づかなか
木造家屋の建ち並ぶ路地の、突き当りを右に曲がって二軒目。色褪せた珠算塾の看板がかかったブロック塀と繋がった小さな門は、無花果の枝に覆い隠されてともすれば見落としてしまうかもしれない。その葉は大ぶりで、旧約聖書によれば、エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイブが性器を隠すのに用いたとされる。それでなくとも日射しの届き難い路地のなかにあって、夏ともなれば大きくて深い緑に埋もれた二階建ての家屋はほとんど見えなくなってしまう。おのずと周辺にも陰鬱な空気が漂い、そうして夏の終わる頃に
猫は死に目を晒さないというけれど、猫に限らず弱った野生動物は外敵を恐れて身を隠し、時にそのまま絶命するのが自然の習いなのであって、そこに特段の神秘はない。だから家のなかだけで飼っていれば、ある朝ちゃんと、という言い方が適当なのかどうか分からないが、いつものソファーの上で眠るように息絶えていたりもする。昔飼っていた影丸がそうだった。八百屋の軒先で拾った時には多分生後二か月くらいで、八ヶ月目に去勢され、恋をした経験もないまま生きて、暖かな部屋のなかでぬいぐるみのようになって死ん
目が覚めて昼夜の別が分からず、時計は二時三十分を少しまわったところだった。随分長い時間熟睡したように思ったのだが、実際には二時間ほどしか経っていなかった。白いレースのカーテンだけを閉めた窓には深海のような色の夜が溜まっている。その奇妙な現象に初めて気づいたのはそんな時のことだ。体の一部が仄かに青みがかっている。よくよく観察してみると、皮膚の内側で青く発光しているのだった。月の光のせいかとも思ったが、どうやら違うらしい。三日前が新月だったから、月はまだ昇っていない。あるいはとっ
「で、どうする」 まるで自分の声じゃないみたいだ。 暗く静まりかえった洞窟の奥のような部屋にひとりでいる。目の前に映し出された3Dホログラムの彼女だけが外の世界と辛うじて繋がっている。 「例の話」 「どっちの」 午前八時、彼女は外出日だったようだ。UVカットの防御服をまだ身につけている。 「移住だよ」 「あたしは子供が欲しいの」 「分かってるよ。だから向こうで、ヘルシンキに引っ越して落ち着いたら作ればいいじゃん」 「そうは言ってもなんのあてもないんでしょう」
息子が生まれた日のことはよく覚えている。冬の曇天の底に暗く沈んだ世界がその吉報をなぜ理解できないのか、不思議だった。なにもかもが光り輝いているべきだった。工事現場で交通整理をしているガードマン、そこで重機を操っている作業員、タクシーの運転手や喫茶店の入り口でビラを配っている従業員、少なくともこの街の人間なら誰も彼も踊りだしていてもおかしくはなかった。昨日とまったく変わらぬ表情で生きている人々に違和感を覚えるくらいに、それは劇的なことだったのだ。 「文学をやりたいんだ」と、息
四月二日の深夜、あるいは三日の未明に高田比奈子は姿を消した。前日の夜に近所のラーメン屋で遅い夕食をとってから翌朝までのどこかのタイミングで、彼女はいなくなった。新聞配達も牛乳屋も近所でラジオ体操をしているおばさんたちも誰ひとり彼女の姿を見た者はいなかったし、その日は燃やすゴミの日だったのだが、アパートの部屋にはきちんと口を閉めたゴミ袋があとは捨てるだけという感じで置かれてあった。私が部屋に入ったのは四月七日、失踪から四日が経っていた。猫の餌と水のボウルも空だった。最初、猫はク
大雨と洪水、それに暴風の警報が出ている。キッチンで家族の朝食を作っている午前五時十九分、今二十分になった。取り乱したように窓にあたるのは金木犀の枝だ。もちろんまだ花は咲いていない。暗い朝の光を歪に映す薄手の型板ガラスがその衝撃に耐えられるだろうか。時折、バイクのエンジンでも吹かすように風が強まり、大粒の雨も打ち付ける。その度にガタガタと窓の全体が震えた。こんな日にはついマサさんを思い出す。正確に言うと、彼と過ごしたある夜のことを。 ✳︎ あれは、数年続いた冷夏のあとでよう
午後六時、街はまだ明るい。ドアが開くと若葉の色をしたその光と喧騒が薄暗い酒場のカウンターまで届いた。バーテンダーには入ってきた男の顔は見えなかったが、光の帯のなかに漂う細かな埃を眺めながら、いらっしゃいませ、と声をかける。やがてドアが閉まり、いつもの仄暗い、寂然とした空間が戻ってくる。男は四十代、黒っぽい麻のジャケットを羽織り、硬い靴音を響かせてフロアを横切り、カウンターに近づいた。ウェンジの一枚板の手触りを確かめるように撫でるその客に、バーテンダーは中央のスツールを勧める。
監督が体罰によって部員をコントロールしていると、彼女は息子から聞かされた。 「サッカーなんてもう辞めたい」 しばらく欠席が続いていると高校から連絡をもらった午後のことだ。わざわざユニフォームを汚してから帰宅した息子がいじらしくもいじましく、哀れで、愛しかった。 「せっかく頑張ってきたんじゃない。全国大会、行くんでしょう」 「無理だよ。あいつのせいでみんなやる気なくしてる」 監督について、父兄会で話が出たことはあった。前の学校でも色々あったらしいと。それでも実績が評価
前回のお話はこちら (承前) 「なにかあげた方がいいかしら」 随分と長くなった日も暮れる頃、冷蔵庫のなかのあり合わせで夕食を作り始めた妻が言った。キッチンは居間と繋がっているのでその窓からも小さな庭と駐車場が見える。南瓜のシチューを食べ終えた彼らはブロック塀にもたれ、男はギターをつま弾き、女の方はスマートフォンを弄っている様子。 「なにかって」と、私は居間との間に設えたカウンターに手を付いて訊ねる。家を新築するにあたって私がリクエストしたのはこのカウンターだけだった。
自転車にのって 自転車にのって ちょいとそこまで歩きたいから (『自転車にのって』高田渡) セミドロップハンドル、ギアシフトレバー、フラッシャー付と聞いて思い当たる人はおそらく僕と同時代を生きてきた人に違いない。セミドロップハンドルはその名の通りドロップハンドルを中途半端にしたもの、五段変速のシフトレバーがトップフレームに取り付けられ、フラッシャーとは荷台後方に取り付けられた方向指示器。どれひとつとっても実用的とは言い難く、今ではほとんど見かけない。ドロップハンドルが
路上ライブといっても、最近はアンプやマイクを使って大きな音を出すミュージシャンが多くなった。打楽器やキーボード、ベースに管楽器まで入れた完全なバンドスタイルの演奏を見かけることもある。けれどその男はたったひとり、昔ながらのギターの弾き語りで駅前の広場に座っている。初夏の強い紫外線に晒されながら、まるで自宅の居間にでもいるような風情で胡坐をかき、ほとんど雑踏に埋もれてしまっている。むろん、声も聞こえなかった。交差点のガードレースにもたれて人を待っていたのだが、何故だか私は、彼の
太陽の光が地球に届くまで八分十九秒、それが月に反射して月が月であるために一秒ちょっとかかるという。つまり僕らは、八分前の太陽に生かされ、一秒前の月を愛でながら生きている。仮に今この瞬間に太陽が爆発しても、あと八分間だけはいつもと変わらぬ日常を送れるというわけだ。もっとも、太陽が大量の水素原子を消費し続けて次第にヘリウムの割合が上がり、今より五十倍、やがて数百倍にも膨張して燃え尽きるのは四十億年ほど先のことらしいから心配には及ばない。ちなみに、地球が形成されて四十五億年以上、四
ある朝早くゴミを出しに行くと、ゴミ置き場の近くの路上に指が一本落ちていた。烏に荒らされないように青いネットで覆ったゴミ置き場にはすでにいくつかのゴミ袋が置かれていて、昨夜のうちに出した人がいるに違いなかった。燃やすゴミの日。昨夜降った雨のせいで青いネットは不潔に濡れていて、素手でそれを捲るのを躊躇したその時、黒ずんだアスファルトの上に何かが転がっているのに気づいた。最初はもちろん、誰かのゴミ袋からこぼれたものだろうと思った。見て見ぬ振りをしておけばよかったのに、何故だか柄にも
大昔のアメリカ映画に出てきそうな旧式のエレベーターは折り畳み式の鉄の格子が二重になっていて、一階に着くとまず昇降機内のものを、さらに外側のドアを手動で開ける。古いけれどよく手入れが行き届いているとみえ、開閉の動きはとても滑らかだ。フィリップ・マーロウとすれ違いそうな錯覚を覚えるが、もちろん彼はいない。色あせた金髪のマダムを連れた紳士と入れ違いにエレベーターを下りると、ロビーの天井は高く、遠いところでファンが静かに回っている。少なくとも、開け放した窓や入り口から流れ込んでくるソ