「完璧主義」をやめたお話
みなさん、こんにちは。
イシトイロのnozomiです。
このnoteを読んでくださり大変嬉しく思っております。
今日は、「完璧主義」をやめたことについてのお話をしていきます。
よろしければお付き合いいただけますと幸いです。
「完璧主義」=「失敗している私はダメな私」
完璧主義という言葉を耳にすると、みなさんの中で色々な定義のようなものがあると思います。
私にとっての「完璧主義」は、「失敗している私はダメな私。だから絶対完璧にできていないといけない。」となります。
何か一つでも失敗してしまう自分は全然ダメで、周りを失望させてしまう。
失敗しないためには、ちゃんと準備しておかないといけない。
とにかく失敗は許されない。
最近になってようやくこの思考をしていたことに気づき、失敗しても、ダメな私もそれはそれでヨシ!と思えるようになってきました。
ただこの思考グセのようなものは、気づいて気をつけるようにしていても、長年の癖なのでなかなか思うようにはいかないところももちろんあります。
なぜ「失敗する私はダメな私」と思ってしまっていたのか
その理由は、おそらく小さい頃の躾と親からの無条件の愛の欠如が原因だったからだと思います。
もしかしたら他にも理由があるのかもしれませんが、私の中でいま一番腑に落ちている理由はこれになります。
私は、親からの躾が厳しく、親の言われた通りにしていなかったら怒られていました。
また無条件の愛のようなものをもらえた記憶がありません。
小さい頃はあったのかもしれませんが、覚えている記憶の中にはないのです。
もちろん、食事や住むところ、学費の面に関しては不自由なことはありませんでした。たくさん働いて育ててくれたことには本当に感謝しています。
しかし、今なら分かるのです、私は子供の頃に本当に欲しかったものは、ただ親からの無条件の愛の言葉と抱きしめてもらうことだったと。
「何もできなくても、失敗しても、どんなあなたでもいいよ。」と抱きしめて欲しかったのです。
そして、同じく今ならわかるのです、私の両親もその両親からそういう風にしてもらえていなかったということが。
自分を愛するということ
さまざまなことに気づいてから私は、自分を愛するように意識しています。
自分を愛する?!って思う方もいるかもしれまんね。
でもそれはそんな仰々しいことではなく、
自分に今の気持ちを問いかけること。
自分に関心を寄せること。
自分の本当の気持ちを聴いてあげること。
を特に心がけるようにしています。
例えば、「疲れてない?キツかったらよね、じゃあちょっと休もうか」とか、
「今日何食べたい気分?」とか。
小さな私が心の中にいるように、いつも機嫌を伺っています。
そうすることで小さな私が満足して、幸せを感じられるようになってきました。
最後に
子供の私が望んでいたことは、大人になった今、両親へは望んでいません。
ただ、今の私が思うことは、両親もどうか自分のしたいことをして、自分が幸せだと感じる日々を過ごしてほしいなと願っています。
きっと両親も色々なことを我慢して犠牲にして私を育ててくれていたということが大人になった今だから分かります。
これからの時代は、我慢も犠牲も義務もいらない時代だと言われています。
自分の気持ちに耳を傾けて、自分で自分を苦しめることなく、少しでも気持ちが楽に生きていきたいなと思っています。
ここまでお読みくださって本当にありがとうございます。
誰かの心に少しでも何か感じるものが生まれていたら嬉しいです。
それではまた次の投稿でお会いいたしましょう!