息するように嘘をついて人は生きる
あの頃(風俗の仕事をしていた頃)は嘘ばかりついていた気がする
でも実際は、今の方が私は嘘つきだし、私以外も色んな人が嘘をついて生きてるのだろう
嘘を減らしてみようか
嘘を減らすメリット
あの頃は毎日汚いものばかりを見るのが仕事だった。
嘘をつくのが当たり前の毎日であっても、
いつもどこか潔癖なまでに真実を求めていた。
笑顔で沢山取り繕って、傷付かない優しくて綺麗な言葉を並べながらも、その中に本当がどの程度混じっているのか、いつも目を凝らしていた。
それは嘘だけど、これは本当だよね?
って。
自分に対しても、お客さんに対しても。
でもそれら…
耳障りのいいお世辞、
優しい嘘と痩せ我慢、
苦し紛れの言い訳、
保身、善意、使命感。
それらは多分、素の想いと絶妙に混ぜてあって、どれが本当でどれが虚飾であるかなんてきっと口にした本人でも分からない。
だから、別に全部嘘でも全部本当でも、それに大差はないのだ。
今になってそれは、別に風俗の仕事に限った話じゃないんだろうと悟る。
嘘をつくのも仕事のうち。
そんな仕事は世の中にはいくらでもある。
口にする言葉のどれが本当かなんて。
もしかすると、日の当たる真っ当な仕事こそ、立派な社会人こそ、立派であればある程、ますます分からないんじゃないだろうか。
だから、これからは出来るだけ人と真心で接することが出来るようになりたい。
痩せ我慢をしたり、優しくオブラートで包んだり、そういう嘘ばかりついたら、
本当の素の本音ですら嘘になりそう。
負の感情全部とは言わない。
だけど、ちゃんと雑さや汚さを見せないと、真心さえ疑われそうだから。
他人に?
ううん、自分に。
自分が自分を分からなくなるのが、一番怖いことなんだ。
そういえば私…
風俗だけじゃなかった。
いつでも、どの仕事も、誰とでも仲良くして、全ての人に好かれるために仕事してた。
そりゃ、嘘ばかりになるに決まってた。
要らないことを少しずつ捨てよう。
愛想笑いをしてしまう時に、
「それ、要る?」
って自分に聞いてみよう。
言葉を飲み込んでしまう前に、
試しにポツリポツリと、
空気を読まない意外性のある言葉を、
敢えて言って行こう。
もう少し自分に誠実になってみよう。
相手のことを考えすぎるのを辞めたら
毒がたまらなくなって
毒々しさが抜けたら
私は自然体になって
持て余す怒りでイライラすることも無くなって
言えるようになったら
自分への信頼が取り戻せて
不安や焦燥感が減って
きっと無闇に緊張しなくなって
声は震えなくなって
喉も支えなくなって
緊張と強張りで全身が心臓になることは無くなって
自分からの不意に出た言葉や態度について
みっともなくて情けなく思うことも無くなって
きっと何があっても「だから何?」って笑えるようになる。
思うがままにあるがままに生きることで人に嫌われることもあるだろう。
でもね、合わない人間と時間を一緒に過ごしてつまらない時間を浪費したくないから。
私と合わない相手自身にだって、私が相手にとってつまらない人間だって早く気が付いて貰えたら、有限な時間を大事に出来るだろうと思う。
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