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ちゃんと書くより先に慣れる

人に評価される、読んで貰えるに値する何かを書かなくてはと思うとどんどん書くことのハードルが上がる。まずはつまらない瑣末なことでも本音をそのまま書くことで慣れて行こう。

若い頃、自分のホームページを作ることが流行っていて、私も持っていた。
そこで出会った人もいる。

鬱とかリスカとかODとか躁鬱とか解離性同一性障害とか病名を名札にするのが流行ってたな。

それで同病で群れたり、メンヘラ女子に群がる男性がいたり、不思議なネット上の人間関係が各地で出来上がっていた。多分それは2000年代くらいの話。

今も似たような界隈があるんだろうか。
めんどくさそうだから首突っ込みたくないな。
もう、私素面だし。

別に多重人格を名乗る人全てが詐病だとは思っていないけど、結構詐病が多いことも、だから本当にそうなっている人が困っているのも、診れる人が専門家にも殆どいないのも、だからこそ難儀なことも知ってる。
精神疾患なんて、同じ病名であっても1人1人がまず違う人間なのだから、その症状は全て「似てるけど非なるもの」。
それか、全く非なるものに便宜上同じ名前がつく。それだけのものだから。

昔から、感情の扱いが下手だった。
それは、子どもの頃から家庭が両親の感情のゴミ溜めだったからだ。
自分が出している場合じゃ無かったんだよね。

感情の扱い方が分からなくて。

例えばここに私の虐待の体験や今まであった出来事を赤裸々に告白するとか、自分の隠していた部分に迫ることを書けば多分「早く」ても、それをした時に自分が解離してたら意味がないんだ。

後になってアレは私の中の別人格が勝手に書いたことだとか、やったことだとかにしてしまったら、後悔して居た堪れなくなる。
その状態って実は突発的に、衝動的に死ぬための行動をしたくなる程キツいんだよね。
それはしばしば暇な時間に訪れる。
眠れない夜とか、お休みの日とか。
ニートとか専業主婦とか、昼間に暇がある人はヤバい。
心病める人の1番の特徴は、病んでる暇があること。
人は四六時中何かしらやることがあって毎日が忙しくないとジクジク痛むココロを亡くせない。

心に隙を作ってはいけない。
常に主導権を握って居ないといけない。
緩んでボーッとする時はいい。
気がつくと何か不安を探して自分や誰かを責める、そんな暇は作ってはいけない。
死にたくなりそうな時はアドレナリンを出して目の前のやるべきことをする。
ウダウダ不安や愚痴、不満を言っているとどんどんドツボにハマるから。

一心不乱に目の前に取り組む。
緩む時はとことんボーッとする。
オンオフは大事だけれど、それと同じくらいの大事なことがある気がする。

それはオンでもオフでもない。
普通でいること。
普通の、フラットな状態って大事だと思う。

私は多分、普通を知らない。

ここに文章を書くことは、普通を思い出すリハビリなのかも知れない。
リハビリしながら、少しずつ今後の展望を書いて、実行していけたらいいと思う。


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