今の仕事への違和感。

日々とにかく「仕事に行きたくない」と嘆いているが、何がそんなに嫌なのか、ちゃんと向き合ったことがなかったので、向き合うことにした。

私は、療育の現場で、小学生以上の子どもたちを相手に授業をしたり支援をしたりしている。
療育とは:障害のある子(発達障害や知的障害などが多い)やその可能性のある子に対し、個々の発達の状態や障害特性に応じて、今の困りごとの解決と、将来の自立と社会参加を目指し支援すること
調べたところ、そう書いてあった。

この職場で働いてみて良かったなと思うのは、『個々に応じて』支援することができたことだ。学校や家や習い事では、そこまでできないだろうと思うほど、個々に寄り添う。Aさんは、どんな性格の子なのか、どんなことが得意で苦手で、いま何に困っているのかを、先生たちみんなが分かっている。
個々に寄り添って、それらの情報を集めるのが、まず第一の仕事なのではないかと私は思っている。その情報を踏まえて、例えば、学校で先生の全体指示(先生がクラス全体に出す指示のこと)を聞くことができない子、簡単に言えば、ぼーっとしてしまう子に対して、ちゃんと全体指示が聞けるようになるように訓練する。その訓練にあたる部分が、私たちの行う『授業』だ。そして、全体指示を聞けるようになるように、例えば、学校では席を前にしてもらうなどの環境への工夫を、親や学校に提案することが、私たちの行う『支援』だ。
こうやって考えると、1人1人にしっかり寄り添って、その子のためになることを考えるという意味では、とても良い職業だと思う。子どもが好きで、子どものためにどうにかしてあげたいと思う人にとっては、最高の仕事だ。

では、私は何に違和感を感じているのか。
おそらく「困り」に焦点をあてて考えていること、もっと言うと、大人側がAさんはこういうところができていないな=困っているだろうなと推測している「困り」をどうにかしようと、あれこれ考えることに違和感を感じているのだと思う。
私は、子ども自身の『自主性』に興味がある。子どもが興味があること、好きなこと、これやってみたい、あれやってみたい、こんなことができるようになりたい!・・・そんな子どもの思いに寄りそうことが好きだ。

でも療育に、子どもの「自主性」はあまりない。その子に必要そうなスキルをこちらが身につけさせているという時間がほとんどだ。


今の職場。子ども1人1人に寄り添うことができるのは、とても有り難い環境だ。子どもは1人1人違うということを前提にされた価値観は大好きだ。
ただ、1人1人のできないことに寄り添うのではなく、1人1人の自主性や興味関心に寄り添うことができる環境で働きたいと思う。

さらには、子どもが生活を営む過程で必然的に子どもの中に生まれた、自主性・主体性を引き出し、そこから学びに繋げられるような環境で働けたら最高なのだ。

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