マガジンのカバー画像

お米の神様 ?

31
昭和の暮らし、家族、ごはん。そんなものを書いてみました。 一部会話が山形県南部・西置賜弁ですが共通語字幕を入れたから大丈夫(のはず)  筆者がご近所や祖父母、両親、見聞きしたお料…
運営しているクリエイター

記事一覧

お米の神様?  第32話 お米は神様・2(最終話)

 兄とゲームに興じ、父のパソコンを直してやる息子を観ながら、私と母は台所に立った。  既…

10

お米の神様?  第31話 お米は神様・1

 私が東京に嫁いで20年ほどたったころ、山形の実家では建物を解体して建て直すことになった。…

6

お米の神様?  第30話 我が家の味

 1991年春、私は大学の同級生の愛するオタクと結婚した。  山形の両親が望む、大学4年間を…

5

お米の神様?  第29話 女子寮生活と週末自炊

 女子寮の食事は平日だけなので、土日は自分達で調達しなければならない。  大半の寮生は外…

2

お米の神様?  第28話 山の向こうに大都会

 じじちゃが『合格しろ』と言い残した高校に入学した私は、ほどほどにぬるい高校生活を送った…

3

お米の神様?  第27話 春まだ遠き

 兄と私は「学業第一」とくぎを刺され、あまりじじちゃのお見舞いに行かせてもらえなかったが…

5

お米の神様? 第23話 父とこたつみかん

 我が家は基本的に一つのこたつ、テレビ、そしてそれらがある茶の間を中心に形成されていた。  昭和のホームドラマかドキュメンタリー番組を見る際必ず登場する、典型的な「お茶の間」である。  食事もお茶も、母の手仕事も、祖父の居場所もこの茶の間だった。  祖母が亡くなってから、もともと無口な祖父はより一層口数が減り工場二階で糸繰の仕事をしている以外の時間は、お茶の間のこたつの北側の席に陣取り、黙ってテレビを見ていた。  民放はけたたましいといって、NHKを主に見ていた。  急に老け

お米の神様?  第24話 祖父と「ちーずけーき」

 幼いころは祖母にとんでもない料理もどきを試食させていた私だが、小学校高学年からいっちょ…

3

お米の神様?  第25話 じじちゃに桃のシャーベットを

 私が中学二年になったころ、祖父はちょくちょく検査と称して何日か入院することがあった。 …

3

お米の神様?  第26話 真冬のアイスクリーム

 祖父のいる静かな生活と、兄の腕白な、学校に親が呼び出される高校生活、そして部活を終えた…

6

お米の神様?  第22話 駄菓子屋とミルクカレー

 家の中がふんわりとした揺り籠だけではない世界に徐々に変わりつつあったが、兄と私は小学校…

2

お米の神様?  第21話 かさかさ ぎしぎしのおうち

 祖母の死後、慌ただしい野辺の送りと納骨、初七日、四十九日の法要と済むころにはすっかり春…

1

お米の神様?  第20話 花とおばあちゃん

「お兄ちゃん、かやちゃん、買い物さしぇでってけっからな(買い物に連れて行ってあげるからね)…

1

お米の神様?  第18話 フルーツパフェと祖母のサヨナラ

 3月31日。  この日は父方祖母の命日だ。  生まれて以来「おばあちゃん」と呼んでずっと一緒にいた、優しく穏やかな祖母が、私の目の前から永遠に消えた日でもある。  昭和46年。  祖父と祖母は二人きりで九州旅行へ行った。  体の弱い祖母は万一の事を考えて遠出しない人だったのに、なぜ二人きりで九州に出かける事になったのか、当時幼稚園児だった私にはわからない。  心配性の息子である父は反対しなかったのだろうか。  後で聴くと、その直前まで体の調子はよさげで、どこも悪いようには