映画「ディア・ドクター」感想

西川美和監督映画感想第3弾。最初からネタバレ全開感想。

映画感想

こういう正しさじゃ人は救えないのかもしれない系結構好き。ターミナルケアとか安楽死、尊厳死に通じる面もあり色々考えさせられた。

刑事が「偽医者を本物にしようとしていたのは村人達の方」みたいなことを言っていたけど、それは偽医者に限らずこの世のもの全てに通じることだよな。結局、本物とか正しいていうのは客観的、つまり多くの人がそれを本物と言えば本物だし偽物と言えば偽物って感じだからな。

個人と言う概念が生まれた近代以降、そして多様性とか言い始めた最近では一人一人が正しさを決めるって感じになりつつあるけど、やっぱり真に正しいことみたいなものはないんだろうなあと俺は思う。

資格の話

映画は無免許で医療行為を行ったので、警察がその無免許医を逮捕しようとうする過程を回想とともに見るというものだった。

途中で”資格”について、無免許医と新人医者の会話があった。無免許医は医師免許という意味での観点から、新人医者は医者としての技術的や人格的な観点から"資格"についてアンジャッシュ的な会話が織りなされた。2人が互いの観点で自分には「資格がない」って語り合っているのは人間らしくていいなと思った。

俺にとっては免許とか資格は利権のための道具に過ぎない。
免許や資格は権威を持たせて、資格を持っている方にとってはその権威を使って利益を得られる(だから、その権威を得ようとスキルを身に着けようと努力する)。資格を持っていない方も資格の有無でその人の価値を比較的容易に予測できるというメリットがある。実力ややる気は目に見えてわかるようなものでない場合も多いので、資格というツールはあると便利。既得権益を生むという弊害もあるけど、資格という物が存在しない不便さの方が都合が悪いので必要経費。

だから、「俺には資格がない・・・」みたいなことで俺は悩まないな。「どうやって資格があると他人に思わせるか・・・」で悩む。

騙されるについて

人に騙されるという表現をするけど、本質的には「自ら騙されようとしている人」しか騙されないものだと思っている。

映画でも村人たちは偽医者にそれとなく違和感を感じてはいたんだろうけど、「村に医者がいない」という事実を受け入れるくらいなら、「嘘でもいいから医者がいるってことにしておきたい」って内心で思っていたので見て見ぬふりをしたってことなんだろう。

騙される人ってのはこの事実を見ようとせずに自分に都合の良い妄想をしようとするから騙される。それを「信じる」とかいう綺麗な言葉にしているだけで、やっていることは現実逃避。「騙される」とか被害者意識甚だしいなと俺は思う。お前が勝手に「信じた」だけだろと俺は考える。

俺の考えた最強の社会福祉制度

作中では高齢化して過疎化した村の問題や、家族に迷惑かけたくないから治療を受けたくないという尊厳死的な問題が描かれた。そこで、俺の考えた最強の社会福祉制度を書く(トンデモなものだという自覚はある)。


まず、俺は人間50歳が寿命だと思っている。俺は「50歳まではどんな人でも生きる権利をもつ」と考えている。逆に言えば、「50歳を過ぎて生きる価値を証明できなければ死ね」とも考えている。

具体的な社会福祉制度を考えるなら、「50歳までは医療費や電気水道ガス等インフラ、公共施設使用料は無料。それを過ぎたら全額負担。ただし、50歳を超えたら安楽死制度は許可される。」みたいにする。

これを言うと「酷い」とか「お前はまだ若いから」とか「今自分が苦労していないから」みたいな批判がくると思うけど、なぜ俺がこう考えているのか最後まで聞いて欲しい。老人を冷遇したいとかではなく結構フラットに考えているつもりだから(ただ、かなりSFよりだけど。)。


まず、50歳という年齢設定は大多数の人が自然と健康に生きられる年齢だから。50歳までだったら、先天的に疾患をもっているとか、過剰に不摂生をしているとかでなければ体に不調を感じることなく生きられることが多い。50歳を超えてくるとどんなに健康に気を付けていても、体調を崩しがちになったり、頭や体が意志についてこなくなったりする。だから、人間という生物は構造的に50歳までは生きる生物だと考え、50歳までは生かそうという考えを元にしている。

また、次のようにも考えている。とりあえず、肉体が成長して完成する20歳までは可能な限り生かそうという考え。そして、それまで投資した分を回収するために最低同じ年数は働いてもらう必要がある。そのメンテナンス費用という考えで40歳までは無料でメンテナンス。プラス10年はそれでも中には事故で死んだり病気で死んだりするだろうからそのバッファ。

50以降から全額負担というのは極端かもしれないが、ここで中途半端に何割負担とかそういうことをやるから、仕組みが複雑化したり利権が発生したりと無駄が増える。仕組みはシンプルが一番。負担できなくて、死ぬまで病気で苦しむとか飢餓で苦しむとかしないように安楽死制度は設けてあげる。

これは、50歳まで生きた時点でシステムに対する貸し借りや関わりはなしになったという考えを元にしている。50歳まではある意味強制的にシステムに取り組み生かすことになる。だから、無料で恩恵を受けいれる代わりにシステムに従ってもらう。

しかし、50歳を超えたらその強制からは解放される。自由にしていい。引き続き、システムに加わりたいのであれば自分がシステムに加わることにより提供できるベネフィットを証明しなければならない。その分かりやすいものの一つが金っていうだけ。


もっと、いろいろ語れるけど長くなりそうだから終わり。

高齢化問題に関して

高齢化問題っていうと老人に対してスポットあてられるけど、俺はどっちかというと選挙制度とか医療システムに目がいっちゃうな。俺の身の回りには老人結構多いけど、別に長生きしたくて長生きしているって感じではないしな。死にたいとも思っていないけど、ある意味強制的に長生きさせられているって感じ。

選挙制度で言えば、今の政治体制を維持するのであれば老人を長生きさせた方が都合が良いだろう。老人は変化を嫌うから老人が多ければ変化しなくなる(変化を嫌うのは老人に限らないけど、程度の問題ね)。

医療システムで言えば、医療で金かかるのはやっぱり老人だから医療業界が金儲けするには老人は多くいた方が良い。医者になるには結構金かかるし、日本では頭良い奴は皆医者になりがちで、そういう奴らはそれなりにプライド高いだろうからそりゃ金儲けしたいよな。

俺なんかは世の中そうやって見ているから、あまり長生きしたくないなって思う。死にたいわけじゃないけど、政治家とか医者たちに利用されるのが解せないとかいう感情的な理由。

少なくとも「高齢者は助けてあげなきゃならない」とか「誰もが安心して暮らせる社会のために」とかいう理由で、助けられたくない。逆に、「お前ら老人や弱者を助けると俺らが甘い汁吸えるから助けてやるよ」って言われたらいくらでも援助を受けてやるって思うかもしれないけど。





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