それでもデザイナーと名乗ろう
今回紹介するのは『JIDA70周年記念エッセイ集』に掲載された私自身の投稿である。一昨年の2022年に創設70周年を迎えた、日本で唯一のインダストリアルデザイン全国組織である、公益社団法人日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)に所属するデザイナーのエッセイ集なのだが、残念ながら一般には頒布公開されていない。
私は著作者として、この文章を多くの方に読んでいただきたいので、800文字の寄稿文と、私がデザインした代表的な作品3点の画像を以下に紹介したい。
『それでもデザイナーと名乗ろう』
明日のデザインは、明日の人間のものである。
モノを通じて素敵な未来が見えていた1970〜80年代の製品に囲まれて育った私は、1990年代初頭に社会に出て「デザイナーのいない業界最大手企業の一員」となった。デザインを不要と考える人々に必要性を説き、実践していくことは容易ではない。それはデザインが製品開発の一部として認知され、組織化された集団の中で研鑽を積むデザイナーの業務とは大きく異なるものだ。創造を共にする仲間も、指導する先輩も、叱責する上司も存在しない。全て独りで獲得しなければならなかったが、その十余年間が私の基礎をつくりあげた。
独立してからは「産業機械」から「ゆるキャラ」まで、デザイナーとして関わってきたが、時代は下っていくばかり。手前勝手で不誠実、傲慢な人間たちに翻弄される日々も少なくなかった。社会へ出て30余年が過ぎ、かつて憧れたデザイナーの姿になることは叶わなかったが、これも自らが選んだ道である。世界は成功者ばかりで出来ているわけではない。
私のほとんどは苦々しくも稀有な経験から出来ている。心も体も壊し、大切な人に多大な迷惑をかけて、満身創痍になりながらも命だけは落とさずに済んだ。そして私はずっと、デザイナーだと見栄を切って生きてきた。世に出すことのできた製品、産み出した作品は、自らの想いが凝縮された愛すべき分身である。
時代の坂を駆け上がって老人となった先人の多くは、次の時代に無関心だ。彼らは輝かしい過去を語り、今を生きる皆さんにダメ出しするであろう。だが「君はどうしたい」と問うてくれる先輩がいたら、思いをぶつけてみると良い。先輩は必ずや、あなたが一歩を踏み出すヒントをくれるであろう。立ち止まっても後ろを向いても逃げても構わない。生きてこその人生なのだ。
私が手掛けた主なデザイン事例
あとがき
上記のエッセイは「私とデザイン」がテーマだったので私的な内容を書き連ねた。これから社会へ出てデザイナーを目指す学生諸君には「時代が違う」と言われてしまうかもしれない。
私がそうであったように、皆さんにはそれぞれの夢や希望があると思う。たとえそれが叶わなくても、周りの大人たちに踏みにじられても、あなたはあなたなのだから自信を持っていい。
人生はあなた自身のものなのだ。
(了)