
#180 千利休に学ぶエンターテインメントの美学【一笑門 マガジン】
どうも!海先輩です!
このマガジンでは、毎朝配信しているPodcastプログラム「海先輩の一笑門RADIO」の内容を発信しております。
****************************************
「人を楽しませるのが好き」
そういう人って、とても素敵だと思います。
日々の何気ない場面でも少し機転を利かせて華やかにすることで、毎日がワクワクして楽しくなりますよね。
ディズニーやUSJも良いですが、日常の中で感動を生み出すのも1つのエンターテインメントだなと思います。
おはようございます。海先輩です。
今日は「千利休に学ぶエンターテインメントの美学」というお話です。
利休といえば「お茶の人」として有名ですよね。
利休が生きたのは戦国〜安土桃山時代(1522年〜1591年)で、茶人・商人として活躍し、あの天下統一を成した豊臣秀吉の側近も務めていたんです。
そんな利休が今でも多くの人に語られるのは、その美学にあります。
「え〜別にお茶なんて興味ないよ〜」と思う人もいるかもしれませんが、利休からは、茶道に限らずエンターテインメントの美学も学ぶことができるんです。
利休は17歳の頃、武野紹鴎(たけのじょうおう)という茶人に弟子入りをするのですが、ある日紹鴎が利休に「今日はお客様が来るから、ちょっと庭を掃除しておいてくれ」と頼みます。
しかし、利休がほうきを持って掃除をしに庭に出ると、そこはちり1つ落ちていない超綺麗な庭だったんですね。
それを見た利休は突然、庭の木を揺らし木の葉を2、3枚落として部屋に戻っていったそうです。
何にもないより、木の葉が少し落ちている方が風情があって良いよねという利休の独特の美学からくる演出ですよね。
その後利休が秀吉の側近となった頃、秀吉は「利休の屋敷に綺麗な朝顔が咲いているらしい」という噂を聞き、「それはぜひ見てみたい!」と言って利休の屋敷に朝顔を見に行くことにします。
秀吉の家来達が事前に利休の屋敷に行くと、確かに綺麗な朝顔が所狭しと咲いていました。
それを聞いた秀吉は大喜びで、朝早くから利休の屋敷に向かったのですが、屋敷に着いてみると、なんと朝顔が全部刈り取られていて1輪も残っていなかったんです。
驚いたのは家来達で確実にあった朝顔が全くなく、秀吉は「朝顔はどこじゃー!!」と家来達を怒鳴り散らしています。
そこに利休が来て、なんら狼狽えることなく秀吉を茶室へ案内します。
ちょっと不機嫌な秀吉が茶室で身を正していると、その目線の先にはなんとたった1輪の真っ赤な朝顔が綺麗に生けられているのでした。
利休はたくさん咲いていた朝顔の中から最も美しい1輪だけを切り取り、その他は全部刈り取ってしまっていたのです。
なんとも粋な演出とその朝顔の美しさに、「利休、見事じゃ!」と秀吉も大変満足したそうです。
「利休七則」という有名なおもてなしの美学があるのですが、利休は常に、相手の立場を考えて行動をするようにしていました。
例えば「茶は服のよきように点て」は、直訳だと「お茶はちょうど良い加減で飲みやすいように作ろう」ですが、これは単に「お客様の好みに合わせよう」ということではなく、「お客様のその日の気分や飲む状況を察した上でお茶を作りましょう」ということです。
僕が個人的に好きな七則が、「降らずとも傘の用意」です。
これは簡単にいうと、「備えを怠らないようにしよう」という意味ですが、自分というよりは他人のための備えを徹底しておこうというニュアンスですね。
利休は誰かと出かけるとき、どんなに快晴でも必ず傘を持ち歩き、しかもその人好みのデザインの傘をピックアップして持ち歩いていたそうなんです。
エピソードでは傘ですが、つまりは「その瞬間は使わないけど、状況が変わったときに初めて必要になるものを準備しておこう」ということですね。
現代でいうと、「上司と営業に出かける際にスマホとPCのモバイルバッテリーを持っておく」みたいなイメージです。
このように千利休は独自の美学で役職問わず多くの人々を魅了してきた人物です。
その生涯は、仕えていた秀吉に切腹を命じられることで最期を迎えてしまうのですが、利休の切腹を執行するために茶室に訪れた秀吉の使いにもお茶をもてなして、その部屋で最期を遂げたそうです。
命よりもおもてなしの心を大切にした利休の美学は現代人にも響くものがたくさんあるので、ぜひ参考にしてみてください!