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無関心の価値
かつて、近所のコンビニエンスストアに買い物に行った際、
よくレジ対応をしてくれる店員さんに、1日2度もレジ対応をしてもらったことがあった。
翌日、また同じコンビニに行くと
『こんにちは。今日もありがとうございます。夕食ですか?』
と聞かれたので、当たり障りのないことを答えておいた。
以後しばらく、そのコンビニには行かなくなった。
もちろん、店員さんは悪くない。
だけど、僕はコンビニという存在に『それ』を求めていない。
“認識されている” そう感じたとき、自然と足が遠のいてしまった。
きっと、贅沢な話なんだろう。
人との関わりを持たずして、生きていこうなんて。
でも、コンビニには『無関心である』という、内気な人間にとって絶大なる価値がある。
かたや、スポーツ店や家電のお店では、店員さんをつかまえてあれこれ聞くのが僕である。
僕が何を求めているのか、ちゃんと関心をもって理解してもらい、良いものを見つけたいから。
関心と無関心の使い分け。
未来のお店が、そんなふうになったら、嬉しいな。