【書評】三浦つとむ『日本語はどういう言語か』

 筆者が三浦つとむの名を初めて知ったのは、史学科の学部生の頃に読んだ吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』においてであった。その頃の筆者にとって、史学科は非常に場違いな場所のように思えた。もちろん、それは人間関係の悪さを意味しない。むしろ、そこは筆者とは住む世界の異なる人間が集う場所であるに過ぎず、ゆえに、当の筆者は、その世界の住人と関わることをあえて避けていたのである。それでどうしていたのかと言うと、講義が終わればすぐ喫煙所に向かい、そこに入り浸り、必修の英語の講義で知り合った日文科や英文科の学生もやがてそこにやって来て一緒に話し込んでいたのであった。むろん、史学科で卒業論文を書き切れるとは、その頃とても思えなかった。史学科では、筆者は異端そのものだったのである。
 風向きが少し変わったのは、二年目の初めに、日本思想・宗教史の講義を履修してからである。当初は何事も思うことなく履修したのであるが、講義を聞いているうちに思想史の流れに興味が湧いてきたのである。そして、この分野を研究しようと思い立ち、以来ありとあらゆる哲学や思想関連の本を乱暴にではあるが読み込んでいった。吉本の『言語にとって美とはなにか』は、その過程のなかで読んだうちの一冊である。そのなかで吉本が、言語学者としての三浦つとむに言及していたのである。だが、その頃の筆者にとって、吉本も三浦も重要な人物ではなく、吉本の著書はその後何冊か読んでいたものの、三浦のものは手に取ることなくその名のみ脳の奥に放り込まれていった。
 そんな三浦の『日本語はどういう言語か』を読むことになったのは、とある必要上からごく最近のことである。そのタイトルと形態から、筆者は当初、新書にあるような入門書のようなものと思い込んでいたが、非常に難解な内容であり、最後まで読み通すのに二か月ほどを要した。吉本もその内容が高度なものと解説しており、本書がいかに大知識人をも唸らせるものであるかが窺われる。そんな吉本をも唸らせるものを書く三浦つとむとは一体どのような人物なのか、今ではあまり知られていないこともあり、簡単に紹介してもよさそうだ。三浦は、1911年に東京で生まれ、実業学校を中途退学し、以後、独学で社会科学、言語論、芸術論を研究、戦後になり日本共産党に入党するも、1950年にスターリンの言語学が発表されるや、それに対する時枝誠記の批判的論文を用いて批判し除名となる。1956年に『日本語はどういう言語か』を出版し、それ以後は吉本が発行する『試行』誌を主な拠点とし、1989年に没する。
 三浦について、まず驚くべきことに、大学教育を受けていないどころか、実業学校すら中途退学していることである。研究者で他に類例を見たことがない。そのなかで、独学で研究を続け、東京工業大学を卒業している吉本をも唸らせる本書を書いているのだから、敬服の外はない。また、スターリンの言語学を批判したとあるが、本書にも少しスターリンの言語学に対する批判が書かれているので、後で簡単に紹介する。
 三浦は、本書の「まえがき」(この「まえがき」は1976年の改訂新版のもので、初版は1956年)で、ヨーロッパの言語の特殊性が言語の共通性となっていることから、日本語の特殊性が正しく理解できないという事情により、科学的な言語学の初歩を記しながら日本語について説明した本を作ろうと思ったと述べている。それが本書である。そのため、本書は言語についての説明と日本語についての説明との二部構成となっている。
 第一部で言語について説明するにあたって、三浦はまず言語と絵画と映画とを比較して、これらの共通点を見ようとする。これまでの言語学者が言語のことばかり論じてきたからだが、実際に両者を比べてみると、いずれも作者の表現であり、かつ精神的な交通の手段であることがわかってくる。そこで三浦は、二人の子供に同じ机を写生させたスケッチを提示する。いずれも同じ机をスケッチさせたものであるが、同じ机と言っても、二人の子供は異なる位置において机をスケッチしている。そのことから三浦は、「子どもは自分の位置を示そうと意識しなかったにもかかわらず、結果としては画面に作者の位置を示すこと」になると考える。写真の場合にも同じことが言え、三浦は絵画と写真について、「客体的表現(作者の捉える客体についての表現)」と「主体的表現(作者の位置や見方や感情等々)」との二つの表現の統一体というふうに規定している。
 同じことが言語についても言えそうである。三浦は、言語について、音声や文字を含め、その背後には対象から認識への複雑な過程的な構造があり、それが意味を形成し、その意味が音声や文字に含まれているというふうに考えている。筆者が考えた例ではあるが、具体的に言うと次のようになる。例えば、誰かが上記のスケッチの場合のように、机という対象を見て(認識)、それを文字の上に表わすとする。その机(対象)が近くにあるとすれば、「近くにある机」と書くことになる。自分の目の前にある机(対象)を見る(認識)、これが意味であり、この意味が「近くにある机」といった音声や文字の背後にあるということである。このために三浦は、個々の単語を原料とし、それらを組み立てて、言語を作り出すモンタージュ論者の言語観を退ける。したがって、三浦は対象→認識→表現という過程的な骨組みから、時枝誠記と同じように言語過程説の立場を取ることになる。
 言語過程説の立場を取るからには、当然のように言語構成観や言語道具説と対立することになる。言語構成観は、先に挙げたモンタージュ論者の言語観と相通ずるところがあるが、現在では誤訳による誤解が解けたソシュールが、時枝によってその代表格とされている。言語構成観については、ここで詳しく立ち入らないが、言語道具説について触れておく。言語には、どういう概念にどういう形を使うかについて、社会的な約束が成立している。だが三浦によれば、社会的な約束は言語でも言語の材料でもない。にもかかわらず、多くの言語学者が社会的な約束を言語であるかのように考えている。三浦は、橋本進吉がそのように考えているとし、スターリンの言語学も同様だと言っている。社会的な約束を言語そのものと見ることの何が問題かと言うと、三浦によれば、言語から話し手の持つ特殊性が追い出される。そうなると、話し手の持つ階級性の言語への制約も追い出され、言語にある階級性が否定されることになる。そして、言語、言語の材料と見られるものが話し手の思想とは別個に存在し、話し手がこれらを思想伝達のための道具として使うという結論になる。これが言語道具説の内容であり、三浦が否定すべきものである。三浦はその他にもスターリンの言語学について手厳しい批判を加えているが、ここでは割愛する。
 言語過程説の立場を取る三浦からすれば、当然にも同じ立場を取る時枝は好意的なものとなる。事実、時枝の言語過程説に基づく日本語の研究は、国語学ばかりでなく言語学においても新しい時代を画する出来事だと三浦は評している。そして、時枝の理論の優れた点について次のように言っている。

一、言語を過程的構造においてとりあげたこと。
二、語の根本的な分類として客体的表現と主体的表現の区別を採用したこと。
三、言語における二つの立場――主体的立場と客体的立場――の差別を問題にしたこと。

 だが、三浦は時枝の理論の欠点の列挙も忘れていない。三浦はその欠点について四点挙げている。以下に記す。

一、言語の本質を「主体の概念作用にある」と考えたこと。
二、言語の「意味」を「主体の把握のしかたすなわち客体に対する意味作用そのもの」と考えたこと。
三、言語表現に伴う社会的な約束の認識と、それによる媒介過程が無視されていること。
四、認識を反映と見る立場が正しくつらぬかれていないこと。与えられた現実についての表現と、想像についての表現との区別およびその相互の関係がとりあげられていないこと。ここから主体的立場の規定も混乱していること。

 三浦は、時枝の理論の欠点について、時枝が現象学の助けを求めたことに原因を求めている。三浦によれば、その限界や観念論としての欠陥を言語過程説のなかに持ち込むことになり、それが言語過程説を否定する人達(とりわけ先に挙げた言語道具説論者)の理論的根拠となっているという。
 ここまで三浦の言語論の基本的な枠組みを紹介してきたが、筆者もその言語論にはおおむね肯定的である。言語を過程的な構造として論じたことが最大の理由である。とはいえ、そんな三浦の言語論にも欠点がないとは言えない。だが、筆者にはその言語論の欠点を指摘できるほどの力はまだない。その点は今後の課題にするつもりでいる。今ではすっかり忘れ去られている三浦の研究を改めて紹介するだけでも有益なことであると考えている。
(講談社学術文庫、1976年6月刊)

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