山崎行太郎「藤田東湖と西郷南洲⑧ 人を殺す思想こそ本物だ テロリズムの現象学」(『維新と興亜』第15号、令和4年10月28日発売)
《存在の深淵》という世界
山上徹也が、安倍元首相を銃撃・銃殺して以来、テロやテロリスト、テロリズムというような言葉が、私の脳裏を離れない。私の若い頃は、テロの時代だった。浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢事件、ケネディ暗殺事件、永山則夫の連続射殺魔事件、連合赤軍事件、浅間山荘事件。テルアビブ・ロッド空港銃乱射事件……。テロリスト(犯人)たちは、ほぼ同世代だった。私の思想形成には、《テロやテロリスト、テロリズム》は、重要な思想的意味を持っている。たとえば、その頃、メルロ・ポンテイに『ヒューマニズムとテロル』という本があり、高橋和巳に「暗殺の哲学」という本があった。私と同世代の推理作家・笠井潔は、『テロルの現象学』という本を書いていた。しかし私は興味はあったが、いずれも読まなかった。私はヒューマニズムという思想が嫌いだったからである。これらの本には、ヒューマニズムの匂いがした。ヒューマニズムの観点からテロを批判している本だろうと私は、直感的に感じとって、読まなかったのである。
その頃、私が読んだのは、大江健三郎と小林秀雄とドストエフスキーとニーチェだった。私には、善悪を思考の基準にする善悪二元論的な思考が、どこか胡散臭いものに見えた。特に善の視点から悪を告発・糾弾する思考が嫌いだった。それらの思考は 《思考停止》にしか見えなかった。私は、その先を知りたいと思った。「何故、君らは、《果て》まで行こうとしないのか」と小林秀雄は、ドストエフスキー論のなかで言っている。私は《果て》まで行こうと思った。そして、ニーチェの『善悪の彼岸』や『道徳の系譜学』というような本にめぐりあって、私の思考のモヤモヤは消えた。善悪二元論の向こう側にある《存在の深淵》という世界を、私は知った。
私が、夢中になって読んだ大江健三郎や小林秀雄、ドストエフスキーなどの小説や批評には、《テロリズムの匂い》がした。私は 《テロリズムの匂い》のしないものは読まなかった。
大江健三郎に、山口二矢をモデルにした『セヴンテイーン』という小説がある。その続編に『政治少年死す』がある。この『セヴンテイーン』という小説は、《オナニーをしながら天皇陛下万歳……》と叫ぶシーンなどがあり、右翼の一部からの激しい批判と攻撃を受けて社会問題化し、続編の『政治少年死す』が出版禁止になり、実質的に絶版になるという事件があった。いずれにしろ、私は、この『セヴンテイーン』という小説に、深い衝撃を受けると同時に、あらためて、文学や小説というものに深い感銘を受けた。やはり、文学や小説は、歴史学や政治学、経済学などのような通常学問とは異なり、《存在の深淵》に立ち向かうジャンルであり、凄いものだと思った。
雑学的教養では表現できない右翼思想
さて、私は、この連載で、藤田東湖と西郷南洲について書くつもりであったが、すっかり脇道にそれてしまった。しかし、確かに、脇道にそれているように見えるかもしれないが、私が、元々、書きたかったことは、藤田東湖や西郷南洲の《思想》ではなく、その生き方、つまり《実存》や《現存在》の方であったから、必ずしも脇道にそれてしまっているわけでもない。というわけで、今回も、敢えて、脇道にそれることにする。
藤田東湖と西郷南洲の二人は、江戸の水戸藩屋敷で、最初に面会した時、一瞬にして意気投合し、肝胆相照らす仲になったといわれているが、それは、どういうことだったのだろうか。二人は、お互いに、一目会っただけで、《何か》を感じ取ったのだろうと私は思う。その《何か》とは何だったのだろうか。それは、おそらく、《テロリストの哀しき心》(石川啄木)、つまり《テロ、テロリスト、テロリズム》とでも言うべきものだったのかもしれない。瞳の奥深くに、いわゆる《人を殺す思想》を読み取ったのかもしれない。西郷南洲は言うまでもなく、幕末の大思想家であった藤田東湖からは想像しにくいかもしれないが、藤田東湖もまた、若い頃は、命知らずのテロリストだった。
というわけで、大江健三郎のテロリスト小説『セヴンティーン』を読んでみようと思った。『セヴンティーン』は、第一部と第二部に分れていて、第二部に当たる部分が『政治少年死す』であるが、この第二部の方は、右翼からの激しい批判、攻撃を受けて、出版不可能になった、いわくつきの小説であるが、私は、山上徹也事件からこの小説の存在を思い出した。あらためて読み返してみて、この小説の《熱狂》と《狂気》と《行動》の強烈なエネルギーを感じて、恐ろしくなったほどだった。やはり才能ある小説家の書くものは違うと思う。
沢木耕太郎というルポライターの書いた『テロルの決算』も、山口二矢をモデルにした作品らしいが、私は読んだことはない。私は、そもそも沢木耕太郎の作品にほとんど興味がない。その甘ったるい叙情的文章が、私の文学的鑑識眼に合わないからである。沢木耕太郎の文章には《熱狂》と《狂気》と《行動》のエネルギーがないのだ。話は変わるが、私が、この連載で、片山杜秀の『近代日本の右翼思想』を批判したのも、ほぼ同じ理由からだ。片山杜秀の『近代日本の右翼思想』にも右翼思想の片鱗ぐらいはあるだろうと思っていたが、「右翼思想」がないどころか、その片鱗すらなかった。ただ、右翼思想の形骸があるだけだった。そこへ行くと、大江健三郎の『セヴンティーン』は、まったく異なる。一読した三島由紀夫は、感動し、作者・大江健三郎に手紙を書いたそうだ。「右翼テロリズム」の神髄がよくわかっている、と言いたかったのだろう。大江健三郎の『政治少年死す』は、主人公が逮捕されてから獄中自殺までを描いている。『セヴンティーン』の前編では、平凡な高校生が、右翼民族運動の指導者の街頭演説のサクラに誘われて、いつのまにか、過激な右翼少年に変貌する様子が描かれている。しかし、モデルになった山口二矢のことが、事実にそって、詳細に描かれているわけではない。その点では、沢木耕太郎の『テロルの決算』の方が詳しいかもしれない。しかし、言うまでもなく、事実や資料だけでは、右翼少年や右翼思想の真髄を、あるいはその《熱狂》と《狂気》と《行動》のエネルギーを描き出すことは出来ない。
『政治少年死す』は、現在、『大江健三郎全小説3』で読むことが出来るが、私は、鹿砦社発行の小冊子『憂国か革命か テロリズムの季節のはじまり』(2012)で読んでいる。この小冊子には、ほぼ同時に発表され、右翼からの批判攻撃で、現在も絶版状態にある深沢七郎の『風流夢譚』も掲載されているが、私は、そちらには、あまり興味がない。小説の文体の濃密度が違う。私は、絶版状態に追い込められた小説とはいえ、同じ次元であつかう必要を感じない。
さて、大江健三郎の描く右翼思想の真髄は、その文体にあらわれている。言い換えれば、右翼思想の真髄は、文体を通してしか、表現出来ないものなのではないか。
《夏はまさにあらわれようとしていた、空に、遠くの森に。セヴンティーンのおれの肉體の内部に。夏は乾いた舗道の地面にむかってゆるめられる消火栓からの水のように盛んに湧こうとしていた》
これは、『政治少年死す』の冒頭の文章だが、ここには、右翼少年や右翼思想に関する具体的な描写はない。あくまでも象徴的に 、比喩的に、右翼思想の真髄を描こうとしている。そして、さらに次のような文章が続く。
《おれは、雨あがりの朝、左翼たちの集團が包圍をといた國會議事堂前廣場を、青年行動隊の仲間たちと訪れて、 罐ビールを飲んだ、 勝利を祝うために。おれは勝利にわずかながら酔い、そしてもっと豊かな寂寥感を頭の中に、また胸のなか躰中の筋肉のなかに熱いむずがゆさのようにそだてた。左翼たちは石器時代の人間のように石をその武器とするために現代の工夫が固めた舗道の石を剥ぎとっていた。》
ここにも、モデルとなった山口二矢を連想させるような具体的な描写も表現力もない。しかし、右翼少年や右翼思想の核心のようなものは伝わってくる。この小説が、右翼活動家たちの怒りを買ったのは、ここに右翼少年や右翼思想が、生き生きと描かれていたからではないのか。彼らも、大江健三郎の『政治少年死す』に、三島由紀夫がそうだったように、熱い刺激を受けたはずだ。そもそも右翼思想は、あるいは思想と名のつくものは、片山杜秀の『近代日本の右翼思想』がそうだったように、雑学的教養や資料収集でかき集めた二次情報などで、容易に表現出来るものではないのだ。
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