小津安二郎監督「東京物語」感想

第11回 2022.8.21開催 他会員当番推奨映画「東京物語」(1953年公開)
先日からもういちど観なければと思いながらも、後回しになっていた「東京物語」を日曜日を利用して観終わった。
昨年の1月に「わが青春に悔なし」(黒澤明監督1946年作品)を観ての感想をモノクロ作品ジャンルの方で掲載してもらっているが、その時に参考のため「東京物語」「晩春」「麦秋」(←これは途中まで)の「紀子3部作」をすでに観ていたのである。「麦秋」の残りも「東京物語」を観終わっての夜半に残りを少し観始めたが、最後まで観たいと思えなくてストップした。パターンが似ているのである。

おそらくライバルであった黒澤明は小津より7歳ほど年下であるが、敗戦翌年の46年に原節子主演で「わが青春に悔なし」を公開している。参考になると思うのでこちらの原節子をぜひ観ていただきたい。
※黒澤のその後の初期作品は「酔いどれ天使」(48)「野良犬」(49)「羅生門」(50)、そして志村喬主演で「生きる」(52)である。
小津の方は、公開年代順で書くと「晩春」(1949)「麦秋」(1951)「東京物語」(1953)であるが、最後に作られた「東京物語」が内容に深みもあり一番完成度が高いと思えた。
有名なローポジション、カメラの固定撮影、相似形etcのスタイルは、すでに同じである。
小津作品は3部作しか観ていないのであるが、それらに関しての小津のテーマは「家族」「親子」であるのだろうが、果たして原節子(1920~2015)は、この三つの役を気に入っていたのであろうか。
役を気に入る気に入らないは、引退後は全く公の場に登場せず沈黙を守った幻の「女優」であるから、誰にも真相はわからないのであるが。。
個人的にであるが、香川京子には箱入り娘東京の山の手のお嬢さんらしさを感じるけれど、原節子は顔立ちが派手すぎて、特に口と鼻が大きいため、上品さを感じないのである。
美しいけれど真っ赤な口紅を塗ってこそ映える口元だと思う。
大きな体躯には洋装は似合うが、着物は似合わない。
モダンで美しい彼女には、働く女性が相応しい。といっても終戦直後は、女性が働ける場所は限られている。学校の先生や秘書は、知的な職業の代表であったのだろう。原節子の職場はブリジストンのタイヤが置かれていたりマネキンがあったりで、どんな会社なのかよくわからなかったが、事務職であった。OLではなくBGと呼ばれていた時代のワーキングウーマンである。

時に原節子が見せる笑顔が止まった時の表情、隠された素顔の意味するものは、複雑なのだろう。
女性ひとりで東京で生きていく厳しさ、今でも大変なのに70年近く前には、どれほど大変だったことか。

さて「東京物語」であるが、今は亡きそうそうたるメンバー揃いで、東山千榮子、杉村春子、山村聰、東野栄治郎、中村伸郎など、山村聰以外は俳優座、文学座の創立メンバーだ。
笠智衆は黒髪の「麦秋」での原節子の兄役よりも「東京物語」のお義父さん役の方がずっといい。
公開年数でたった2年しか違わないのに、あの老け様に驚きであった。
尾道の市役所で定年まで勤め上げた教育課の元課長で、温厚でごく普通の勤め人であった役はぴったりだった。
戦争中は、家族はどうしていたんだろうと観ながら思った。
特に医者役の長男の山村聰の家族は、中学生になったばかりの男の子が12歳だとしたらこの子は戦争中に生まれていたわけで、もう少し家族の歴史が知りたかった。原節子の戦死した夫のことも”いつどこで”がなくて、少し物足りなかった。
同じ親に育てられた兄弟姉妹でも、性格はずいぶん違うものである。杉村春子のちゃっかりを通り越した意地汚さは、杉村本人を嫌いになるほどにリアルであった。これを名演技というのだろう。
東山千榮子も上手である。「東京物語」は、役どころをがっちり押さえた俳優座と文学座の大御所オールスター大会でもあった。

熊本訛りが抜けなくて万年大部屋俳優の笠智衆を名優にしたのは小津安二郎だといわれている。朴訥なセリフ回しは大根役者そのものであるが、妙に味がある。黙っていれば絵になる名優は、それほど多くはいないと思う。

一番好きな場面は最初と最後の風景だ。家々の屋根が連なる美しさと瀬戸内の穏やかな海。
尾道は何度か行ったことがある町。情緒のある坂の町。
足を延ばして「鞆の浦」もいい。
 

 

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