松永大司監督「エゴイスト」(2023年公開)

旅行先の大阪梅田のシネ・リーブルで観た「エゴイスト」感想
              2023.3.8記   石野夏実
 
監督と脚本は松永大司で俳優出身の48歳。すでに話題作を何本か撮っている。「恋人たち」の橋口亮輔監督(ゲイを公言)の映画にも出演し、また同監督の2作品の助監督も。
原作は高山真の同名自伝小説。高山氏の死後に映画化され、この原作は文庫本にもなり、現在映画のヒットと反響も大きく重版中。
この映画は、元女性誌編集者でエッセイストの高山真氏と、その高山氏の急死した若い恋人、恋人の母親との三人の物語である。

主人公のファッション雑誌編集者=浩輔〈30代)に鈴木亮平。
体を売って病弱な母親との生計を立てている若者、龍太に宮沢氷魚。
龍太の母親に阿川佐和子。三人共に適役で、他の俳優は思いつかないほどであったが、母親役は原田美枝子でも良かったのではと、あとになって思った。作品も俳優陣も色々な賞を獲るのではないだろうか。
 
 
ある日ジムのパーソナルトレーナーをしている龍太のところに、友人から紹介された浩輔がトレーニングを受けに来た。
浩輔は、龍太が気に入った。龍太は若くて美しく言葉遣いも丁寧だ。

龍太は愛想がいいが、仕事なので本当のところはどうなんだろうと、原作も読まず映画の内容もほとんど知らないまま旅行中の大阪で、空き時間が出来たために映画館に飛び込んだ私としては、始まりの龍太の笑顔に半信半疑であった。
龍太は浩輔からのお金もきちんと受け取るし、お母さんへのお土産といって浩輔が帰り道で買ってくれた高級鮨も和菓子も、遠慮はするものの貰って行くからだ。ひょっとして、お母さんの話は嘘ではないだろうか、と思うほどだった。
浩輔が騙されていなければいいけれど、と思いながら映画の進行を見守った。
龍太が浩輔のマンションから帰る時、浩輔はベランダに出て手を振る。龍太も笑顔でそれに応える。ふたりは、本当に惹かれあっているのかもしれない、と思い始めた。

数々のドラマの中での裏切りを見慣れている私としては、こんなにあっさりふたりが両想いになっていっていいのだろうかと思った。
見ているこちらが、意地が悪く素直でないのかもしれない、とも思った。

ある日、龍太は浩輔を病弱な母親(阿川佐和子)と暮らすアパートに招いた。
以前、手渡したお鮨や和菓子のお礼を母親は浩輔に言う。龍太の話は全て本当のことだった。母親は、孝行息子が友人を家に連れてきたことをとても喜び、手作りのおふくろの味で歓待してくれた。
 
浩輔が毎月決まった額(20万円)のお金を渡すことで龍太は体を売る仕事を止め、肉体労働や料理店の下働きをするようになった。

しかし幸せな日々は長く続かなかった。ある日、ふたりでドライブに行こうと浩輔が待っていると、龍太の母親から携帯に電話がかかった。
母親が龍太を起こしに行ったら、ベッドで眠ったまま死んでいたのだった。思いがけない龍太の突然の死。

お通夜の席で浩輔は、足に力が入らず腰が砕けて立ち上がれない。これほどの心理状況になっている鈴木亮平の演技は「そうなるんだろうな」と思わせるほどの大きな説得力があった。
 
後半は、浩輔=鈴木亮平と龍太の母親=阿川佐和子のふたりが向かい合う。

病気の母を8年間の闘病の末14歳でなくした浩輔は、龍太の母親に自分の母を見る。すでに彼女は末期のガンであった。収入のあてはない。浩輔は現金の入った封筒を差し出す。受け取れないと返す母親であったが結局は有難く受け取るしかなく、この場面は、せつない。
(原作では生活保護の申請が許可される)入院している彼女の見舞いに、息子のように訪れる浩輔であった。
見舞いの花を活け終わり、枕元での時間を過ごし、帰ろうとする浩輔に母親が「まだ帰らないで」と懇願するところで画面暗転、映画は終わった。

となりの席で30歳前後?の男性がすすり泣いていた。最後列に近かったので、前方の様子がよくわかったが女性客が多かった。梅田のミニシアタ―「シネ・リーブル」の2月25日の日曜日、昼の座席はほぼ満席で、すすり泣きの声があちらこちらから聞こえた。
残念ながら、私は泣かなかった。

旅行から帰り3日後、原作の少々薄い文庫本を買って一気に読んだ。活字もやや大きく会話箇所も多いので、読了までにそれほど時間はかからなかった。
 
観てから読んだ今回の場合は、120分の上映時間の場面の割り当てに興味があった。原作のどこを使ってどこをカットしていたか、何の描写に力を入れ強調したか、原作を変更したところは等々、思い出しながら考えた。 
 
 
ひとつの出会い、ひとつの恋愛、その後ろにある家族、友人、人間関係。
思い切り本気で人を好きになることは、人生の中で何度もあるものではない。
この映画は、高山氏が最愛の恋人の突然の死〈2007年)とその母親を看取って〈2009年)から1年後に、ほぼありのままを小説にした自伝小説が原作だ。
時間の経過を知りたくて高山氏のブログを遡って読んでみた。
単行本「エゴイスト」は2010年9月に浅田マコト名で出版され2022年8月に文庫本初版発行。23年2月に4刷であるが氏の他の著作も売れているようだ。
 
「エゴイスト」という題名、私はしっくりこなかったので、しっくりくるまで考えるしかないと思った。
「利己主義」とは自分勝手、自分のことしか考えない、という意味合いで普段使うから、今ひとつ高山氏がつけた題名は謎なのだっだ。
「愛する人のために何かをしてあげたい」という気持ちは「エゴイスト」から一番遠い心情だと思えるのだが、果たしてこれは浩輔の「エゴ」なのか。
最初からこの二人には金銭の関係が大きかったが、「貢ぐ」という一方的な愛情表現と言い切ることはできない関係にまでふたりの関係は進んだ。
特に龍太亡き後の浩輔と母親との関係だ。
しかし、いかにふたりが恋愛と呼ぶ恋人同士であっても、絶対的に浩輔の方が年齢も収入も格段に違うので対等とは思えない。

愛は気持ちで、気持ちは金銭で、それがなければ生活していかれない現実を浩輔は知っているからこそ、金銭を渡す。
気持ちとして金銭を押し付けることは最たる「エゴ」なことなのだろうかと思ったから高山氏は自伝小説を「エゴイスト」という題にしたのであろうか。いや、そんなことはない。
しかし全く私見であるが、浩輔は、というよりカミングアウトしている女装のオネエたちは、外見を見ても自虐的なところが感じられる。
仕事を変えたことによる過労も、ひとつの大きな死因であろう龍太に対し、それは自分のエゴの押し付けではなかったかと浩輔は自分を責めているのかもしれないとも思った。
浩輔には、龍太が母親と肩を寄せ合って生きている貧しい生活を乱したという自覚もある。自分が現れなかったら、この若さで死んでしまうことはなかったかもしれないという自責。相手に何かをしてあげたいという気持ちは自己満足の「エゴ」なのだろうか。
原作者は、文庫では金銭や細かいことにけっこう拘る。手巻きずしの材料にいくら使ったとか、もちろんそれを書くことに躊躇しないから、書いているわけだが、書くこと自体が軽い発想だと思う。龍太の時間をお金で買うことから始まり、気持ちをモノで表したり生活の援助にお金を渡す。中年の社会人として生きている、渡す側の成功している大人の発想ではないだろうか。
 
同じゲイの映画でも、外見変わらず対等な関係でさりげなく普通に生きているふたりの映画の方が私は好きだ。多様な恋愛、多様な関係、多様な生き方、世の中はどんどん変化が表出している。すべては個人の問題。国家や他人が関与する問題ではない。
 
少子化が大問題?対処の方法はいくらでもある。


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