柳美里作「JR上野駅公園口」(2014)
2014年3月河出書房新社刊行 柳美里作 小説「JR上野駅公園口」
2020年 全米図書賞翻訳部門受賞作
2022.2.27記 石野夏実
※同人誌の22年3月読書会のテーマ本感想です。数字も当時のままです。
この小説は、読み終わってからもういちど何年のことが書かれていたのかを確認するため、数字のメモを取る必要がある小説だった。
この物語は時代背景とその年号が、とても重要だと思ったからだ。
主人公のカズはいつ生まれ、いつ上野公園のホームレスになり、いつ亡くなったのか、息子浩一や妻節子の亡くなった年齢とその年号も把握しておかないと、場面転換に置いてきぼりにされてしまい迷子になってしまう。
先ず年別の整理が必要であろう、と思った。
書きたいテーマは「ホームレスと天皇制」であろう。世界から見ればこの国は、れっきとした「立憲君主制の国」である。
また、作者あとがきに2014年2月7日と日付が入っているので逆算すると、実際の構想(居場所のない人々と天皇制を書く)はその12年前の2002年頃であり、また8年前の2006年には、ホームレスの人々の間で語られる「山狩り」(行幸直前に行われる『特別清掃』)の取材を3度行ったと書かれている。参考文献として数多くの書籍も。
その後、2011年3月11日に東日本大震災が起き、翌日から立て続けに福島第一原発の1号機3号機の水素爆発、4号機の爆発事故が起き、作者は同年4月21日から半径20キロ圏内の「警戒区域」に通い始めたとのこと。
1年後の2012年3月からは、南相馬市のFMパーソナリティも週にいちど務めるようになり、地元に縁がある方々をゲストに迎え200人以上から話を聞いたそうである。
この地は、原発を誘致する以前は、一家の父親や息子たちが出稼ぎに行かなければ生計が成り立たない貧しい農家が多かった土地柄である。
家を津波で流されたり、「警戒区域」内に家があるため避難生活を余儀なくされたり、出稼ぎで郷里を離れているうちに帰るべき家を失くしてしまったホームレスの人々の痛苦が、作者の中で相対し、2者の痛苦を繋げる蝶番の様な小説を書きたいという思いから、この小説は出来上がったとのことである。
※作者は2022年現在、南相馬市小高区に在住。ブックカフェを営業中。
さて、以上の予備知識を踏まえ、ホームレスの男性カズを主人公にする構想で取材や聞き取りが生かされたはずであるが、インテリのシゲさんの掘り下げももう少し欲しかったし、もろもろの感情経過を経て来ているはずのカズはもちろん、実際のホームレスたちの心情の奥深くにまで創作は到達できたのだろうかとも思う。
カズの半生は、福島県相馬郡の八沢村からほとんど出稼ぎだけの人生で、父親不在の一家の様子の描写が足りないため、次から次へと亡くなる身内の数は多いが家族物語としての説得力が弱い気もする。
しかし、要所は押さえているので、これでいいのかもしれない。
場面(時間)は、ふいに動くことが多く、例えばp.156で天皇(今の上皇)も自分も昭和8年生まれで73歳になり、皇太子(今の天皇)と同じ日に生まれ、21歳で亡くなった息子は生きていれば46歳になる、と書いているのであるが、ではそのページは2006年ということになるとメモを取って計算しなければ、話が前後しすぎて混乱してしまう。
実は、作者が第116回(1997年下半期)の芥川賞を受賞した「家族シネマ」(辻仁成と同時受賞)も、いきなりの場面の転換が何度もあるので、面白いといえば面白いのであるが、この「上野駅」の方は場面だけでなく年代も絡んで重要なので、混乱は必至である。
この作風は、彼女の性格による個性なので仕方がないことなのであろうか。
内容に戻ろう。結局、2006年(カズ73歳)に7年間やっと夫婦水入らずで暮らすことができた妻が突然65歳で亡くなり、21歳の孫娘が一緒に暮らしてくれるようになったものの、負担をかけることや束縛することに申し訳なさが勝り、家を出て上野公園のホームレスになる。
生きる意味が見いだせず、消えてしまいたいと思ったのであろうが、家もありひとり食べていくくらいはできそうなので、いきなりホームレスになる説得力が弱いのではと思った。
作品の中では「目を閉じるのが怖かった。死が、自分が死ぬことが怖いのではない。いつ終わるかわからない人生を生きていることが怖かった」と書いている。妻も息子も睡眠中に命を取られたため、カズは不眠症で鬱であったのか。
そして、ホームレスになって5年目の2011年に東日本大震災が起き地元の相馬はフクイチの原発事故の犠牲になる。土地までも失くしてしまった。全てが奪われたこの時から、死ぬ時期と場所を探していたと思う。
ただ、妻が生きていた時の水入らずで過ごした晩年の7年間は、穏やかで幸せだったはずであるが、息子も妻も突然の死であったので、その喪失感、悲しみは覚悟で迎えた死よりも半端ないものであろう。
虚無感しか伝わらないが、ふたりの分まで生きて、穏やかに余生を過ごすという選択はなかったのであろうか。
ふたりの墓を(両親の墓も)守って生きるのも、ひとつの生き方ではないだろうか。
物語の結末として、私ならカズを自殺させず、猫か犬を飼って穏やかに死なせてあげたかった。
担当の方の質問に対する答えになるかどうかわかりませんが、、、
☆取材をどのように生かしたか
原発事故の犠牲者も描きたかった。
ホームレスになったいきさつや、出身地や行幸時の「山狩り」の様子、ブルーシートでの日々の暮らしぶりの悲惨さ。
それと柳美里さんは、バラがかなり好きなようで、カズが家を出て上野の東京文化会館の軒下で初めての野宿をしたと書いたp.123ですが、行空けしてロサ・ムルティフローラ・カルネア云々~と時空を飛び越え2012年6月に上野の森美術館で開催されていたルドゥーテの「バラの図譜展」の薔薇たちの話を書いています。おそらく行かれたんだと思います。
節子と同じ年くらいの中高年の女性たちの仲のよさそうな会話を聞いていると、かえって淋しさは募ると思う。
それでも大勢の人の中で、声の中で、喧噪の中で、日々を過ごし5年間生きながらえた。ホームレスと差別されながら。。。同じ人間であるのに。
平成天皇と同じ生年月日の主人公、一人息子は皇太子と同い年。妻の名前は大正天皇の皇后と同じ節子。
読書担当者の紹介にあった英語版の表紙の説明は、この小説の本質をついていると思う。