「海外旅行記2001年~2018年」フランス編(1)=2014年師走のパリ旅行=
「海外旅行記2001年~2018年」フランス編(1)=「師走のパリ旅行」(2014年12月)
2025.1.31記 石野夏実
※写真が出てきませんので、貼り付けられません===残念
なのでマルモッタンモネ美術館で買った絵ハガキです。
※※以下の文章は、2014年当時に書いたものを少し推敲しました。
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同人誌の同人になってから2年が経過した。
詩歌は載せないとの決まりなので随筆をと思ったが、先輩方の書く小説に刺激され、生まれて初めての短編小説に挑戦した。
昨年の春の号にそれは掲載されたが、全くの赤面ものであった。
それでも続きが読みたいと、ある同人に言われ続編を書く決心をした。
最初は調子よくPCキーを打っていたものの途中で指が止まり、ドキュメントを開くこともなくなった。
何度か出かけたパリの記憶をたぐっただけでは、文字にできない部分がいくつも出てきたのだった。
初挑戦の小説は、互いに伴侶を亡くした初恋の同窓生の初老男女が、一緒にフランス旅行に出かけることになった物語であった。
羽田からパリへ出発のところで物語は終わっている。
したがって当然続編の舞台はパリの描写が多くなる。
いくつかのパリ旅行時の手持ちのメモをつなぎ合わせても、想像力が働かない。
メトロのに乗るのとセーヌ川に沿って歩くのとでは、趣が全く違う。
チュイルリー公園を抜けてセーヌ川の橋を渡り、今度はセーヌ川を右に見ながらエッフェル塔まで、ずっと川に沿って寄り添って歩く描写のイメージがわかない。
過去に断片的には歩いているが、通しては歩いていない。
夕暮れ時に歩いた場合の見える景色、距離や時間が気になりだしてPCキーを打つ指が止まってしまったのだった。
それらはとても重要な個所で、私には想像で書けないものだった。
まさかパリを小説に書こうとは夢にも思っていなかったので、細かい資料が何もないのだ。
あるのは、不確かな記憶だけで心もとない。
検索をかければ他人の旅行記などから拝借することもできる。
しかしそれはしたくないので、自分の目と足で確かめないと納得がいかないという結論に至った。
越年で中途半端なままにしておきたくなかった。
出かけようと決め、暮れがまだ押し迫っていない12月初旬の約1週間を当てた。
ひとりでパリに出かける時は、格安の航空券とホテルだけがセットになったツアーを利用する。別々に手配するより格段に安いからだ。
ネット専門の旅行会社のツアーを見比べて、今回は成田からアラブ首長国連邦の国営エティハド航空を使いアブダビ経由でシャルルドゴール空港までの往復パックを利用した。燃料費込みで10万円弱だった。
成田出発は夜の9時、アブダビ到着は現地時間の早朝5時、トランジットが4時間もあり閉口したが9時前にアブダビを出発した。
噂通り、お土産売り場には「ヨックモック」のコーナーがゴディバの横にちゃんとあり、最高級洋菓子として鎮座していた。アラブ人はヨックモックが大好きなのだ。
クーフィーヤと呼ばれる赤白の市松模様の布をイカールという輪っかで留めて、白い服を着ているグループを何組も見かけて、中東にいるという実感がした。
※それぞれの名称は自分で調べたので地域によって呼び名が違うかもです
フランス時間の午後1時半に無事シャルルドゴール空港に到着。
合計何時間飛行機に乗っていたのか、2度の時差でわけがわからなくなった。
それでも行きの飛行機は2便とも空いていて機内食もまずまずだったし、映画もゲームも楽しむことができた。仮眠が十分取れたので体調も崩さなかった。
人気がないのだろうか、往きのエティハドはガラガラ状態で、座席の肘掛けを上げソファーのようにして本格的に眠る人も何人もいた。
近頃はコードシェアも進み、空席もほとんどないエコノミークラスの座席であるが、今回は隣に人がいないゆったり感を満喫できた。
座席も国内航空会社のものより広い。
旅行の申し込みから出発まで10日間しかなく、おまけに6日間の旅行とはいえパリ滞在は3泊だけの強行日程。
実際に朝から晩まで使えたのは正味2日間だけだった。
荷物も極力少なくして、スーツケースは持たず、軽いレスポの大型ショルダーバッグひとつで出かけた。
服装はジーンズにブーツを履き、2枚のセーターとダウンコートで通した。
空港到着は第2ターミナル。入国審査も大して混んでなくてスムーズに終わった。
その足で空港からオペラまでロワシーバスに乗り、地下鉄3号線で所要時間30分足らずの終点ガリエニ駅まで行った。
駅から1,2分のホテルに着いたのは午後4時。
星☆☆ふたつの安いビジネスホテルの部屋はシンプルで冷蔵庫もない。
冬なので冷蔵庫は不要で助かった。
エアコンが思ったより効いていなくて心持寒かったが、シャワーのお湯もちゃんと出たので、ま!いいかなであった。
予算の関係上、ひとり旅は極めて質素にと決めている。1回の予算で2回行くことができるからである。
しかも今回の旅行の位置づけは、突然の思い立ちのこじ付け取材旅行なのだから、お金はかけられない。
治安もそれほど悪くなく、清潔なベッドで暖かく寝られればそれだけでいい。
客室は一人で過ごすのにはちょうどいい広さで、小さいながらデスクもあった。エレベーターは2基あり客室も180部屋ほど、朝食はホテル代に含まれていた。
お決まりの数種のパンとゆで卵と果物。ヨーグルトとポケットチーズ。機械でプッシュの飲み物色々が、朝6時半から食堂で食べられた。
これが星☆☆☆3つになると卵料理の種類も増え、ハムやソーセージ、サラダも付くと思うが部屋と同じで、いたってシンプルで最低限の質素なものだった。
お風呂もバスタブがないのでシャワーだけ。
備え付けの液体ソープ1本で手洗いから洗顔、ボディ、シャンプーまでこなす。これくらいのことに平気にならないと安上がりひとり旅は難しいと思う。
追加料金を払うと、いちおうふたり部屋だったので、タオル類だけは毎日2本ずつ清潔なものが掃除の折に取り換えられている。
フランスに限らず外国のホテルのハンドタオルは厚手で、特にシャワーの時は使い勝手が悪い。
必ず日本から柔らかい薄手のものを1本持参するようにしている。浴室に干しておけば翌日乾くので、それをまた使う。
今回は極力荷物を軽くしようと思い、ドライヤーも変圧器も持って行かなかった。
安ホテルでは、ドライヤーは盗まれたり壊されたりするので部屋に常備されていない。
フロントで借りるのも面倒なので厚手のバスタオルで丹念に拭いて自然に乾くのを待った。
格安旅行を利用するには、許容範囲を広げ、拘りなどは捨てないと不満たらたらになってしまう。
図太さと割り切りが一番大事だと思う。
なんだか安旅の心得みたいになってしまったが、パリは何度訪れても飽きることがない奥深い素敵な街。行くのが目的なので、ホテルは目をつぶる。
ちゃんとした4つ星ホテルに泊まることも、労働者が暮らす町で生活を身近に感じることができるホテルに泊まるのも、その都市を知りたい私には大切なことだ。
パリからは日帰りで色々な地方にも出かけられるし、近隣諸国にも鉄道で日帰りができる。
1月2月の真冬のパリはまだ行ったことがないが、次回は厳冬のパリに行ってみたい気がした。
1年前に1ユーロ100円で両替したユーロがかなり残っていたので、今回はそれを使った。
円安で1ユーロ140円くらいになっていたから助かった。
小説の中にレストランの場面を数か所入れるつもりだったので、滞在の中日に2軒のお店を回りランチのはしごをした。その時、夕食のメニューも追加で頼んだ。もちろん全て平らげたが、さすがにこの日の夕食は抜きにした。
ホテルの所在地ガリエニは、大きなバスターミナルを持つ郊外の新興住宅地の町で、店舗もレストランも少なかった。
町全体が暗いので夜は少し怖そうだ。
暗さは、この町に限らずで、日本は明るすぎるかもであるが治安には良い。
所得がそれほど高くない労働者の暮らす地域なのだろう。
名所旧跡はなく、地下鉄の終点駅の便利さからか、大きなショッピングセンターが人々の憩いの場所でもあり、何でも揃う買い物の拠点のようだった。
クリスマス前なので、プレゼント用の様々なチョコレートが山のように積まれていた。
チョコレートは重いのでマロングラッセを10箱買って、今回のお土産にした。レスポのバッグの半分は、マロングラッセで埋まった。
ひとり旅では、知らない町の夜は出歩かない。7時にはホテルに戻っていること、これ鉄則。
この時期のパリの夜明けは遅く、8時でもまだ暗い。
5時半始発の地下鉄に乗ってみた。オペラ駅まで30分ほどだ。
仕事に向かう人々のお顔を拝見。
日本の始発電車の光景と似て無口だ。
この時間に働きに行くフランス人は移民が多いが、意外に日本人と気性も勤勉さも似ていると思った。
いつものように美術館巡りに1日使った。ルーブルよりもオルセー、オランジェリー、モネに会いにマルモッタン、カンディンスキーはポンピドーセンター。そしてピカソ美術館。
抽象画に移行していく時代のカンディンスキーが大好きだけど、キュビズムのピカソが一番好きで、ピカソ美術館がずっと改修工事で、何度パリに行ってもまだ工事中でがっかりだったけれど、やっと終わって入ることができた2014年の師走でした。