中村文則著「土の中の子供」(05年芥川賞受賞作)
中村文則 2019年6月1日
「土の中の子供」(2005年第133回芥川賞受賞作)
担当 石野夏実
※19年当時の同人誌の読書会記録や配布資料です。
6月の読書会は、12名の参加で1日に行われました。
夕方5時半開始の会を終え外に出た時刻は、ほぼ7時。
空は、明るさをほんのわずかに残し、夏至までの日数はかなりあるのに、そして白夜なんてあるはずもない横浜で、妙な感覚を抱きました。
この日の読書本は「土の中の子供」。
中村文則の世界は白夜のイメージがなくもないかなと。
心(感情)と頭(知識や理論)と身体(知覚)のバランスが、自覚を必要としないほどうまく保たれている時、日常(生活)は差し障りなくまわっていると思います。
無意識に保たれているバランスを意識した時から自覚が始まり、日常(生活)に過敏になります。
純文学とは、過敏の産物であるのではないか、と思うようになっています。
当日は、読書の楽しみや純文学についても色々な意見が出され同人の方々の作品と相まって、興味深かったです。
今月の読書本の作者の中村文則は、国内外で評価も高く注目の若手小説家ですが、他作品には「土の中の子供」と同等かそれ以上に暴力や性の描写が多く、それらの描写はどれほど必要なものなのかと私は思いましたが、同人の方々も多くが感じられているようでした。
1977年生まれの氏は、大学卒業後フリーターを経て2002年「銃」でデビュー。この作品は新潮新人賞を受賞。
03年「遮光」。これは野間文芸新人賞受賞。
この2作は、いずれも芥川賞の候補作になりました。
04年には短編「蜘蛛の声」(「土の中の子供」文庫版に収録)と「悪意の手記」を発表。
05年に「土の中の子供」。この作品で芥川賞を受賞しました。
※初出年で統一しています。
受賞後の第1作は、世間にもかなり注目されますから、氏の意気込みは相当なものであったと思われます。それが07年の「最後の命」。
そして08年「何もかも憂鬱な夜に」を発表。
09年の「掏摸」(すり)へと続きます。
この「掏摸」は10年に大江健三郎賞を受賞し、英訳本はアメリカでもWSJ紙で12年のベストテン小説に選ばれ、13年には「悪と仮面のルール」でベストミステリー10作品に選ばれました。14年にはノアール小説(探偵ものではなく犯罪者が主人公)への貢献でアメリカのデイビッド・グーデイス賞を受賞。
おそらく氏が主人公の主語を「私」から「僕」へと変えたのが「何もかも憂鬱な夜に」であるとご自身で書かれていたので、この作品がそれまでの私小説(風)から創作小説へと変わっていった転換期の小説なのではないでしょうか。
<同人の意見>
☆初めて読んだ。芥川賞受賞作品であるのを痛感した。登場人物は少ないが作り方が上手である。缶を投げることが自殺であるなどの暗喩が効いている。
☆読み辛かった。心情に共感できない。死にたいわけでなく破壊的な行動に共感できない。
☆昨今の児童虐待に繋がっている。変わりたいのに変わらない。希望を少し見せて引っ張って終わっている。
☆興味を持ったし、考えることが多かった。他の作品も読んでみた。連続殺傷事件などの暗部を小説化し、アウトロー的で暗い。共感は出来ないが、氏は無神論者ではないか。
☆生い立ちに他人からボコボコにされた経験があるのではないか。拡大自殺の精神性。
☆読むのがしんどかった。衝撃的な作品だった。
☆人間の暗部を抉り出すのが純文学作品としたら、世に出し救われるのは作者。作者は一筋縄ではいかない人。作者として注目していける。
☆すらすら読めた。面白かった。自分とは何者なのか、もがきながら書いたのであろう。想像力だけでは書けない。自分は土の中から生まれてきた。自分は何者であるか。それが作者にとっては大きなテーマ。
☆自分にとって読書は楽しみな時間。この作品はそうではなかった。色々な作品を何度も読み直すがこれはやはりしんどかった。純文学って何?人間の暗部を描くものなら純文学の定義には合う。が、しんどい。暗い部分を何とか描こうとするならばこれは純文学であろう。缶コーヒーを落とすのが好きということ。この何かを落とす衝動は自分も破滅していいという自虐性。だからしんどい。このようなものを書くことができるというのは、新しい発見だった。
☆初めて読んだがガツンとくる内容だった。主人公の心に受けたものから彼の人生観がよく伝わるように描けている。再読したら?の部分や、リアリティ?の部分があった。?と思ったのは最後の箇所。彼が抱えている「土の中で生まれた」が最後でいい。テーマの心に残った傷が痛点を感じさせない。親から受けたものが感覚をマヒさせる。
☆面白い表現も多々あったが、小説として不可解な表現もあった。結末がよくない。タイトル「土の中の子供」は独創性のないタイトルである。私小説作家の限界もあるが、年齢的にみて期待はできるのではないか。「砂の女」の砂の方が土よりもリアリティがある。
以上が同人の方々の読後感でした。
私としては、題名にも惹かれ読書本に選んだものの、何から手を付ければいいかの出発点から手探り状態で、それならば王道の書かれた順に読んでいくことにしました。タバコ、缶コーヒーの小道具。セックス、暴力、狂気の三点セット。それでも、これは、純文学であると痛感しながら読み進みました。必要以上の三点セットの描写場面に辟易もしました。「掏摸」以降の作品は、今回の「土の中の子供」との関連性がどれほどあるのかわかりませんが、読み終えるに至りませんでした。もっと読みたいかと聞かれれば、もう読むことはないでしょうと答えます。三点セットがなくても不条理は表現できるし純文学は十分に成立すると思うからです。もちろん見えない狂気も内なる破滅もどこかに願望があるとしても。
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以下は、読書会当日に参加者へ配布したレジュメです。閉会後のまとめと重複する部分もあると思いますが、ドキュメントに残っていましたので添付します。
中村文則 「土の中の子供」(2019年6月)
読書会担当 石野夏実
<今月の読書本に「土の中の子供」を選んだ理由など>
読書当番が回ってきた時は、過去の芥川賞受賞作品の中から、読んではいないが追いかけてみようと自分への課題のような形でテーマ本(作者選び)をすることがあります。
過去に取り上げた西村賢太や町田康がそうでした。今回、暗くて重くて深い作家である中村文則の「土の中の子供」を取り上げようと思いました。
氏は大江健三郎賞の受賞作品「掏摸」(すり)などで世界での評価も高く、若手小説家の中で避けては通れない作家だと思いました。
氏の文庫本の後書きは「文庫解説にかえて」というものが多く、文芸評論家などの余計な解説はいらない、自分の小説は自分が一番理解しているからストレートに読者へ届けたいとの思いが強いのではないか、と感じました。
どの後書きも、読者に対し「読んでくれてありがとう、共に生きましょう」と呼びかけて終わります。
この結びは、自分は小説を読むことによって救われた、だから同じ思いの誰かの役に立てればと思って書いているとのメッセージを強く発しています。
デビュー作は2002年の「銃」(新潮新人賞)ですが、そのあとがきに23歳から24歳の頃、東京でフリーターをしながら何かに取り憑かれたようにこの小説「銃」を書いたとあります。
2作目が03年の「遮光」(野間文芸新人賞)です。ここからプロの作家生活が始まったとのことです。
3冊目の小説が「悪意の手記」です。この本のあとがきには、「遮光」を書き終えた03年の夏頃にマンスリーマンションを借り、そこにこもって書いたとあります。この小説は賞を取っていないようです。
内容は違いますが、太宰の「人間失格」の作法「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」のように番号をつけ「手記1」「手記2」「手記3」としています。これを書きながら短編「蜘蛛の声」を先に書き上げたのだろうと思います。その後「土の中の子供」を書き上げました。
前2作「銃」「遮光」は共に芥川賞候補になりましたが受賞できず。3度目の候補作である「土の中の子供」が05年に受賞しました。
この3作に共通するのは主人公(たち)が中毒のように頻繁に口にするタバコ、自動販売機、缶コーヒー、暴力と狂気。セックス、施設の話や固執癖。
しかし、バイオレンスであったり偏執であったりする見える部分の深層にあるのは「死」や「自己」との究極の対峙。
彼の書く(私?)小説は、まぎれもなく優れた表現力であらわされた読み応えのある純文学作品であると思います。
今日も新聞に連載を書き、走り続ける中村文則は名実ともに21世紀の現在の日本を代表する若手小説家だと思いました。
土の中の子供」は最後に彼女と前向きに生きていこうとする救いがある小説ですが、私にはデビュー作の「銃」が最も強烈な印象を残す作品でした。
交通事故で急死した恋人の指をホルマリンの入った小瓶に入れ持ち歩く「遮光」はグロテスクすぎました。
読了したものは、文庫化された初期作品の「銃」「遮光」「悪意の手記」「土の中の子供」「何もかも憂鬱な夜に」と中期の「掏摸」です。最近のまだ文庫化されていない「R帝国」、これは読み始めたばかりですが明らかに初期作品とのこだわりが違います。
初期の「土の中の子供」を取り上げたものの、中期以降の他作品のほとんどは読み切れていないので、中村文則という作家の全体像をつかむまでには至りませんでした。
氏の41歳と言う年齢を考えれば、ちょうど団塊ジュニアといわれる年代です。氏の描く小説に溢れる暴力、「死」との対峙の深さに2000年当時の同世代の若者達とは異質な闇を感じましたが、政治に対する不信感は、親世代=団塊世代からの影響からか、どの世代よりも強そうです。
最近の作品は政治色も強く、この4月には現政権への批判も公表しています。
<略歴と人物像> ※ Wikipediaより抜粋
中村 文則(なかむら ふみのり、1977年9月2日 - )は日本の小説家。愛知県東海市出身。愛知県立東海南高等学校、福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。(※現在41歳)
フリーターを経て、2002年に「銃」で第34回新潮新人賞を受賞しデビュー。2004年、『遮光』で第26回野間文芸新人賞、2005年、『土の中の子供』で第133回芥川龍之介賞、2010年、『掏摸<スリ>』で第4回大江健三郎賞を受賞。同作の英訳 『The Thief』は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で、2012年のベスト10小説に選ばれ、2013年のロサンゼルス・タイムズ・ブック・プライズにもノミネートされた。『悪と仮面のルール』の英訳(EVIL AND THE MASK)はウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年のベストミステリーの10作品に選ばれる。2014年、ノワール小説への貢献で、アメリカでデイビッド・グーディス賞を受賞。※ノワール小説・・・探偵ものではなく犯罪者を主人公などの犯罪小説。
ドストエフスキーやカミュ、カフカなどから影響を受けており、普遍的な主題に特徴があり、ミステリーの手法も取り入れている。
重厚で陰鬱な作風とは対照的に、本人は明朗な性格である。交流のあるお笑い芸人・作家の又吉直樹がそのギャップについて尋ねてみたところ、「暗いことで人に迷惑をかけるの、やめようと思ったんだよ」と答えたという。
<土の中の子供 新潮文庫裏表紙より引用 内容紹介 >
27歳のタクシードライバーをいまも脅かすのは、親に捨てられ、孤児として日常的に虐待された日々の記憶。理不尽に引きこまれる被虐体験に、生との健全な距離を見失った「私」は、自身の半生を呪い持てあましながらも、暴力に乱された精神の暗部にかすかな生の核心をさぐる。人間の業と希望を正面から追求し、賞賛を集めた新世代の芥川賞受賞作。
<芥川賞受賞後のインタビュー>
※楽天ブックス著者インタビューより引用
--芥川賞受賞おめでとうございます! 受賞できそうな予感はありましたか?
< 中村>取れると思ってませんでした。候補になるのが3回目だったので、取れないものだと思ってあまり意識しなくなってました。編集者に謝ることばかり考えてましたよ。「(賞が取れなくて)すみませんでした」って(笑)。
--子供の頃から物語や小説は好きなほうでしたか?
<中村>とくに意識はしなかったですね。
--子供の頃に好きだったことは何かありますか?
<中村>……何もしていませんでしたね。じっとしてました(笑)。じっとしている子供でした(笑)。
--子供の頃に読んだ本で印象的なものはありますか?
<中村>いわゆる純文学の小説を読んだのは高校に入ってからなんですが、中学生の時に読んだ『ムレムの書』(B・フォーセット・N・ランダル 椋田直子訳)というファンタジー小説が印象に残ってますね。大人向けのヘビーなSF小説でした。今書いていることに直接影響してはいませんが、よく覚えていますね。
--高校生の時に小説を読むようになったのは、何かきかっけがあったんですか?
<中村>暗かったんですよ。今でも暗いんですけど、あの頃はとくに、何を見ても反応しなかったんです。マンガを読んでも映画を見ても面白かったけど、自分の内面に関わるメディアに出会ったことがなかったので、一度小説を読んでみようかなと思ったんです。たぶん、自分でも何かを求めていたんじゃないかと思うんですよね。初めて手に取ったのが太宰治で、それから小説を読むようになりました。世の中にこんなものがあるのかって。
--太宰は『人間失格』とか?
<中村>まさにそうです。王道中の王道ですね。高校時代は、太宰治をひたすら読んで、その後は坂口安吾や石川淳。無頼派の作家を読んでいましたね。外国のものを読むようになったのは大学に入ってからです。 大学に入ってからはドストエフスキーの『地下室の手記』が衝撃的でした。そのほか、サルトル、カミュ、ジッド……これもまた王道ですね(笑)。日本のものだと、安部公房さんや大江健三郎さんなどを読んでいました。
--大学の卒論は犯罪者の心理をテーマにした「逸脱論」だったそうですね。
<中村>大学では逸脱論の授業はなかったんです。応用社会学科だったんですが、社会学を学ぶところで犯罪学という授業はありませんでした。卒論は自由にできるところを選んで完全に独学で書きました。もともと犯罪を犯してしまう人間の心理に興味があったんだと思います。
--自分で小説を書いてみようと思ったのは。
<中村>大学3年から4年ごろです。卒論を書いていた頃とかぶりますね。
--それまでは、小説を書きたいという気持ちはなかったんですか?
<中村>文章は書いていましたけど、小説ではなかったですね。日記の延長のようなものでした。一度小説に書いてみようかなと思ったのが大学3、4年頃ですね。それまでは、書くことよりも、とにかく本を読むのが好きでした。
--最初に書いた小説はどんなものだったんですか?
<中村>目も当てられませんね(笑)、いま考えると。当時は真剣でしたけど。主人公がとどまり続けるみたいな、停滞しつづけるものを書いていましたね。100枚くらいのものでした。
--誰かに読んでもらったんですか?
<中村>誰にも読ませてないです。完全に封印してあります(笑)。
--『銃』が公募賞の「新潮新人賞」を受賞されたのがデビューのきっかけですが、応募されたきかっけは何かあったんですか?
<中村>大学を卒業して2年間、東京にいたんですけど、『銃』はその最後の2年目に書いた小説です。応募して実家に帰ったという感じですね。 『銃』はすごく悩んで書きました。アンドレ・ジッドの『背徳者』の序文に「私の意図はよく書くことと、自分の書いたものをはっきりさせることにある」とあって、たぶん、言葉の意味は完全にはわかっていなかったと思うんですけど、「これだ! 」と思ったんです。「そうだ、これなんだ」と思って書いたのが『銃』でしたね。とりあえず、書いて、送って、という感じですね。あそこで、作風が、がらっとではないですけど、煮詰まる感じで変わったのかなあ、と思います。
--『遮光』は『銃』を書かれた後に着想された?
<中村>アイディアは『銃』を書く前からあったんです。虚言癖の男を書くというのが最初に思い浮かんだことでした。
--『遮光』の主人公はウソばっかりついている男です。心がない、と周囲から言われるような男ですが、彼のような主人公を描こうと思った理由は?
<中村>人間対世界──大げさなことを言うようですけど(笑)──人間対世界があって、生きていくことってなかなか辛いものがあるじゃないですか。そういうときに、もちろん、それに立ち向かっていくことが美しい人間像なんですけど、ウソをついて、ウソを突き通すことで世界に立ち向かうということもあるんじゃないかと思ったんです。 恋人が死んだらそれを受け入れなければいけない。それは世界の成り立ちとして、人は死ぬということがあるんですけど、それ自体を否定しようとする。「いや、死んでないよ。どこかで生きてるし」と言い通す人間。そういう人間を描いてみたかったんですね。 人から見れば、「それはぜんぜん間違っているよ」ってことなんですけど、本人からすれば、「俺はそれでいいんだよ」ということで……。だから物語のタイトルも光を遮る、『遮光』なんです。
--『銃』と『遮光』はコミュニケーションに問題がある主人公が銃や遮光した瓶にフェティッシュな感情を抱くという点で似ていますが、『土の中の子供』は違いますね。
<中村>『遮光』との間に、単行本の『土の中の子供』に収録されている短篇(「蜘蛛の声」)と長篇が一つあります。長篇の『悪意の手記』は8月に本になるんですが、本当はそっちが先に出るはずだったんです。 これまで、ハッピーエンドというか、未来に向かって終わる話は一つもなかったんで、「土の中の子供」が初めてですね。完全に前向きというわけではありませんが。
--『土の中の子供』の主人公は幼児期に養父母から虐待を受けたという過去があります。「トラウマ」との格闘の物語としても読めますね。
<中村>トラウマという意識はなかったのですが、自分の中の混沌というか……。どの作品にも共通して、自分の中の鬱積があると思うんですよ。『銃』ではそれが銃だったし、『遮光』ではウソと瓶の中の恋人の指。「土の中の子供」では、土の中から外へ顔を出して生きていくんだ、というエネルギー。表現のやり方が変わってきたとは思います。
--『土の中の子供』では、主人公が自身の抱える問題に対して立ち向かおうとする姿勢に共感を覚えました。こうしたテーマを小説で書こうと思った理由はありますか?
<中村>ぼく自身が昔、小説に救われたことがありまして……。表面的には明るくしていたんですけど、高校のときにすごく鬱積しているものがずっとあったんですよ。小説と出会ったときに、その小説の中に描かれている問題が自分の問題とは違うにしろ、ここまで絶望的なものを完全に把握して提示する物語があるということと、こういうことをやっている人間がいる、もしくはかつていたんだ、ということに救われましたね。 もしもあのときに小説を読んでいなかったら自分はどうなっていただろう、というか、……「たられば」を言ってもしょうがないんですが、自分が作家になるというよりも、ぼくは本を読むことが好きで、しかもそれに救われたという思いがあるんです。だから自分も小説を書くんだと思います。
☆☆☆中村さんは、一見して明るい好青年という印象の方だった。シリアスなテーマを扱った作品とはイメージが結びつかない。「よく言われます(笑)。小説だとふだん出せないような内面的なものが、うわーっとぜんぶ出ちゃうんですよね。誰でもそうだと思うんですよ、内面まで降りていけば」。中村さんの作品は心の中の影の部分に光をあてている。一筋縄ではいなかい人間の内面に迫る小説を、これからも書き続けてほしいと思う。【インタビュー タカザワケンジ】