
いま、そこにある危機
映画でも災害でもなく、
自然の中で遊び、暮らしていると、割と簡単に命の危機に遭遇したりする。
もちろん今、自分が生きているのはそれらを乗り越えたというか、何とかなったということだが。
重大な事故は何かのトラブルが2つ以上重なった時に発生しやすい。
運転免許更新時にも毎回教わること。
その通りだと思う。
今もよく覚えている出来事がある。
ふるさとの夏は、砂浜などの海水浴場ではなく、水深10メートル以上の防波堤や切立った磯が遊び場だった。
誰がより高いところから飛び込めるか、何メートル深く、そして長く潜っていられるか。
小学生が足の速さをステータスにするように、海のこどもはこんなことを競い合う。
そう。中1か中2の夏休み。あの時は「深く潜る」がテーマだった。友達が来る前だろうか。一人だったのは確かだ。
水中メガネを手に防波堤の先から海に飛び込み、一旦浮上する。立ち泳ぎでメガネを装着。息を整えてから、一つ大きく吸い込み、くるりと回転。手のひとかきで下を向く。目指すは海底だ
イルカのように体をくねらせて深く深く潜っていく。耳抜きも済んだ。いつにも増して調子が良い。いくらでも行けそう。
10メートルぐらい?もっとあったろうか。
右手で目標の岩にタッチ。この場所の海底は初めて。
度胸試しミッションの練習は完了だ。
わずかな時間だが、水圧で水中メガネのガラスはぴったり鼻にくっつき、体力もずいぶん使った。
海底を蹴ろうと、ぐっと膝を曲げる。
上を見れば…「ん???」水面が、「遠くない?」
ここで不安がよぎる。「息はもつか?」
行くしかないが、ここでトラブルが発生。
調子に乗ってつけていた防水のダイバーウォッチがフワ―っと外れ、ゆらゆら海底に落ちていく。
「マジか。」
判断を迷ったが、もう一度、潜って来るのは面倒だ。
ウニがびっしりついた消波ブロック。その間に挟まった銀色の時計、右腕をのばし、指ものばして、ようやく拾い上げる。
焦りも加わったところで、再び水面を目指す。
海底を蹴って、ひとかき、ふたかき。
苦しい。
「んん、んん!」と自分にしか聞こえない声が漏れる。
キラキラした海面はもうすぐだ。しかし、なかなか進まない。
「おお。まずいかもしれないぞ。あとどれぐらい?」
肺の中の息を全部吐き出す。
これは最終段階だ。
水を吸ってしまう………………………………。その直前。
何とか海面に顔を出せた。
フ――――!ハ――――!フ――――!
ハ――――!フ――――!
ハ――――!フ――――!ハ――――!フ――――!ハ――――!
大きく呼吸をする自分を見た、到着したばかり友達。
防波堤の上で何も知らずに笑っていた。
遊びの中の何も考えていない、何の意味のない行為だが、危機なんてこんなもの。
トラブルが重なったときが危ない。
海底で時計を落としたのがひとつめ。
その上で、もし、脚をつった、何かに引っかかった。何でもいい。もうひとつ何かが重なってしまっていれば、どうなった?
夏前だから。何度でも。
油断は禁物、という話でした。