読んでもらう、うれしさ
「記者なら、文章書くの得意ですよね?」という展開。飲み屋さんやスナックでの「何歳に見えます??」のやり取りと同じぐらいよくある。別にうんざりしているわけではなく、何の期待もされていないことも理解しつつ、本当によくある。
自分だけかもしれない。と前置きしておくが、文章が得意な人は新聞記者をやることに耐えられないと思う。想像力を発揮させたり読む人によって解釈が異なったりしてはいけない。ほとんどの場合、ある材料をシンプルにわかりやすく伝えることが大切になる。新聞記事は見出しと写真から始まって、100字から200字ほどのリード、そして本文に入ってくる。
「記事は最後まで読んでもらえることの方が少ないぞ」。入社したてのころ、先輩からよく注意を受けた。
知ってほしいこと、伝えたいことは最初に書かないとダメ、ということも含めて。自分の場合、心がけたのは、中学生がしっかりと理解できる文の運びにするということ。その基本ができてさえいれば、“なんのこっちゃ?”という文章にはならないが、これが難しい。
毎日、「書く」ということをしていると、頭の良さような、小難しいことを書く方が簡単なことに気づく。そうすると最後、自分のような文章が不得意な記者には、ぜんぜん書けなくなってしまう迷宮が待っているのだ。まあ、それを面白いと感じるか、嫌だなと思うかが、分かれ道になると思うのだが。
ちなみに冒頭の問いには「得意ではないけれど、書くということは楽しいですよ」と答えている。
noteを始めて、たくさんのすばらしい記事に触れて、なかなか書けずにいる自分と文章の話。
もし最後まで読んでいただけたのなら、ほんとうに。
ありがとう。
あなたはやさしい少数派です笑
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