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毎日、話を聴き、写真を撮り、文を書くのが仕事だった。
「どんな仕事でも10年やれば、“いっぱし”となる」らしいが、自分はどうだったろう。
担当は初めから振り返ると、文化・スポーツ、サツ廻り(警察・司法)、水産、行政(市役所)…。
地域紙の記者として、要するに何でもござれでやっていた。
記事を書く上で意識したのは自分の色を付けない事。シンプル、読みやすさ、無味無臭を心掛けた。
嫌だったのは、「向けて聞くこと」。
書きたいセリフ、内容を最初から決め、誘導するような質問で作っていくやり方だ。
ものすごく簡単な例を挙げる。
イベント取材時のコメント取り。
「このようなイベントは初めて。とくに素晴らしかったのは■です」と書くと決めていれば、質問は簡単だ。
「訪れたのは初めてですか?」「印象に残ったのは何ですか?」。
これで終わってしまう。
取材に慣れてくると、話を聞いている最中で、このネタは使える、使えない、記事になるか、ならないかがわかる。自分が雑談していると、他社の記者が寄ってきて、一緒にメモを取り始める。使えないと分かると、いつのまにかいなくなっている、なんてことも少なくなかった。
取材をされる方からすれば、「話もしないで謎のメモをとる人」。怪しいことこの上ないが、記者という職業についている人は、ここが麻痺していることがよくある。
「向けて聞く」というのは勝手な表現だが、いかにも仕事的で嫌だった。これを読んでいる方々は「そんなのをしないで書くのがプロでしょ?」と思われるかもしれないが、もはやご存知の通り、現場ではいろんなものがまかり通っている。
逆に"向けて聞かない"となると、ある程度の企画の趣旨は決めつつも、取材対象者とのキャッチボールで記事の方向性が決まっていく。とくにインタビューなどは、Q&Aの繰り返しではなく、時にはA&Q、議論になったり、いつのまにか自分が勉強をさせてもらっていたりと、はたから聞いていればほとんど雑談だ。メモも取らない。大事な部分以外は。決め打ちではない化学反応が生まれる事が何より楽しかった。
それでも、チカラが入りすぎて、悪い癖が出てしまうことがある。
実際、取材慣れをしている方には「そう言わせたいんでしょ?それを書きたいから、ここに来たんでしょ?」と見透かされることもあった。
もちろん、先輩記者もお見通し。
「その人の人生、数十年だぞ。お前のチカラでたった1,000字にまとめられるのか?」
なんて言ってくる。
「分かっているから苦労してんすよ」
とは言い返せず、ひたすらパソコンに向かうというパターンだ。
その後、「いっぱしです!」と言える前に、自分は記者の現場からは離れてしまったが、大変さとやりがいは十分に味わった。
弊社の若手は自分に比べてかなり優秀。そんな彼らとともにメディアとしてさらなるレベルアップを目指している。そして彼らが作り出したものを、皆さんに気づいてもらうことが今の自分の仕事だ。
今日は、今週は、今月は、今年は、楽しいこと、悲しいこと、怒っていること、喜んでいることを皆さんにどれだけ伝えられるか。日々苦しいこともあるが、その思いはどんどん強まるばかりだ。
ありがたい仕事だなと、つくづく思っている。