見出し画像

思い出せない。

任天堂さまが、ファミリーコンピューターを発売したのが1983年。ゲームボーイが1989年、スーパーファミコンが1990年。子どもたちの遊びが様変わりしていったのが80年代から90年代なのかな。

1980年生まれの自分は、昭和と平成のはざまの世代。小学生のときの日曜日などは、午前中にスポ少の野球の練習をして、昼はファミコンのファミスタで遊んで、午後は学校の校庭で野球で遊ぶという、ハイブリッドな毎日を過ごしていた。

もちろん、野球だけではなく、今では昔の遊びと言われるような、様々な子どもの遊びも記憶にある。

すべてローカルルールなのはご容赦いただきたいが、例えば、缶蹴り。


かくれんぼに人質システムを取り入れた遊びだ。

鬼になったら悲惨だ。

校庭の真ん中にベルミーコーヒーか何かのスチール缶を立て、目をつぶって30秒を数える。その間に隠れた奴らを探していき、見つけたらとにかく缶までダッシュ。「ヨシオ警戒!」と叫びながら、缶を踏めば人質にできる。全員を見つけられれば終了だが、鬼が勝った記憶はない。だいたい、3人目ぐらいを探しに行くところで、無人の缶を蹴られ、人質が解放され、振出しに戻ってしまう。悲惨な地獄のループの始まりだ。皆が飽きるまで続くため、最初の鬼決めジャンケンが一番の勝負どころというのを今でも覚えている。

ほかには、エス(S)ケン。直径15メートルぐらいの範囲に、大きくSを書いて、2チームに分かれ片足飛びで戦い合う戦争ゲーム。もっと派手な陣取りなんかもあった。

もうひとつ、かならずといっていいほど、やった遊びがある。

まず、土に円を書き、その中に円グラフの要領で、5~6か所の目的地を書いていく。例えば、校庭の中で言えば滑り台や桜の木。書き終わったら、3メートルほど離れたところから石を投げる。石が止まった目的地がゴールになる。よーいドンで走っていき、タッチして戻ってくるという遊びだ。

何が面白いの?と思うかもしれない。それは、子どもにとってはとんでもなく遠い神社や山の中のダムなど、理不尽な目的地に行かなければならない罰ゲーム的要素にある。

ちなみに下の画像は何年か前、大人になってから母校の跡地から撮ったふるさとの写真。

画像1

白の丸が神社。ここから、駆けていく友達を笑いながら眺めたのはいい思い出。もちろん、自分が走って神社に行ったのもいい思い出。神社の鐘を鳴らすのが証拠になっているというよくできたシステムだ笑


思い出せないのが、この遊びの名前。なんだっけな。


皆様の思い出の遊び。何かありますか?

それから、今の子どもたちの面白い遊びってあるのかな。興味があるところ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?