知られざるブラジルの民主主義の栄光と破壊。『ブラジル-消えゆく民主主義-』から学ぶ権力との戦い方。
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先日は『グレート・ハック』について書きましたが、その勢いで「映画:民主主義」という有料マガジンを作ったので、引き続きNetflixで民主主義について考える材料になりそうな作品を探してみました。
その中に、その名もズバリ『ブラジル-消えゆく民主主義-』という作品がありましたので、今回はそちらを取り上げます。
邦題を見る限りあまり面白くなさそうですが、邦題がイケてないのはもはやお約束で、実際はペトラ・コスタというブラジルの女性監督が、2人のリベラルな大統領を通してブラジルの民主主義の行く末を描いた力作ということです。
そして、すごく面白かった。と同時に『グレート・ハック』に通じる””絶望”も感じました。民主主義が蝕まれていく現実を見せられて、「本当にどうしたらいいんだろうか」という打つ手のなさを実感してしまうのです。
でも、希望がまったくないわけではないし、ブラジルでこんな事が起きていたのかという発見にもなりますので、ぜひ見てほしい。作品としてもかなり洗練されていて、ペトラ・コスタさんの今後にも期待したくなります。
わずか30年のブラジル民主主義の歴史
映画は元大統領が犯罪者として捕まるという導入シーンから、監督のペトラさんの生まれた1980年代へと時代をさかのぼり始まります。
ブラジルは1960年代に軍事クーデターが起き、それから約20年軍事独裁政権が続きました。ペトラさんの両親は民主化を求めて闘う闘志で、身分を隠して民主化運動に身を投じ、1985年に民政移管が実現します。
一人目の主人公ルーラは、鉄工所の労働組合のリーダーとして民主化運動の中から頭角を現しました。民政移管したと言っても国会議員の中に労働者の代表はわずか2人、その現状を打破すべくルーラは労働者党を作り、大統領選に立候補します。
1989年から立候補を繰り返し、ついに2002年大統領に当選。当選したルーラは「ボルサ・ファミーリア」という貧困層への支援政策を実施し、映画にもこの政策に助けられたという人々が多く出てくるほど、民衆を助ける政策でした。
ここまでまだ映画の導入部ですが、本当に知らないことばかりで不勉強ぶりと情報の格差に頭を悩ませるのですが、まあこの映画で知ることができてよかったです。
とにかく、民衆の味方の大統領が誕生して人々は大喜び、経済も好調で世界7位の新興経済国になり万々歳となります。
実際、ルーラの支持率は高く、2期8年が終わったときでも87%の支持率で、後継者に指名したジルマはブラジル初の女性大統領となります。
おかしくなるのは、ジルマの1度目の任期が終わる頃から。カー・ウォッシュ事件と呼ばれる石油、建築絡みの汚職事件で国会議員の半数以上に疑いがかかる事態になり、ルーラやジルマもこれに巻き込まれていきます。
そこから先のサスペンスフルな展開はぜひ映画を見て味わってほしいので、物語の説明はしませんが、ジルマが弾劾の対象になり、ルーラは犯罪者となることは冒頭に予告されています。
民主主義はどうやって破壊されるか
さて、最終的にブラジルで何が起きたのかというと、ルーラとジルマは追放され、2018年に極右のボルソナーロが大統領に選ばれます。ボルソナーロは「ブラジルのトランプ」と呼ばれるような人物で、本当にトランプのミニチュア版のような感じです。
なぜそうなってしまったのか。
映画の中で大きく取り上げられているのは、ルーラとジルマを追い詰めた検察官モロの存在。モロは汚職事件を調査する検察官として登場し、実際に汚職を行った政治家を次々追求していって民衆のヒーローになるわけですが、同時にブラジルの法制度の不備を突いてルーラを追い落とします。
ブラジルでは検察官が判事も務める制度になっているそうで、検察官が有罪と思ったら大して証拠がなくても有罪とすることができ、ルーラもその制度によって実刑判決を受けます。
このモロはボルソナーロ政権で法相になります。政治が法を恣意的に運用できてしまうブラジルの法制度の瑕疵が民主主義を蔑ろにしてしまったのです。
そしてジルマの方は、犯罪行為などの明確な理由がなく弾劾を受けます。国民の直接選挙で選ばれた大統領を議会が弾劾裁判にかけるには、法律違反や明らかな不正などがないと不可能なはずなのに、ブラジルの議会は経済政策の失敗や汚職に関わっている疑惑などを理由に大統領に不適格だと言って弾劾にかけるのです。
これを可能にしたのは世論の後押しだと言われます。ただ、この世論はメディアによってコントロールされたものではないかとこの映画は疑念を投げかけます。「モロが民衆のヒーローになった」というのもそうですが、世論などというものはメディアの報道によってしか知ることができないのです。
そのメディアを握っているのは誰かといえば、既得権益者、大衆が力を持つことを良しとしない人々です。
このあたりは『グレート・ハック』にもつながる物語なので、ここにもケンブリッジ・アナリティカが絡んでそうだと思ってちょっと調べてみたところ、CAはブラジルに支店を持っていて、2018年のブラジル大統領選挙にダミー会社を使って関与していたという噂もあるということ。世論、そして選挙結果が恣意的にコントロールされた懸念は拭えません。
本当に人々がルーラやジルマから離れたかというとそうではないことは、弾劾裁判の日の国会前を映した映像で示唆されます。
この日、国会前の広場は、賛成派と反対派それぞれのために集まる場所が用意されるのですが、その場所を移した空撮映像を見ると、反対派の人数が圧倒的に多いことがわかります。「世論」はジルマの弾劾を望んでいても、そうではない人のほうが多く集まってきているのです。
それでもブラジルの民主主義は潰されてしまいました。なぜそれが起きたのか、明確にはわからず、ジルマも自分の置かれた状況をカフカの「審判」になぞらえます。
一体誰が何をしてこうなったのか、この映画から推測した私なりの解釈を示しておきます。
ブラジルでは14年の民主主義時代の間も、企業と政治が癒着する汚職制度が温存されていました。民主主義を望まない既得権益者たちは賄賂によって力を持ち続け、利益を得続けていたのです。ブラジルの経済が好調の間は民主主義政権であっても儲かるのでその体制を否定せずにいましたが、経済が悪くなると、大衆がさらに多くを求めるようになり、自分たちの利益が損なわれることになるので、それにストップを掛けるため、メディアやソーシャルメディアを使って政治をひっくり返した。そういうことなのではないでしょうか。
ブラジルから学ぶこと
この映画を見ても、いまは民主主義がどんどん破壊されている時代だということを認識することになったのですが、希望もありました。
ルーラは出頭する直前に、集まった民衆に向かって「自分のような人がまだ数百万人いる」ということをいいます。今回は不正に負けたけれども、また立ち上げればまたみん主義を取り戻せると。
実際にルーラは一度は民衆の力で正義を手にしたのです。もう一度できないと誰が言えるでしょうか。
この映画で明確になったのは、民主主義の破壊は分断を通して行われるということです。先ほども挙げた弾劾裁判の日の国会前のシーンで、賛成と反対の2つの勢力の間には広大な緩衝地帯が置かれていました。それはまさに市民の分断が象徴的に表れた映像でした。
ブラジルで市民はいったんは「力」を手に入れたけれど、旧勢力から力を奪い切ることができなかったために、分断され、力を失ってしまった。一部の民衆は力を握っているように思っているけれどそれは幻想に過ぎないのです。
なんだか暗い話になってしまいましたが、この映画はそれほど重苦しい作品ではありません。問題提起型のドキュメンタリーではありますが、自分や家族の物語を中心に据え、アーカイブ映像には音楽を加えることで、事件を追うルポルタージュになることを避けています。それによってルーラやジルマには親近感を覚えることができ、民主主義を自分ごととして捉えるられるような仕掛けが備えられているのです。
「敵」がメディアを使って私たちを騙そうとしてくるのなら、こちらは質の高い映像作品で市民の共感を得ようじゃないか、そんな意気込みが感じられるような気がしました。
もっといろいろな作品を見て勉強しなければいけないなと思いました。皆さんもぜひご覧ください。
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