情報社会を生き抜くための本56「オードリー・タン」その3 クリティカルシンキングとクリエィテイブシンキング(オードリー・タン)
クリティカルシンキングとクリエィテイブシンキング
オードリー・タンは、自分の思考法を育ててくれたのは父の書斎の本を自由に読むことができたことと父とのソクラテス的問答であったと書いている。そこで学んだのがクリティカルシンキング(批判的思考法)とクリエィテイブシンキング(創造的思考法)だった。おそらくオードリー・タンの父はそんなことを知る由もなかったと思うが。
「批判的思考法というと、人を単に批判することのように捉える人がいますが、実はまったく異なります。「クリティカル」とは、決して相手を批判するのではなく、自分の思考に対して『証拠に基づき論理的かつ偏りなく捉えるとともに、推論過程を意識的に吟味する反省的な思考法』という意味です。要するに、クリティカルシンキングとは、物事をクリアに捉えるための思考法なのです。父はこのような考え方で私を教育していました。」
「これに対して、母はクリエィテイブシンキングを重視していました。クリエィテイブシンキングとは、『既存の型や分類にとらわれずに自分の方向性を見つけていく』思考法です。母が教えてくれたのはこういうことです。私の考え方がたとえ個人的なものであっても、その内容を言語で明確に説明することができれば、同じ考えを持った人に必ず巡り会うことができる。すると、私が考えたり説明したりしたことは、単なる個人的な考えではなく、公共性のある考えになり、同じ考えや感覚を持つ人が「どうすれば、よりよい生活を送れるか」を共に考えるきっかけになる。いわゆるアドボカシー(社会的弱者の権利や主張を擁護、代弁すること)に発展するというのです」
「両親はともに『子供の探究心を押さえつけてはいけない』という強いポリシーを持って、私を育ててくれました」
すばらしいご両親だ。素直にそれを受け止めたオードリー・タンもすばらしい。
コロナウィルスに対する対処ではそのスピードの速さに評価が集中しているが、オードリー・タンは、それだけではないクリティカルな対応をしている。
「周りの人の気持ちにもっと注意を払うべきなのです。多くの人が『この方法であれば、受け入れられる』というものがあれば、新たな領域に踏み出す一つの方向性となります。もし誰かが『こうした方向に進みたくない、これは好きではない』と述べた場合は、これらの考え方もまた考慮に入れる必要があるでしょう。それにより最終的にみんなが受け入れられる方向に向かって新しい解決方法を創造していく。これが私が考えるクリティカルシンキングです。」
日本でもデジタル庁が新設されることになる。このようなことを理解した人がリーダーになって欲しいと、強く強く願う。