情報社会を生き抜くための本56「オードリー・タン」その2 AIが開く新しい社会(オードリー・タン)
オードリー・タンは、AIと人間の関係をどらえもんとのび太の関係で説明している。もう少し具体的に説明すると「ドラえもんはのび太くんのやりたくないことさせたり、のび太くんに何かを命令して実行させることは決してありません。逆に、ドラえもんがいるからといって、のび太くんが自分の代わりにドラえもんに山登りをさせて、自分は行かないということになるわけではありません。・・・のび太くんを成長させるのが、ドラえもんの役目です。・・・家族がいて、クラスメートがいて、先生がいて・・・といろいろな場所で相互交流を図っています。」ということである。日常生活の延長線上に人間とAIがある風景を想像すればいいのだ。藤井聡太棋士もインタビューでAIとの接し方を尋ねられ「ドラえもんとのび太の関係のようなものになると思います」と答えていたのを思い出した。
前回の記事で、マスクの全員配布をデジタルでスマートに行おうとしたが高齢者のデジタルデバイドの問題があり、あえて店に並ぶ方式に変えたというエピソードを書いた。このことについての背景をオードリー・タンは次のように説明する。
「高齢者などデジタルに馴染めない人が取り残されてしまうのではないかという意見があります。・・・コンビニや薬局でマスクを購入するとき、カードなどを使って購入者を特定して行くのはデジタル技術によるものです。ただ、そのデジタル技術も人間の手を介しない技術ではありません。カードリーダーのそばに薬剤師あるいはコンビニの店員がいて、操作に慣れていない高齢者を見ればきっと助けてくれるでしょう。多少は時間がかかるかもしれませんが、これは高齢者にとっても一つの学習機会になります。こうした機会がなければ、社会はデジタルが得意な人と増えてな人に分裂してしまいます。得意でない人は使い方を訪ねることさえしなくなるでしょう。これでは社会が分裂してしまいます。・・・何かを学ぶことができた人は、誰かに教えることもできるのです。」「デジタル技術は『誰もが使うことができる』ということが重要なのです。それが社会のイノベーションにつながります。」
デジタル技術はそれを教え教えられる人間関係のあるやさしい社会でこそ真価を発揮できるということだ。国会答弁で使ってもらいたいような説明だ。(議論はなくあげ足取りで非難し合うような国会ではイノベーションは望めない)
さらに付け加えている。「もし、高齢者が不便を感じるのであれば、それはプログラムの問題であったり、端末機器の使い勝手が悪かったりするからでしょう。そんなときは、プログラムを書き換えたり、端末機器を改良して高齢者が日常の習慣の延長線上で使えるように作り方を工夫すればいいのです。・・・そのためにはプログラマーが使用者の側に寄り添って考える創造力を養うことも大切です。」・・・「彼らが何を使えないのか、なぜ使いにくいのか」という感覚を明確に理解することができるでしょう。」
人間というものの理解をまず第一に考えること・・・ドラッカーの言う「顧客の創造」と似ている気がする。「便利さ」よりも「優しさ」が優先されなければならないということだ。