みまもる木
紅葉が綺麗な季節ですね。
イチョウやモミジなんかのハッ!とする色彩は人の心を潤してくれます。
紅葉したイチョウの黄色い色は人の心に良いとかなんとかっていうのをこのあいだ友人から聞きました。(ざっくりな情報とざっくりな私の記憶)
よく晴れた青空の下、あの黄色く色付いたイチョウを見ると確かに何とも言えぬ幸福感が胸に漂い、もし私が松尾芭蕉なら一句詠んでいる事でしょう。
このイチョウ。実は生きた化石と言われているのをご存知でしょうか?
まだ恐竜が生きていた時代。
イチョウの仲間が繁栄していて同じ時を生きていたそうです。
恐竜の絶滅と共にほとんどのイチョウもまた絶滅したそうなのですが、その時に生き延びたものが一種いてその末裔が現代の日本でお馴染みのあのイチョウの木なのだそうです。
うーん。太古ロマン溢れるう〜。
恐竜も色付くイチョウを見上げては秋を楽しんでいたのでしょうか。
このイチョウという木が私の中の松尾芭蕉を呼び覚ます様に、植物と私たち人の体と心はとても密に繋がっていると思うのです。
わかりやすい植物で言えばニンジン(急に野菜)
私たちはニンジン(などの野菜)を食べ、取り込み、栄養を吸収し、私たちの体にしていますよね。
美味しい新鮮な野菜を食べたら体も心も喜びます。
密に私たちの体と関係している植物の例として杉の木なんかもそうですよね。
春になると花粉症でお困りの方も多いのではないでしょうか?
そして忘れちゃいけないのが私たちの呼吸。
植物の光合成によって私たちは二酸化炭素を吐き酸素を吸って生きる事ができます。
あー地球上の植物たちよ、マジでありがとう!
ちょっと例をあげただけでもおわかりいただける様に、こんな感じで植物と私たちとは切っても切り離せない関係性があります。
また、人の記憶と結びつき思い出の一部として繋がっている植物もあると思います。
娘が通う小学校に大きなケヤキの木があります。
私はいつもその木の前を通るたびに「子供たちを見守っていてくれてありがとう。」と心の中で声をかけています。
そしてそのたびに、ある1本の木を思い出します。
私が子供の頃に通っていた小学校の校庭には大きなメタセコイアという木が立っていました。
誰かにとってはただそこに立っているなんて事ない1本の木だったのかもしれませんが、私にとってはいつもそこに立って見守っていてくれる大きな存在でした。
確か卒業文集かなんかの作文の中にメタセコイアを登場させていた子も何名かいたかと思うので、その小学校に通っていた子供は思い出の木として記憶している人も多いのではないかなと思います。
中学に上がり、遠い町に転校してしまった私はなかなかその木に会う事ができなくなりましたが、
「あの木は元気にしているかな。」
と、娘の小学校にあるケヤキの木を見ては思い出しているのです。
そして時と空間を超えて、今もなお繋がっているのだと思います。
木は歩いたり話たりはしないけれど、移ろう季節の中でいつもそこに立ち、風に吹かれてそよいでみたりしながら、せわしない人間たちの世界を俯瞰して見ている事でしょう。
みなさんにも思い出に残る特別な木はありますか?
ないよって人はいつか出会えるかも。
そしてその木の麓にはトトロに会いに行ける大きな穴が空いていたりして。。
はい。
急にファンタジー感が出たところで本日はお開きです。
それでは、また次回お会いしましょう!
ごきげんよう。