「わかっちゃいるけどやめられない」を考察する
茄子さんからいただいたお題。
「わかっちゃいるけどやめられない」のは何故か?
やめるにはどうしたらいいか?
「わかっちゃいるけどやめらない」について書くのに、僕はとても適任なような、とても不適任なような(笑
「わかっちゃいるけどやめられない」をいっぱい経験してきているという意味では適任だなと思いますし、「わかっちゃいるけどやめられない」を抱えているという意味で、とても不適任だなとも思います(苦笑
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分かりやすいところで一つ「タバコ」ですね。
結局吸わなくなりましたけど、「やめられない」とか「禁煙しばらくしてもまた吸い始めちゃう」みたいなことを、何度も経験してきました。
金もかかる、服も臭くなる、周りも誰も望んでない、体に悪い、頭もいたくなる・・・・とか「わかってる」んですけど、全然やめられなかったですねぇ。。。
タバコは身体的【中毒】ですが、でもきっと、「わかっちゃいるけどやめられない」っていうのは、それが身体的であれ、精神的であれ、ある程度【中毒】というとらえ方をするのが適切なように思います。
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ダイエット中に「わかっちゃいるけど」ラーメンを食べちゃう、みたいなやつもありますね。
これを説明するのに【誘因度】という考え方があります。
人間は、誘因度の高い方に動く、というものです。
そしてこの誘因度は「時間軸」とか「実現可能性」みたいなことも関わってきます。
ダイエット成功して素敵な体形になる魅力100点×達成するのにかかる期間3ヶ月(1/90)
ラーメン食べて幸せを感じる魅力70点×達成するのにかかる期間1分(1/1)
みたい考え方をします。そうすると、ダイエットの誘因度は11点くらい。ラーメンの誘因度は70点くらいです。
ラーメン70点>ダイエット11点
という不等号によって、ラーメンの方を選んじゃう、というわけです。
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この不等号を逆にできない限り、ダイエット中のラーメンをやめることはできません。
例えば「大好きな恋人に痩せたら嬉しいと言われた!」みたいなことで、ダイエットの魅力が100点じゃなくて、1万点とかになる、ということはあります。そうすると、ラーメン70点>ダイエット110点くらいになって、ラーメンを我慢できるようになったりします。
ラーメンのことは諦めて「カロリー消費する」方を頑張る、みたいなこともあります。
運動しててカロリー消費する魅力10点<ごろごろする魅力80点
みたいなときに、例えばですが「イケメンインストラクターとする運動の魅力90点」とか「美女インストラクターとする運動の魅力90点」みたいになれば、ラーメンでの摂取カロリー以上の、カロリー消費を運動することもできたりするでしょう。
そういうことをコントロールして「自分の行動を管理する」ということをしてきます。それによって「わかっちゃいるけど・・・」というものの管理を細かくしていくわけですね。
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中毒、の話に戻ると「ダメなことは分かっているけど」実は、その裏側で得ているメリットが大きくて、続いてしまう、というのが単純化した式だといえることだと思います。
麻薬をやっちゃいけないと分かっているけど「やったときの快楽の大きさ」があるから、またやってしまう、みたいなことです。タバコも、そういうところはあると思います。ニコチン中毒ですから、ニコチンが足りないと飢餓感があり、ニコチンを吸入すると、すごく「満たされる」わけですね。
ちょっと強烈な言葉であるこの【中毒】という言葉をあえて使ってみると、いろんな中毒があります。アルコール中毒、ギャンブル中毒、転職中毒、引きこもり中毒、他責中毒、自己犠牲中毒、成功中毒、お金中毒、健康中毒・・・などなどなど、です。
繰り返し起こるパタンは、中毒と呼ぶこともできるかなと思います。そして基本的に中毒というのは「裏側で得ているメリット」というのが必ずあります。
ちなみに【中毒】だということが、それほど悪いことなのかというと、まぁ、ないほうが聖人君主なのかもしれませんが、多かれ少なかれ人間は持っているものだろうと思います。
それが実生活の上でよほど破滅的なものでなはなければ「まあ、●●中毒という個性をもった自分だなぁ」と受け入れることも、一つ大事かなぁという気がします。
もし中毒的なものを自分の中から取り除くというか、改善していこうとなったら、これはちょっと勇気がいるというか、痛みを伴う自己分析に踏み出していく覚悟みたいなのもいるかなと思います。
「裏側で得ているメリット」というのは、自分のずるい部分とか、汚い部分とかが出てきやすいところです。それを直視するというのは、なかなかの作業です。
もしどうしても「この中毒は卒業したい!」と思うのであれば、セルフでやるのであれ、だれかセラピストなりの力を借りるのであれ、そこはちょっと「自分に向き合う」みたいなことは必要いなってくるかなと思います。