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鬼木フロンターレとは何だったのか:Vol.22〜最適解の見つからない右SB問題。「自分たちの大切なもの」を取り戻した、夏場の多摩川クラシコ。

2019年の夏場に差し掛かる頃、チームには再び右サイドバック問題が浮き彫りになっていました。

 エウシーニョ移籍後、その後釜としてやってきたマギーニョ、馬渡和彰がいましたが、なかなかスタイルにフィット出来ません。どちらかと言えば、馬渡和彰が出場機会を掴んでいたのですが、ACLのシドニーFC戦と5月の大分トリニータ戦ではマギーニョが公式戦2試合連続スタメンで、大分戦では決勝点も決めています。

 ようやくマギーニョが頭角を表してきたようにも見えましたが、鬼木監督はそのパフォーマンスに満足していなかったようでした。この時期の戦術練習や紅白戦、ミニゲームでも右サイドバックは固定せずに入れ替えています。

 迎えた大分戦直後の浦和レッズ戦、引き続きスタメンかと思いきや、そのマギーニョはベンチスタートに。そして右サイドバックのポジションには、意外なことに本職ではない車屋紳太郎が起用されたのです。

・・・・・なぜ車屋紳太郎が右サイドバックを?

今になって振り返ると不思議なのですが、当時は左サイドバックでレベルの高い競争が起こっていました。

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