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鬼木フロンターレとは何だったのか:Vol.77〜4試合連続無得点。もがきながら進んでいくチームの現在地。

ここ2シーズンぐらい、試合を見ていて感じていることがあります。それは、あまり相手を見てサッカーをしていないのではないか、ということです。

 相手が何をストロングにして、何を隠しに来ているのか。それを読み取る仕事をしている選手や、読み取ったものをピッチでみんなと共有する作業をやっている選手、何よりそれをやろうとしている選手が少なくなったように感じます。

4月、等々力での東京ヴェルディとの試合は、システム的には4-4-2同士のミラーゲームになりました。

 そこで、どこでどうやってズレを生み出していくのか。サイドの脇坂泰斗はなんとかしようと奮闘していましたが、それに呼応する選手が少ないまま時間が過ぎ、前半が終わってしまいました。そして試合は0-0のままタイムアップとなりました。これで4試合連続無得点による勝利なしとなりました。

「相手が何を狙ってきているかを把握していくことと、ゲームの中で相手が何を嫌がっていたかをもっと理解しながらやれればよかったかなと思っています」

 試合後の鬼木監督の言葉です。
現在は鬼木監督のプラン通りといいますか、うまくいかないとベンチからの指示を待ちながら過ごし、ピッチ上で判断して進めていく意識が選手たちにどこか薄いように映ってしまいます。

「昔はこうだった」という話はしたくないのですが、かつてのフロンターレは、立ち上がりに中村憲剛や大島僚太、守田英正といった中盤の選手たちがそれを敏感に感じ取り、センターバックの谷口彰悟とコミュニケーションをとりながら、相手の出方に応じて試合を進めていました。

 別に試合中にあれこれと話し込まなくても、一言二言を交わして調整する感じでしたし、阿部浩之や家長昭博などはボールを持った時のプレーで「慌てなくていい」など緩急のメッセージを発してました。

要は、技術だけではなくみんなが同じ目を持ってサッカーができていたわけです。

過去の栄光を語り出すのは良くないのは承知してますが、優勝していた時代というのはそういう振る舞いの出来る選手たちがピッチに揃っていました。フロンターレらしくあるためには、こうした試合運びのエッセンスが少なくなっているのは如実に感じます。

 そういう意味で、相手を見ながら、味方とコミュニケーションを取って修正できる登里享平が今シーズンからいなくなったのは痛いですし、味方に檄を飛ばしたり、プレーで姿勢を出せる山根視来という両サイドバックがいなくなった影響は、相手を見てサッカーをやる上で、予想以上に大きいのだと思います。

 でも、いない選手のことを嘆いたり、過去を懐かしんでも仕方がありません。いるメンバーで積み上げていくしかないのがサッカーですから。

 そしてメッセージを発するのは、やはりゲームのハンドルを握る中盤の選手です。マルシーニョはドリブラーなのでその役割から除くとしても、この日は脇坂泰斗、橘田健人、ゼ・ヒカルドの中盤です。

 脇坂泰斗は、なんとかしようともがき続けています。そこに他のメンバーが呼応していければ・・・というところです。相手のボランチの対応を見て、自分のところで剥がせば一気にチャンスができることに橘田健人がもっと早い段階でその狙いに気づいて、チームとしてそこを利用するように周囲に伝えていれば、試合の流れや構図もより変わったかもしれません。

復帰が待たれる大島僚太が優れているのは、単に技術だけではなく、相手の狙いを見抜く目があり、そこでゲームコントロールができるからです。あのエッセンスを持っている選手だからこそ、やはりそこには期待をしてしまいます。


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