宗教行為で周りの人を不安にさせないようにしたい
ここ数年、仏教関連のツイッターアカウントをたくさんフォローして初めて、
「日本にはこんなにたくさん仏教が好きな人がいたのか!」と思い驚いた。そして嬉しくなった。
約40年生きてきたが、仏教に関心を持っているという人はいても、仏教をやっているという人(お坊さんではなく在家の人)にはお寺の外では今まで一度も出会わなかったからだ。
とはいえ、他の人のツイートやAmazonレビューを見ていると、こんなに勉強して本を読み込んでいる人がたくさんいるのに、仏教の行を日常的に行っている人が少ないように見えるのはとても不思議なことのような気がする。
それは、修行をしていると人に言わずにやったほうがいいということなのか?それともやっぱり、今の日本では宗教イコール危険と思われてしまうからなのか?
仏教の本を読んだりお坊さんのお話をお聞きしたりすると、どう考えても仏教を実践したほうが楽しそうだし幸せになれるはずだよな〜と思えてならない。仏教の多くは欲望や自我にとらわれた世界から離れていく方向の教えを説いているけれど、それをちゃんとやると、結果的に生活も仕事も夢もいい方向に向かうはずだよな、とも感じられる。戒をすべてたもったり、行を毎日やれているわけではないけれど、そう確信しているから、少しでもやりたくてついやっちゃう、みたいなところがある。
とはいえやはり、今の日本では
「聖職者でもないのに宗教行為をしている人」=やばい
と思う人がほとんどなのは事実だと思う。それでも、そう思われることによるデメリットをはるかに優るよさを感じているので、周囲の人を不安にさせない程度に抑えつつ仏教をやる、という方法をとっている。
具体的には、家族がいるところでお経や御真言を声に出して唱えない、お参りしている他の人が仏教大好きな人だと決めつけない、友達との会話などで仏教の話を持ち出して相手が引いているのを感じたらスッと話題を変える、など。
そのあたり、在家の方々がどうしているのか知りたいな〜といつも思っている。
ちなみにこのあたりの問題については、ビートルズファン仲間の友達が「ファンじゃない人の前でジョン(・レノン)のことをジョンって呼ぶと引かれる」と教えてくれたことがかなり役立っている。ジョン・レノンと知り合いでもないのにジョンと下の名前で呼び、かつ「ジョンといえばレノンに決まっているだろう」と疑わない様に怪しさや傲慢さが醸し出されるということなのだろうと思う。
仏教やほかの宗教に限らず、なにか特定の事象や人物が好きな人は、どうしても盲目的な感じや排他的な感じを帯びてしまうのだろう。そのことに早くから気づかせてもらえて本当によかったと思う。仏教は周りの人を不安にさせるものではなく、むしろほんのりと安心感がおすそわけできるような優しくあたたかいそよ風みたいなものであってほしいなあと思う。
そんなわけで、お前最近怪しいよ、と感じた方はぜひ教えていただけると嬉しいです。