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はじめての成道会

12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた日で、日本のお寺では成道会(じょうどうえ)という行事が開かれるのだという。鎌倉の円覚寺さまの成道会にお参りしようかと思っていたのだがあいにくうかがえなくなってしまったので、行事はなかったけれど近所のお寺にお参りすることにした。

先行して、2023年12月6日に、巣鴨にある大正大学さまにて学生僧侶の方々が主催された成道会にうかがってきた。
この法要に参加されるのは天台宗、真言宗豊山派、真言宗智山派、浄土宗と、時宗の学生僧侶の方々とのこと。巣鴨駅近くの眞性寺(しんしょうじ)さまからお練り行列がスタートし、とげぬき地蔵でおなじみの巣鴨地蔵通り商店街を通って、キャンパスまで歩いていかれる。
そもそもお練り行列を拝見するのも初めてだったため、どこにいればよいものなのかわからず、最後尾の方の10メートルくらい後ろをついて歩いた。こんなにゆっくりとこれだけの距離を歩いたのもたぶん初めてだったと思う。とてもご親切にご案内くださる方や、沿道を歩いていた小さな子に微笑まれている方のお姿、気さくに声をかける地元の方々が印象に残った。ラーメン、うなぎ、白髪、健康、などの文字が躍る商店街を歩かれる姿に、「娑婆」という言葉が胸をよぎった。街を歩かれるお坊さんのお姿を拝見できることはとても嬉しい。

大学構内に到着すると、さざえ堂という建物の前で般若心経をとなえる時間があった。少し離れたところで自分も一緒に合掌し、般若心経をとなえた。仏教用語で何と言うのかわからないが、ノリ、グルーヴ、のようなものが、過去にとなえた般若心経の中で一番しっくりきて、これだ!というような気持ちになった。お経と僧侶のみなさんとの一体感のようなものを過去一強く感じたのである。ややアップテンポだったことが関係しているのかもしれないし、体力の充実しきった世代のお坊さんがたゆえのパワーだったのかもしれない。
さざえ堂は自由に参拝できるそうで、螺旋階段をゆっくりと登りながら仏さまに手を合わせた。頂の宝珠の上で、鳩たちがくつろいでいた。

続いて、キャンパス内に設けられた仏さまのスタンプラリーや、ふるまわれた乳粥&大根を楽しみ、興奮しながら法要の時を待つ。事前に得ていた情報では、なんと天台宗・真言宗豊山派・真言宗智山派の3宗派で同時にお護摩を修されるのだという。会場はキャンパスのど真ん中で、すでに3つの護摩壇が組まれていた。どれがどの宗派のものなのかを読み解こうとしたが自分の乏しい知識では無理だった。でも、護摩壇を見つめているだけでドキドキしてくる。

法要が始まり、さきほどお練りをされていた学生僧侶の方々が入場される。宗派ごとに違ったお経?を順番にとなえていらした。厳かにお護摩の火が焚かれる中、浄土宗のみなさんのパートでは散華(花びらの形をしたカードのようなもの)が舞った。会場の近くの校舎から、先生がたと思われる方々の散華がひらひらと舞い散り、お護摩の炎の上空を流れていった。法要中に自分が聞き取れる言葉は1割もなかったがとても楽しかった。南無〇〇、と日本仏教で大切にされるお坊さんのお名前を次々に読み上げるパートで、宗派の壁なくご一緒に唱和されていたことにグッときてしまった。またあらためて般若心経を読む時間があり、ギャーテーギャーテー!ハラソーギャーテー!と自分も声を合わせてとなえる時間がやはり楽しすぎた。楽しいと言っていいものなのかわからないが、この感情に一番近い身近な言葉はやっぱり「楽しい」だ。大迫力の太鼓もかっこよすぎて、あまりこういう例えをしてはいけないのかもしれないが、「ロック」という言葉が浮かぶのを抑えきれなかった。トリプルお護摩もあいまって、キング・クリムゾンのライブを観に来たのかと思うような興奮と共に会場を後にした。
今まで、大きなお寺の立派な肩書きのついたお坊さんであればあるほど感動したりありがたかったりするものなのかな、と漠然と思っていたが、それが関係ないことを知った。宗教に背を向けている人が多い今の日本、自分より後の世代で、仏教と共に歩もうとされている方がこんなにいらっしゃるのかと思うと、ウッ…と涙が出そうになった。

先日参詣したお護摩で、お坊さんがたの背中を見ながら般若心経の「舎利子。」のところに来たら思わず泣いてしまった(自分でもびっくりした)のだが、そのときと同じような気持ちになった。約2500年前の時代を生きたお釈迦さまから教えが受け継がれて、世界のいろんな国の人がその教えを知って、楽しく生きたり、それでもやはりつらかったり、教えの灯が消えそうになったり、誤解されたり、いろいろなことがあって、この日に至っている。
学生さんたちの中には、在家から発心して入学された方も、ご実家のお寺を継ぐことにまだ納得されていない方も、いろいろな方がいらっしゃるのだろうと想像する。きっといろいろな思いを抱き、こうして共に学ばれているのだろうと思う。そして私たちの世代がそれぞれ人生を終えたあとは、この方々が法を受け継いでいかれるのか…と思ったら、涙が出たのだ。はじめての成道会が大正大学さまでよかったなあと心から思った瞬間だった。

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