やっと気付けた「好き」が消えちゃうのが怖い〜実写版「耳をすませば」の感想文〜
先日、実写版「耳をすませば」をみてきた。
ジブリっ子な私が、ジブリの中でも最も好きな「耳をすませば」。
好きすぎて、少なくとも20回は見た。
リアルな日常の中に潜む小さなファンタジーが描かれており、いたって普通の風景がキラキラして見えるあの作品の世界観が大好き。
(余談だが、私はファンタジーすぎるとその世界観を理解するのに精一杯でストーリーが入ってこなくなるから、その手の作品はちょっと苦手。)
また中学生時代、勉強や部活に感情を押し殺しながら向き合い、青春を棒に振った自分とは異なり、好きなことに全うする雫への憧れもあったのかもしれない。
そんな大好きな映画が実写化するなんて…!
しかも桃李(推してる俳優さんは呼び捨てしたくなります)が出てるなんて…観にいくしかないっしょ!
でも、好きだからこそ面白くなかったらどうしようと、一抹の不安も抱えつつ観に行った。
結果、号泣するほど良かった。
今回は、実写版「耳をすませば」が、号泣するほど刺さったのはなんでなんだろうという話をしていきたいと思う。
OL雫に共感
アニメ版から10年後の設定で、大人になった雫が、編集会社で働きつつ夢である小説家も目指し続けるが、現実は難しく夢を追いかけ続けるのがだんだん苦しくなってしまうという話。
「最近、心の音が聞こえなくなった。昔は本を読んでると心の音がしたのに…」という雫のセリフが印象的。
社会に出て自分を押し殺して、自分の心の声が聞こえなくなっている雫が、過去の自分と重なって共感の嵐だった。
「好き」という感情を失った学生時代
私は、小さな頃は可愛い雑貨やジブリアニメ、フリーマーケットでの宝探しなどが大好きで、自分の中の「好き」や「こだわり」が明確だった。
でも、学校というものに行き始めてから、目立ちたい願望があったのかクラスの人気者に憧れて、人目を気にするがゆえに周りの子に合わせて興味もない流行を追ったり、目立つために勉強や部活で活躍するために努力した。
その結果、好きなものに時間を割くくらいなら、一目置かれるために役に立つことをやろうという思考に至り、次第に自分の「好き」という感情を忘れていった。
そんな趣味も個性もない学生生活を長らく過ごしてきた自分が初めてぶち当たった壁が、「卒業研究」だった。
恐ろしいほど研究テーマが決まらなくてほぼ”鬱”(病院には意地でもいかなかったので診断されたわけではないが、今思い返すとおそらく鬱状態だった)になったのだ。
研究は、今までの与えられたことをやるだけの勉強とは異なり、自分のやりたいことをもとにテーマを決めていくので、それが苦しくてしょうがなかった。全くやりたいことや好きなことが思いつかない自分にびっくりし、初めて自分の好きなことや自分の軸がないことに気がついた。
「そういえば、長らく心からワクワクしてないな〜」
自分探しの大学院時代
なんとか卒業し大学院に入った後は、ずっと自分探しをしていた。
大学時代の仲よかった友人たちは卒業し、人付き合いも減り一人でいる時間が増えた。大学院1年生の末頃からコロナが到来し、ますます一人でいる時間が増えた。そんなタイミングで、自分と向き合いたい人にコーチングをしてくれるコミュニティに出会ったり…
その結果、人付き合いによって押し殺していた自分の感情と、人付き合いに割き過ぎたことで失っていた時間を取り戻し、自分って本来こういうものが好きなんだ!自分って結構こだわりあるじゃん!と、自分というものの輪郭がはっきりしてくる感覚があった。
そして、社会人になるタイミングで、一回まっさらにしたいと思い、自ら勤務地を関西希望で出し、うまれ育った関東を離れ、晴れて関西生活をスタートさせたわけだ。
全く人脈のない地なので一人で行動することもますます増え、休みの日は自分の好きなことをし、自分の好きなものを身につけ、人目を気にせず自分の人生を楽しんでいる。
話は戻して、「耳をすませば」の感想
そんな経験があるからこそ、自分の「好き」という感情を失うことに人一倍恐怖心がある。
雫が自分の心の声が聞こえなくなっている様子に、過去の自分と重なって見ていてとても苦しかったし、その後形を変えながらも好きなことを追求していく雫を素直にかっこいいと思ったし、シンプルに純愛を続けるせいじくんと雫の関係性が尊いし、白ニット桃李がかっこよすぎるし…いろんな感情が入り混じって、号泣してしまったんだと思う。
中学生が夢を語って美しく終わったアニメ版に対し、実際そうは言っても大人になると難しいよねっていうリアルが描かれている、良作でした!
見てよかったな〜
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