【連載】「いるものの呼吸」#4 視線人(しせんびと)の語彙集
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言葉とわたしは一生別れることができない。言葉一切を捨てても、その片鱗は脳味噌の内側にへばりついて取れないだろう。常に言葉がある。わたしはこれからも映画を作ることをやっていきたいなあと思っている。風景で思考しても耳からちょっと出たフィルムを引っ張り出してそのまんま映画館で上映することはできない。風景を人と人が共有できる「言葉」にする。そうした時に、言葉は輪郭を持って来るけど、形や色や手触りをどこかに置いてきてしまう。わたしは言葉が好きで、言葉が嫌い。
いま話している「言葉」はわたしの持ち物の話で、小説にある言葉や、社会で使われる言葉、冷蔵庫にある言葉とは少し違う。わたしの言葉はわたしの時間と共に食べごろになったり、腐ったりする。身体に右手を思いっきりいれてがさごそと奥の方まで探ってみる。わたしの身体にはいろんな言葉が落ちている。
・ぼに
「ぼに」久々にこの響きを捉えた。ぼに、というのは学生時代にとある運送業者でアルバイトをしていた時に出会った言葉だ。地図に書かれた道路が絡まった毛糸に見えてしまうわたしはほんの一瞬でこのバイトを辞めたのだけど。
アルバイトは社員の横乗り(※トラック運転手のヘルプ・補助を行う)仕事をする日がよくあった。小泉さん(仮名)の日は嬉しかった。本社を出るとタバコを一本吸って、「よっしゃ、ぼにー」と気合を入れて大通りへとトラックを走らせた。気合をいれる以外にも小泉さんは「ぼに」を使った。わたしがマンションの荷物を運び終えてトラックに乗り込むと「おけぼに?」と聞いてくる。わたしは「ぼにです」と答える。すると小泉さんは「ぼにー」というのだ。わたしは小泉さんに「加速(※後ほど説明)」していた。でも地図が読めなかったわたしはバイトをはやく辞めないとこれから起きるであろう数々のトラブルに悪いと思っていた。小泉さんにちゃんと挨拶もしないまま辞めて本社に制服を返しに行った。その日出勤していた小泉さんにすれ違いざま「冷凍のとこに金子さんにお土産あるから」と言われた。それは「新福菜館の冷凍チャーハン」だった。今も覚えている。本当に美味しくて冷凍食品かっこいいって思った。友達とラインをしている時「おけ」だと素っ気ない気がして「おけぼに」と打った。「ぼに」に含まれる小泉さんの話も共有しながら、「ぼに」を広めていった。すると友達はそれが定着し始めて「ぼに?」「ぼに」などの会話もできるようになった。しかし、いつからかしばらく会ってない言葉だった。北海道に引っ越した友達がわたしのことをいまだに「ぼにちゃん」と呼んでくれている。
・グアメニャー
学生時代マヤ・デレンの『午後の網目』(1943年)を見た時にこの感情が湧き上がってきた。「グアメニャー」としか言えない。時間が空間が「グアメニャー」としている。過去や未来や現在が同時多発的に発生するそのマジカルを「グアメニャー」と呼んでいる。例えばふと曲がった路地で庭先に大きなキリンの置物を見つける。そのキリンの置物が過去を連れてくる装置になる。過去の会話がいまの耳まで届く。そういえばここ、あの人とお散歩したところだ。うわああああ、え!! 時間!!!! ってなるとき、それ、グアメニャーです。ただ最近は「今」が過去や未来が含まれる茫漠とした湖であることに気づき始めているので、グアメニャー! になることはあんまない。
・生き生き現在
卒論を書いている時に生まれた一人称である。時間がどろどろと溶けてしまうことに抗いマップピンを刺すようにわたしを刻む。「生き生き現在」と。ただぼーっとすするコーヒーも「生き生き現在はコーヒーを飲んでいます」というと、存在を場所に刺すことができた。世界との接地面を確認することができた。卒論を書き終わるまで毎日が生き生き現在だった。
半年ほど前、ふと「どうも、生き生き現在です」と言ってみたらそれがいなくなっていることを感じたのだけど、一昨日くらいに「生き生き現在風呂に入ります」と口が勝手に言っていたから、ふと顔を出す時があるみたいだ。この一人称が生まれた後に図書館で見つけたクラウス・ヘルト『生き生きした現在――時間と自己の現象学』(北斗出版)は数十頁しか読んでない。生きているうちに読まなければいけない気がしている。
・全員殺すという気持ちで人に優しく
これはわたしの座右の銘である。常にこの気持ちで映画を作ったり、バイトをしたり、荷物重そうな人が目の前を歩いていたら声をかけたりしている。これからも全員殺すという気持ちで人に優しく生きていきたい。
・眠る虫
全員殺すという気持ちで人に優しく撮った『眠る虫』(2020年)という映画があるが、これは映画そのものを指す言葉ではない。この場合の「眠る虫」は風景のことを表す。「落とし物を誰かが拾って道の端っこに避けてある、或いはポールの上などに置いてある」その風景のことを「眠る虫」と呼んでいる。「眠る虫」を見つけると、ありがとうって言いながら写真を撮っている。
・妹
過去の自分のことを妹と呼んでいる。過去の自分は現在の自分と切っても切れない血縁関係がある。過去の自分をたまに脳内喫茶に召喚してコーヒーを飲む。過去の自分のことは好きだし、妹もわたしのことを好きでいてくれているようで、かなり仲がいい。古いフィルムカメラは妹ではなく「おばあちゃん」という感じがするのは不思議だ。それ以前にカメラは性別を付与されることを望んでいないだろうけど。
・小さい森
ブロッコリーのことを指す。高いので滅多に買えない。
・自己完結岩
わたしの目指しているもの。自己完結岩になりたい。しかし一生なれないだろう。自己完結している人なんて存在しうるだろうか、部屋を見渡すだけでもあらゆる他者がいる。自己完結岩は、石がたったひとつだけある惑星では可能かもしない。石がふたつあると比較が始まるのだろうか。
・無窮の内側
自己完結岩ともつながるのだが、自分の内側に潜り込み、意識の奥底まで潜って潜って潜っていくと無窮の内側に辿り着く。限りなく死に近い生。これは高橋たか子の本を友達から勧められて読みまくっていた時に掴んだ感覚である。『21世紀の女の子』(2019年)という短編映画集に参加したとき監督した『projection』は北田瑞絵さんという写真家に、無窮の内側にいるわたしの写真を撮ってもらった経験を元に作った。
・えんとつ
まだ生まれていない子供たちのこと。大江健三郎『取り替え子』を読んだ後に現れた。なんでえんとつなのかわからないけど、人間は筒のような側面があるから、えんとつが思い浮かんだのかなとわたしの感情を推察している。
・視線人
映画業界って大きなひとつのクラスみたいで、そこから転校したいってずっと思っていた。映画監督という言葉と身体の摩擦を感じていた。映画監督ってなんか実際そんなことしたことない。それで「視線人」として生きていこうと決めた。ただ存在を見つめ、見詰める。自分自身の視線を遂行する。それだけをやっていきたい。
・加速者
関係性が加速する人物、または物、場所、その対象を指す。規範的に使用される「恋」とは言い難い、加速としか言えないことがわたしの人生でもたびたび起こった。人にも加速したし、アイルランドにも加速した。それから、大江健三郎。誰かの加速話に加速することもある。
・スタブロ者
加速者になる一歩手前。スターティングブロックをいままさに蹴ろうとしている状態、その向かう先(人、物、場所さまざまある)を指す。スタブロ者の話を友達から聞いたりするのが一番好きだ。蹴ろうとして膨らむ筋肉と、それを止める理性の狭間で友達の表情は生き生きとしていることが多い。
・喫茶店状態
場所になり、耳を傾け、人々の声を聞くこと。電車などで喫茶店状態をやるととても楽しいしアイデア集めにもなる。
・のに
わたしが最近最も大切にしたものだ。誰にも頼まれていない「のに」ものを作り始めたわたしがいた。この「のに」の中にあるものが創作において最も重要だ。
・世界平和同士並行自己実現
大体のハロプロの楽曲のことを指す。
・家でできる散歩
料理のことを指す。最近は同居人に「家でできる散歩するか」と誘い、一緒に料理をする。水に溶けていく出汁は風のようで、包丁のリズムは今日の足取り。じりじりと油と遊び、たまに跳ねてくる子供たちの声。炊飯器が炊き上がる音は、公園で聞く5時のチャイム。ただ、食器洗いはただの食器洗いで大変めんどくさい。
・ポエミーティング
ポエムでするミーティングのこと。ポエミと略す。流行って欲しい。歌会とかそんな感じか。歌会参加してみたい。
・ポキ夜
ポジティブに消えたい夜のこと。誰しもそんな夜があるだろう。
・納得玉
登山の下山時に生成される玉のこと。このことについては連載第二回で触れているのでぜひ読んでほしい。
・地球人
地球に生きている人のこと。人間であるということ以前に地球人であるということを強く意識している。それを実感したのは雨上がりの京都府立植物園でチェンマイのヤンキー(※イラストレーターの正木ゆうひと金子由里奈の音楽ユニット。呼ばれればライブをしたりする。そろそろアルバムを出すつもり)の相方である正木ゆうひと歩いていた時、わー! 地球人だー! って気づいた。ゆうひはわたしを自由にしてくれる友達のひとり。
・移動サプリ
移動サプリメントのこと。わたしは移動が大好きである。移動すると元気になってしまうのが困るところ。。。移動は座っているだけで移動を達成することができる。時間の歪みを歓迎し、流れていく景色にある出会わない未来を思う。移動でしか摂取できない栄養素がある。
・エビチリ
すでに解散してしまったが「銀兵衛」という芸人のネタ「エビチリ」から。地球を汚して映画を作ることを「エビチリ」のネタからいつも思い出す。人間であることのキモさを思い出す。
・誤読
誤読のことが大好き。誤読にその人自身の表象があると思っている。
・偶然性の波紋
出来事が時間という湖にぽちゃっと落ちると、終わらない波紋を作る。それを巡り巡って1000年後に誰かが拾う可能性だってある。誰かの波紋を見つけると嬉しくなる。
なんか他にもありそうな気がするけど、とりあえず右手が拾った言葉はこんな感じ。楽しかった。きっとこれからも持ち物の言葉は増えていくだろう。そして、増えるたびにわたしの身体は軽くなっていく。言葉を持つということはそういうことだと思う。
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