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『カウンセラー』上映後トーク 酒井善三(監督/脚本)×大森時生(テレビ東京)×魚豊(漫画家)

 ショートドラマ配信アプリ「BUMP」にて配信され、現在シモキタ-エキマエ-シネマK2ほかで上映中のドラマ『フィクショナル』
 本作の劇場公開に伴ってリバイバル上映された酒井ぜんぞう監督の前作『カウンセラー』上映後の、酒井監督、テレビ東京プロデューサー・大森時生さん、漫画家・うおさんによるトークの模様をお届けします。
『フィクショナル』上映後のトークの模様はこちら

*本文中、『カウンセラー』の内容に関する記述があります。

(取材・構成:石原書房)

『カウンセラー』

『カウンセラー』キービジュアル

あらすじ:
ある心理相談室に勤める心理カウンセラー・倉田真美は、妊娠6ヶ月目で産休前最後の出勤日だった。
予定していた最後の相談者を見送ったあと、ある一人の女性・吉高アケミが予約なしでやってくる。
やむなく「相談内容だけでもお聞きしましょうか」と伝えた倉田に、
アケミは「……妖怪が見えるんです」と語り始める。
謎めいた彼女の口から語られる暗い物語が、
奇妙なことに聞いている倉田を妄想に駆り立て、不安の渦に堕としてゆく……。

『カウンセラー』上映情報(シモキタ-エキマエ-シネマ「K2」)

▼「個」が解体されていく感覚/ピークがある恐怖と持続する不安

酒井善三(以下、酒井) ご鑑賞頂きありがとうございました。『カウンセラー』の監督の酒井です。ちょっとご紹介を。この後上映される『フィクショナル』にコメントを頂きました、魚豊さんです。

魚豊 漫画家の魚豊です。よろしくお願いします。

酒井 そして『フィクショナル』のプロデューサーの大森さんです。

大森時生(以下、大森) テレビ東京の大森です。よろしくお願いします。一応お断りしておくと、私はこの『カウンセラー』の制作には関わっていないので一ファンとしてお話できればと思います。
 魚豊さんの『ようこそ!FACTへ』も持ってきました。ここで宣伝しても意味ないくらい売れているとは思うんですけども、万が一読んでいない方がいらっしゃったら駅前の本屋さんで買って帰って頂いて。

魚豊 ありがとうございます。『カウンセラー』、めちゃくちゃ面白かったんですけど、これはいつ撮られたんですか?

酒井 2020年ですね。本当にお金がなくてクラウドファンディングをやったんですけど、「撮るぞ!」という時にちょうどコロナ禍で。

魚豊 企画はいつごろからされていたんですか?

酒井 それもけっこう近くて、2019年の年末くらいですね。熱いうちに打て! という勢いでやっていました。

魚豊 この映画の不気味な感覚はそれこそ2020年代っぽいというか、あまり見たことない不気味さでした。最初の階段を上がっていくところとかは単に不気味でよかったんですけど、本編がどんどん訳が分からなくなっていくというか、自分と目の前の他人が「どっち?」みたいになっていくのがすごく面白かった。
 全編を通して不安が続いていくと思うんですけど、それが何に起因しているかというと、アイデンティティクライシスというか、情報を統合できずに自分という個が流出していってバラバラになっていく感じ、インディヴィジュアルなものが解体されていく感覚。本来映画を見るって、前衛的な芸術映画でないかぎり「筋を理解したい」という欲望を前提としていると思うんですけど、そこが裏切られていく。次に上映される『フィクショナル』にもつながりますけど、そこが陰謀論の時代の不安の描き方だなと思いました。
 それに対応するように、水のモチーフが出てくる。水というのはまさに個がないというか、完全に溶けた存在、自分という有限の枠がない存在で、それに対する恐怖と憧れみたいなものの二重性や矛盾がずっと続いている。その自分というものが水や液体のように溶けていってしまう不安が、汗やバスタブだったり、終盤でテレビモニターの中に流れる滝だったり、流し台だったり、そういう連続するモチーフに裏打ちされていて面白いですね。最後の、子供が「生まれたくない」と言っているように思われたというのも、まさに羊水という液体の中にいる、個になる前の存在を自分の中に内包している、つまり個としての統合を失調する可能性みたいなものを抱えながら生きているという不安が時代の状況と合致していて、嫌な映画だなあと思いました。

酒井 なるほど……すごい(笑)。嬉しいです。

大森 水の使い方が印象的というのは僕も思いました。しかも水が出てくる瞬間が、主人公が不安になる瞬間であり、観客が不安になる瞬間でもあって、そこがリンクしているのが面白い。
 これは好きな場面なんですけど、木の蓋がついているコップのお茶を一気飲みするシーン。別に一気にあの量のお茶を飲むこと自体はそんなに不安ではないはずなんだけど、蓋を取る動作があって、ゆらめくお茶が見えた後にそれが一気に喉に入っていく。そこにあるもの自体は日々の生活に当たり前に存在するピースなんだけど、その組み合わせ方と見せ方ひとつで、こんなに「あっ、まずい」という気持ちになる。

魚豊 「見たことないあるある」というか、「これってこうやるとまだ怖いんだ」というアイデアが一杯入ってましたよね。
 これは脚本を書いている時に、ご自分の中でどう理解していたんですか? こっちがあっちになって、あっちがこっちになる、というのは。

酒井 脚本は、あまり自分で意味づけを考えないようにして書きました。当初は水も重要と思っていなかったくらいで、脚本を読んだカメラマンに「今回は水がモチーフですから」と言われて「え、そうなの?」って。

大森・魚豊 (笑)。

酒井 そこで「あ、そうかも」というくらいの感覚で、わりとサラッと書いています。なので脚本のどこに何の意味があるかと聞かれると、いまだに答えられないところがありますね。僕の中では像を結んでないというか。

魚豊 不安なものというか、不気味感はもともと好きなんですか?

酒井 あ、不安は本当に好きで。

大森 いちばん怖いセリフですね(笑)。

酒井 大声で叫ぶよりも、小声で言っていることの方が聞きたくなるというか。恐怖はどちらかというとワッとやらなければいけないけど、不安は囁いているだけでいい。天邪鬼あまのじゃく的なところがあって、静かで、かつ何をやるわけでもないが、そこに何か感情が生まれるというのは映画として面白いんじゃないかという思いがあって、不安にこだわっているところはあります。

大森 さっきの「像を結びきっていない」というのが『カウンセラー』の面白さを担保しているポイントの一つだと思います。恐怖というのはある種のピークがあるもので、「こいつが呪っていたから、こいつが裏で糸を引いていたからああいう災厄が起こったんだ」という一つの像が結ばれた瞬間に頂点があると思うんですけど、不安にはピークがないんですよね。『カウンセラー』はどこがハイライトかと言われればよく分からないんだけど、だからこそずっと不安が張りつめている。終始観客が手に汗握ってしまうような状況は、像を結ばせない脚本の書き方から来ているのかな、と納得感がありました。

魚豊 確かに、宙づりがずっと続く居心地の悪さが自分の中に入ってくる感覚がありますよね。考えながら映画を見ちゃう時代というか、SNSとか考察文の流行もあって「これ何なんだろう?」と思いながら見ることが前提となっている世の中で、意味がずっと分からないという居心地の悪さ。

酒井 仰る通り、恐怖にはピークがある気がします。僕はホラー映画が苦手なんですけど、見ていて人が死んだ瞬間ほっとするんですよね。その直前まですごくドキドキしているんですけど、人が死んだら「ここからまた安心ゾーンがくるぞ」と(笑)。そういうアトラクション的な楽しみはすごくあると思うんですけど。

大森 『リング』も貞子が出てくるのか、という時が一番怖いけど、出てきた後はどうにかなる気がしちゃうというか(笑)。その緩急がホラー映画の一番難しいところですよね。傑作と言われているホラー映画も「後半が冗長だった」とか言われることが多いのは、多分それに起因しているんだろうなと思います。スパッと終わりづらいというか。

▼低予算と「不安」の相性の良さ/脚本と漫画の書き方

魚豊 不気味なものはこれからもずっと撮られていくんですか?

酒井 やってみたいジャンルはいろいろあるんですが、『カウンセラー』をやってみて、「これは低予算に向いているぞ」と思いました。なぜなら、突飛なものを映さないことが味だから。普段あるものを不気味に見せるということは、かなり安く済むんですよね。見せ方の文脈を工夫すれば、空の椅子を映すだけでもいい。ここから先どうなるか分からないし、お金があったらいろいろやりたいことはあるんですが、今はこの工夫の方に面白さを見出しています。その工夫こそが個性になっている可能性もあるので、案外お金を貰ったらつまらなくなるかもしれないんですが。

大森 「予算が増えたらこれはやりたい」というのはあるんですか?

酒井 爆発はやりたいですけどね。

大森 少年のような(笑)。

酒井 拳銃とかバカバカしいカーチェイスが好きなんですけど、安全対策とかいろいろ考えると低予算ではできないんですよね。

大森 低予算でそれをやると、命の危機とか事故の危険につながってしまいますからね。

魚豊 逆に予算がついたら謎に爆発させるというのもありますよね。『グランメゾン東京』の予告編で爆発が起こっていて、「『グランメゾン東京』で!?」と衝撃的でした。
 最終的に爆発させたくなるんでしょうね。『オッペンハイマー』とかも、頭が良すぎて国が全部金を出して爆発させてしまうというとんでもない欲望の話だから。

大森 『地面師たち』に出てくるテーブル一つで『カウンセラー』が十本作れるみたいな噂を聞くと、「富の分配……」という気持ちになってきちゃいますよね。

酒井 映画が他のメディアと大きく違うのは、お金がかかるということ自体だと思います。だからかえって低予算で面白いものを作るより、お金をかけてつまらないものを作る方が社会的には絶対正しいという気がするんです。なので、意味のない爆発はどんどんやったほうがいい。その労働に対してお金が分配されていくわけだから、無駄にはならないじゃないですか。

魚豊 その考え方は聞いたことなかったな。何をやってもよくなるから、どこまでもいけるいい理論ですね(笑)。

大森 イーロン・マスクとかが「そうなのよ」って言いそうな(笑)。

酒井 作った会社は回収できないから大変でしょうけどね。

魚豊 今のところはアイデアで戦う段階ということですね。

酒井 でも仮にこの方向性で評価されたとしたら、これが持ち味ということになるでしょうから、抜け出る術がなくなって爆発はできなくなってしまうんですよね。

大森 そういう脚本を書いたら「酒井さんの良さってこっちじゃなくないですか?」と周りが言うということも起こりえますね。

酒井 政治手腕みたいなものも求められるかもしれないので難しいんですが、いつかはやりたいです。

大森 低予算という条件と、不安を演出することの相性の良さということで言うと、『カウンセラー』では妖怪の使い方が印象的でした。妖怪の中でも「あかなめ」という一番なんでもない、「お風呂場にいてなんか掃除をしてくれている奴」という、ただそこにいるだけの存在をチョイスしているということが、かえってあの不安感を醸し出している感じがしました。これも脚本を書いている段階で「妖怪だ」と思ったんですか?

酒井 そうですね。極力バカバカしい入り口にしようとは思っていました。あと小説家の恒川光太郎さんの『異神千夜』(角川文庫)という時代ものの作品がありまして、見知らぬ男を家に泊めたら「ここに妖怪は来なかったか?」と言い始めるという冒頭なんです。「これだ」と(笑)。これを現代でやったらどうなるんだろう、という発想でした。

大森 あの人が言う「妖怪がいる」が荒唐無稽には見えないのがこの脚本の面白いところですね。

魚豊 今回のキャスティングはどういう風に選ばれたんですか?

酒井 カウンセラー役の鈴木睦海さんは映画美学校にいた頃からの知り合いでした。訪ねてくるクライアントの役は、オーディションというか、これは自主映画なのでシナリオができた段階でウェブ公開して「ご興味ある方、連絡ください」という告知をしたのと、なおかつクラウドファンディングをやる時に「可能性がある方、お声がけ頂けたら嬉しいです」という呼びかけをするというかなりずる賢いことをやりまして、それで西山真来さんが来てくださって、お話をしたら面白い方だったのでお願いしました。

大森 西山さんの表情が凄いなと改めて思いました。最初に見たのは二年くらい前なんですけど、今回久々にスクリーンで見て、「こんなにベロを出しているシーンは短かったのか」と思ったんですよね。僕の記憶の中では、あれがある種ハイライト的に記憶に残っていたんですが、実際の時間は1秒あるかないか。それだけ瞬間的に見せる力というか、カットバックの怖さと西山さんの身体性がはまった素晴らしいキャスティングだなと思いました。

魚豊 本当に全員、すごくいい嫌さですよね。

大森 栗林が坊主頭というのも、脚本の段階で考えていたんですか?

酒井 いや、当初は全然考えてなかったです。栗林と宮谷は最終的に一人二役になっているんですが、シナリオ段階では別のキャラでもいいのかなと思っていたくらいで。でもいろいろ考えて、人が一人増えるとそれだけスケジューリングも難しくなるし、栗林と宮谷は一人二役の方が、像は結ばないけれどもそこに何か意味が生まれてくる可能性があるぞと思って同じにしました。いわゆるイケイケなイケメンではなくて、「何か分からないけど怪しい、エロい」という人にしたくて、モデルの田中陸さんにお願いしました。

大森 そこが二役だったのが結果的にすごく効いている。カウンセラー側がなぜあんなに不安な気持ちになっていたのかが、宮谷が出てきた瞬間に分かるというか、「栗林の姿をこの人で想像していたからだったのか」という気持ちになるし、それが最後の「生まれたくない」という言葉にもつながってくる。あの一連は画としては地味ですけど、サスペンス的にも一気にクライマックスを形作っている感じがしました。
 脚本は順書きというか、結末まで全部決めずに書き進めるタイプですか?

酒井 もちろんプロットを決めて書くこともありますが、一長一短だなと思っています。『フィクショナル』もプロットで書いたんですが、そうすると一つの出来事からその後の出来事につながるように、流れをなぞるように書いていかざるを得ない。『カウンセラー』はプロットを書かずに、一気にシナリオにしているんですが、いい塩梅に「ここはよくわかんないけど、書いちゃえ」みたいな感じで進んでいける気がします。それもあって、自分でも像が結びきらないまま書けるという感じですね。

大森 魚豊さんはどういうふうに書かれるんですか?

魚豊 真逆ですね。まず最初に「これで何をしたいのか」「そもそもなんで僕が作らなきゃいけないのか」というコンセプトがあって、その上で物語はプロットを固めて、そこから枝葉末節をちゃんと作るというのが今のところの作り方です。
 今聞いていて思ったんですけど、筋を作らずに創作を進めていくことで不安になったりはしないんですか?

酒井 またお金の話になってしまうんですけど、低予算の場合、物語の柱を増やすと費用がすごく膨らむんですよ。シーンを切り替えたり日をまたいだりすると、機材もめちゃくちゃ多いし、その機材を車に積み込んで現場に行って降ろして、現場の飾りをして……とやっているとお金が倍じゃ利かなくなってくる。そうなると、とにかく一個のシーンに詰め込みまくるしかない。この縛りの中でやるほかないので、そういう意味では、筋はなくてもこの枠ありきで発想して作っているのかもしれないですね。

魚豊 予算から再帰的にというか、逆説的に物語ができていくというのはすごいですね。漫画ってマジで0円なので、考えたことがなかったです。

酒井 それってすごいことですよね。自由って恐ろしい。

魚豊 宇宙に行っても、急にドラゴンが出てきてもいいわけなので、だからこそ最初にコンセプトをしっかり決めるということなんだと思います。

大森 そう考えると漫画の言い訳のなさは怖いですね。映像だと「予算が……」とか「ちょっと俳優が……」とかあるかもしれないけど、面白くないところが全部作者の責任になってしまう。強心臓じゃないとできない仕事だなと改めて思いました。

魚豊 そうですね。でも漫画も漫画でどんどん話がめちゃくちゃになっていくという文化があって、敵キャラもインフレするし、結局「強くなってどうすんだ?」ということになっていくんです。やっぱり一人の人間の成長ドラマだと漫画では5巻が限界で、そこまでいくとやることがなくなっていくんですよ。『DEATH NOTE』とか『進撃の巨人』みたいにギミックが入ると無限に行けるんです。あとは『ウシジマくん』みたいに章を変えるとか。1000ページ以上使って物語れない物語って何? と思うし、その長さの中で人間が成長しないものを構想したとしても、面白く成立させるのはかなり難しい。

大森 出版社としても、続いていればいるほど勢いがあって売れるということだから、もう誰もそのレースから降りられなくなっているんでしょうね。

魚豊 しかも映画や小説と決定的に違うのは、漫画には「惰性で買う」という文化があるんです。4巻くらいまで面白かったから、ここ最近ずっと面白くないし読まないんだけど買うということが、この価格とボリュームだからできてしまう。

大森 「最近の『○○』、全然つまんないんだよ」とか言いながら買っている人はいますよね。

魚豊 そう。自分はそういうことをしないタイプだったんですけど、中学の時、友達が無限に買い続けている漫画があって「なんで買うの?」って訊いたら「分かんない、惰性で買ってるわ」って言ってて衝撃を受けたんですよね。こういうことを言われたら作家として終わりだなと思って背筋が伸びました。

大森 『カウンセラー』のお金のことについては、異常に細かく記録された日誌が受付で販売されています。

魚豊 めっちゃ面白いですね。まさに今話していたテーマにぴったりの。

酒井 クリエイティブじゃなくて、実務の面だけを書いてますね。買っていただいたら、僕ではなく僕の友人にお金が入ります(笑)。

大森 普通パンフレットに載っている出演者のインタビューとか監督が作品にこめた気持ちとかは本当にゼロで、さっき仰っていた撮影日程の節約の仕方とか、具体的なトラブルへの対応とかが書いてある。どう作ったかフェチの人にはたまらないと思うので、ぜひ買ってみてください。

酒井 よろしくお願いします。

大森 本日はありがとうございました。この後の『フィクショナル』もぜひご覧ください。

(完)

取材日:2024年11月17日(日)
於シモキタ-エキマエ-シネマ「K2」

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