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【連載】「いるものの呼吸」#8 散歩をすると

 幽霊、場所、まだ生まれていないもの――。目に見えない、声を持たないものたちの呼吸に耳を澄まし、その存在に目を凝らす。わたしたちの「外部」とともに生きるために。
『眠る虫』(2020年)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)など、特異な視点と表現による作品で注目を集める映画監督・金子由里奈さんの不定期連載エッセイ。
 第八回は、ある日の散歩の記録。気ままな歩調とことばに導かれて目と耳が風景に同期していく、映画のような一篇です。

***

 街にはあらゆる存在者がいる。家を出ると、今日も隣の家の木が煙草を吸っていていた。
 挨拶するけど返してもらえたことはない。多分、フルリモートなんだと思う。ほんとうにいつでも車の前でタバコを吸っている。家の中で吸えないのが少しかわいそうだ。
 木とすれ違ったあとは、波打つ坂道がやってきて、傾斜に負けないようにつま先は意気込む。ゴミはまだ回収されていない。この駐車場の管理されていない植物たちは終わりという言葉をきっと知らなくて、揺れる葉っぱだけを見たら200年前。最初の信号。3畳の家たちが時速40キロで走っている。今日は晴れている。
 この付近ではよく拾われた落とし物を発見する。雨風凌ぐ電線のふもとのお家に、マスコットが2ヶ月くらい住んでいたこともある。 視線が細やかな人がいるのかな。最近知ったんだけど、この付近には幼稚園のバス乗り場があるんだよね。子供は視界から存在者たちを淘汰しないことで有名だから、もしかしたら彼らが拾っているのかもしれないね。どうなの? 落とし物の記憶を聞いてみる。いいえ、わたしを拾ったのは幽霊です。景色はみられることで初めて景色になり、だれにも歩かれない道は清々しい呼吸をする。 
 映画を見た。『エドワード・サイード OUT OF PLACE』。エドワード・サイード自身の不在が至る所にいる映画。映画は拘束されていて散歩に流れる時間とは程遠い。散歩しながら映画が見れたらいいのに。それはもう、映画ではなくて散歩か。
 今日はえりがバーに立つ日。映画終わりに行こうと思ってたけど、2時間後に着くって連絡があった。2時間か。うん、散歩をしよう! 散歩は常にわたしの体の中にいて、わたしがふと思い出すとすぐに姿をしてくれる。よ!散歩、朝ぶりだね。
 駐車場から出ようとしている車が、見覚えある佐田さんのワンピースのちょっとくすんだオレンジ。オサジのオレンジ色のネイルが欲しい。犬が二匹と人間が寄り添って歩いているのが、旅行先の夜の路地で遠くに見えた3人組の背中に似ている。自転車が近づいてくる。
「嘘つけ!」
「ほまちゃんのちっちゃい版のひと」
「は?」
 子供たちの声は跳ね、今日が日曜の夕方だったことを知らせる。こんなところにお菓子屋さんがあったんだ。看板犬や看板猫の他に、さいきん注目を浴びているのはかんばんもく。看板木のオリーブが凛としているから思わずお店に入ってしまう。小さいクッキーを買った。今度、ティータイムに食べよう。
 へえ、すごい名前のマンション。Buddhismだって。住んでる人はみんな縁起のネットワークの中なのかな。お経がどの部屋からも聞こえてきたりして。面白いな、住んでみたい。動きたくてうずうずしちゃうから苦手な瞑想もこのマンションでなら できるかも。えっと、よくみたら、beillissimoだった。イタリア語で『最高に美しい・最高に綺麗』の意味だって。マンションの名前ってヘンテコなの多いよね。DREAMS COME TRUEとか。
「すみませーん、これ無料で配っているのでどうぞ〜バイブルでーす」
 急に人に話しかけられて4分休符のため息。「どうぞ、これ」本を差し出される。表紙に「神」の文字。あ、いいです。何がバイブルになるかは自分で決めますので。そそくさそそくさ去るその人は、また別の人たちのところへ話しかける。無料で配っているのでどうぞ〜バイブルでーす。ところで、わたしのバイブルってなんだろう。個々人が人生を送る上での指針や道しるべとなるもの、バイブル。そんなん、散歩じゃん。散歩していたら全てがわかる。でも、電車に乗ると瞬時に忘れる。
 終わり間際の美容院はやっと仲良くなれそうな雰囲気を出し始めて、きっと常連さんが美容師さんと笑ってる。タオルターバンでおでこが出てにこにこ。わたしもそろそろ髪を切りたいなあ。
 杖を散歩させる老人。わたしはわたしを散歩させる。少し前までは、心が体を散歩させてるもんだと思ってたけど、逆だって気づいてきた。 ちょっと前を歩く人が道を譲ってくれたけど、ありがとうとは言えない距離。瓜二つの犬と飼い主を集めた図鑑が欲しい。スズメが飛んだ。ポピーが咲いている。クチナシはこれからだ。「歩く楽しさいつまでも」次第に暗くなっていく空。ループ二台通過。夏休みの朝顔植えてた植木鉢、わたしが小学生の頃から何も変わらない姿形。ひとりでめちゃくちゃ笑ってる大荷物のスーツの人。ひとりでめちゃくちゃ笑ってる人とすれ違うと得した気分になって、心のスタンプカードを貯める。溜まったところで特に何もない。明るく死にたいと今日も思う。
 電信柱のグラフィティー 。垂れたペンキ。STOP GAZA GENOCIDE。すれ違うひとがわたしに向かって怒っている?と、おもったら、その人はただ歌ってるだけでした。こっちはループ、そっちでは光るタイヤのキックボードを漕ぎながら泣き叫んでいる少年。ヤマト運輸のでかいチャリ。蛍光のTシャツが走る。人も音も植物も、どこからから誰かが投げ込んでくる石のような偶発性。ピンクのヘルメットをしたくねくねするスケボー乗ってるこども。あれの名前、昔気になって調べたんだよね。リップヴァンウィンクルじゃなくてリップスティックデラックス。電車が通る。きのう、世田谷線で白猫の電車をまったけどいっこうにこなかったね。1時間待ったね。植物が誰かが食べたサラダせんべいを受け止めている。
「主旋律の方がいい?」
「どっちでもいいよ」
 今度は制服を着た学生たちが歌を歌っている。写真一枚思い出一生。落ちたロックアイスの袋。張り付いた氷。
「皮剥き事件」
「ほまちゃんのでかいバージョン」
 !? さっきの二人組かな。また、ほまちゃんの話をしている。室外機を携えたでかい車。通称アルファード。おしっこしてる犬を待つ時の飼い主の遠い目を目撃してしまったとき、17時のチャイムが鳴る。
 こんなところにメダカたち。重たい鞄を持ち直すひと。「こうやって乗る人いるじゃん」ってジャンプして真似してくれるあなた。重ねられた植木鉢。そこに植物の幽霊を見る。
 秋の虫。秋の虫とは何か知らないのに秋の虫と認識してるわたし。
 そろそろ線路渡ろうかな。なんとなく。誰にも誘導されないこの歩みだけが信頼できる。また犬だ。犬と会えるから散歩はいいね。チャチャチャチャチャチャ。この音を聞くためにコンクリートは発明されたのか。 ピザハットの換気扇が恐ろしい音をあげている。お香の匂い。細い犬。あ、これはこゆきさんの柔軟剤の匂いだ。とびだしぼうや、今日もご苦労さん。坂でも登るか。行きたいと思ってマップピンを刺してるカフェが閉店したところにジャズドラムのリズム。窓の反射にわたしが映る。わたしは静かな街になる。バケツがひっくり返って置かれている。その上に小石。選挙ポスター。選挙ポスターのなかだけはなぜかいつも気合い十分なんだけどな。
 竹に隠された豪邸の気配 、バレているよ。水色の小さいカバンを閉じながらマンションを出てきたひと。植木鉢に置かれた透き通る貝殻たち。本当は今頃海の音を聞いているはずだったのに。でも車の音も波の音と似ているよ。ふとみた、アパートの規則正しく並ぶガスメーターの中に、中学の音楽祭でアルトを歌うわたしがいた。蚊が多い。2リットルペットボトル。2リットルペットボトル。誰も住んでなさそうな家に二つの大きな岩。猛犬に注意の文字。彼岸花。白いジョウロ。青いキャップの手にはポカリ。カバーをかけられた消化器。大きな犬二匹。座るところのない椅子の骨。今度は植物じゃなくて酒瓶がたくさん植えられてる早い時間から空いているおしゃれな居酒屋。飲んで吐いてかないでください。困ってます。ガレージが切実に訴えている。「サッカーの試合だったの。負けちゃったけど」道を譲らない固い意志がある人もいる。
 これはなんの実だろ。梅かな。
 そうこうしているうちに夜になり、パソコンの重さが肩にのしかかり、体は疲れている。
 お酒でも飲んで帰ろう。考えることと見ることを同じにするために散歩をするのだ。予感をしたがえてただ歩く。散歩をすると全てがわかってくる。ただ、歩く。一人称が持続する。

***

著者:金子由里奈(かねこ・ゆりな)
東京都出身。立命館大学映像学部在学中に映画制作を開始。山戶結希 企画・プロデュース『21 世紀の女の子』(2018年)公募枠に約200名の中から選出され、伊藤沙莉を主演に迎えて『projection』を監督。また、自主映画『散歩する植物』(2019年)が PFF アワード 2019に入選し、ドイツ・ニッポンコネクション、ソウル国際女性映画祭、香港フレッシュ・ウェーブ短編映画祭でも上映される。初⻑編作品『眠る虫』(2020年)は、MOOSIC LAB2019においてグランプリに輝き、自主配給ながら各地での劇場公開を果たした。初商業作品『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023年)は、大阪アジアン映画祭、上海国際映画祭で上映されるほか、第15回TAMA映画賞最優秀新進監督賞を受賞した。

写真:著者
バナーデザイン:森敬太(合同会社 飛ぶ教室)

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