いがらしみきお著『IMONを創る』復刊
石原書房の石原です。
この度、いがらしみきお著『IMONを創る』という本を復刊します。
1992年にアスキー(現・角川アスキー総研)から初版が刊行されて以来長らく絶版となっていたこの本を、なぜ30年も経った今、復刊することになったのか。その経緯は小社の創立にも関わることなので、書いて残しておきたいと思います。
1.乗代雄介さんのブログ『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』のこと
2016年の夏か秋のことだったと思います。私は作家・乗代雄介さんのブログ『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を、新卒で就職した工作機械メーカーの、社員寮の狭い部屋で読み耽っていました。「去年の群像新人賞を獲った人なんだ」と何気なくTwitterのプロフィールのリンクに飛んでみたところがそのブログで、まず「ワインディング・ノート」と題されて通し番号が振られたエッセイらしきものが目に入り、その下に「石坂浩二さんがくれたドラゴン」というタイトルの記事がありました。読んでみると、それは文字通り、なぜかあの石坂浩二さんからドラゴン(ブルガリア生まれ)を譲り受けた芸人と思しき男を語り手とする小説でした。彼はその大きな生き物を部屋のベランダに住まわせて持て余しており(石坂浩二さんから毎週エサの烏骨鶏が送られてくるのでご飯の面倒だけは見ている)、ドラゴンの方も全く心を開かず、現飼い主には鋼色の鱗に覆われた背中しか見せないで、時折石坂浩二さんの家の方角を見つめて寂しそうに鳴いている。
これを読んで、「あ」と思いました。わずか二千字足らずの掌篇小説なのですが、付き合い方が分からないのに偶然一緒にいることになってしまった者の間に流れる気まずさや、賢い動物と人間との関係だけに潜在する特別な哀しみのようなものをこれほどくっきりとフィクションから感じたことはそれまでにありませんでした。
何より、「石坂浩二さんがくれたドラゴン」って、と思いました。活字だけの表現で声が出るほど笑えるものは、私のごく狭い読書歴の中でほとんどなかったのですが、その明らかにふざけているのに真顔の設定にも、そこに書き込まれているディテールの数々にも、笑わされていたのです。私が「あ」と思ったのは、読みながら「アハハ」と自分が笑っていることに気づいた驚きでもあり、まだ見ぬ何かがここにはある、と直観してのことだったかもしれません。
その「あ」から始まってアーカイブをさかのぼり、2000年代初頭から『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』に積み上げられてきた夥しい数の文章を読んでいきました。どれを読んでも、笑いと驚きの両方が、もしくはそのどちらかが必ずありました。時には本当に息が出来なくなるほど大笑いさせられながらも、こういうものがこういう膨大な量、長い年月にわたって書き続けられてきたというのはどういうことなんだろうか、と考え込まざるを得ませんでした。
そこで、最初にこのブログにアクセスした時に見た「ワインディング・ノート」を読んでみようと思いました。このブログの異常な質と量の文章がどこからどのように生み出されてきたのかが、そこに書いてあるような気がしたのです。
2014年12月から翌15年9月まで書き継がれたこのエッセイでは、乗代さんが十年近く書き溜めてきた引用ノートから古今東西の先人たちの文章を引きつつ、読むことと書くこと、そしてそれを宿命として持つ人間として生きることについての思考が展開されていくのですが、その中でも最も多くの分量が引用され、他の記事とは明らかに違う熱量で論じられている奇妙なタイトルの本がありました。いがらしみきお著『IMONを創る』という本でした。
2.『IMONを創る』との遭遇
この本について書かれているのは、「ワインディング・ノート22(カツマタくん・いがらしみきお・『IMONを創る』)」から「27(こだまさん・吉田健一・坂口安吾)」までの全六回。冒頭、ポテチ光秀さんの漫画「カツマタくん」を呼び水にして、『IMONを創る』の来歴とタイトルの「IMON」とは何かが簡潔に語られます。
「人間が導入すべきOS」とは何か。パソコンでいうOS=オペレーティング・システムは、ハードウェアとソフトウェアの間の情報の交通をコントロールし、デバイス上での操作を実現するためのものです。ならば人間にとってのOSとは、我々が(頭脳を含む)肉体で思考と行動を具体的に実行する時、それを可能にし、方向づけているものと言えそうです。それはある人が生まれてから現時点まで蓄積されてきた記憶や、それとともに培われてきた倫理や価値観のようなものでしょうか。どうやらそうではなく、あの『ぼのぼの』の作者でもあるこの本の著者は、それらよりもさらに人間という存在の核心に近いところにある「自我そのものの在り方」のようなもののことを「OS」と呼んでいるらしい。そして各人固有の倫理や記憶等ではなく、互換性(普遍性)のあるOS「IMON」を提唱しており、しかもそれは「いつでも・もっと・おもしろく・ないとなァ」の頭文字をとったものだという。そして乗代さんは、この本の大部分を筆写するほど熱読した結果、「人をいっさい気にすることなく具合よく生きられるようにな」った。
続いて、このIMONには、三原則なるものがあるといいます。すなわち、
①リアルタイム
②マルチタスク
③(笑)
の三つ。ここから乗代さんは『IMONを創る』本文を長めに引用しつつ、その思想とアイデアの核心である上の三原則についての解説を展開していくのですが、やがてその解説の部分は完全に消え失せ、ついに長大な引用が、まるまる一つの回を埋め尽くしてしまいます(「26(『IMONを創る』・いがらしみきお・(笑)」)。
「ワインディング・ノート22~27」に引用されている『IMONを創る』本文の文字数をカウントしてみたところ、12729文字ありました。当然ながら、これを乗代さんは全て手打ちで入力したということです。
私はそこまで読み進んで、当時まだ古書価が高騰していなかった『IMONを創る』を注文しました(2800円くらいだったと思います)。
この本に「人間として現実を生きる上では、最も強く影響を受けた」という乗代さんの、実に丁寧にかみ砕かれ、的確に整理された解説を読んで強く興味を惹かれたのはもちろんです。しかしそれ以上に、その本を読み、文章で他者にその内容を伝えようと試みると、上のような文字数を引き写さざるを得なくなってしまうような力を持つテキストへの、怖いもの見たさのような気持ちでもありました。
3.つまり、どういう本なのか
ここで大掴みに、『IMONを創る』という本の概要を書いておきたいと思います。
『IMONを創る』は1989年から91年にかけてアスキー(現・角川アスキー総研)のパソコン情報誌『EYE・COM』に連載された、漫画家・いがらしみきおによる長篇エッセイです。
当時話題となっていたOS構築の入門書『TRONを創る』(坂村健著)をもじったタイトルを持つこの連載のコンセプトは、日本語によく似たプログラミング言語によって、人間のためのOSである「IMON」(=いつでも・もっと・おもしろく・ないとなァ)を構築し、それを読者へインストールする試みというものでした。
そして、まだそれが「パソ通」と呼ばれていた時代に、いち早くインターネット通信とパソコンを生活に導入していた著者が、来たるネット社会・SNS社会を予見し、「インターネットの爆発的普及によって、人間の生きる感覚や表現活動、そしてその社会的意味の変化が急速に進む世界で、我々はこのテクノロジーとどう付き合っていくべきなのか、どう生きていくべきなのか」を記述した、人類とその文明についてのいがらしみきおの総論であり試論とも言うべきものがこの本というわけです。
そこでキーワードとして登場するのが、先ほどの「リアルタイム」、「マルチタスク」、「(笑)」の三要素なのですが、それらを根幹とするIMONをインストールするために、人間はビッブ(『IMONを創る』におけるコンピューターの呼称。「ビットブレイン」の略)から学ばなければならないと30年と少し前のいがらしみきおは言います。
そして、「生き物とはまるごと〝記憶〟である」という、その後の作品でも展開されることになる主張に始まり、ROM(リード・オンリー・メモリー。書き換えがきかず読み込みしかできないメモリー)やRAM(ランダム・アクセス・メモリー。書き換えも読み出しもできるメモリー)といった記憶の在り方を経由して、まるで人間の世界のすべてを説明しようとでもしているかのように次々と本質的なテーマが展開されていきます。
この本のこうした迫力については、今回の復刊にあたりコメントを寄せて下さった品田遊さんがブログで書かれていた以下の文章がよく伝えてくれていると思います。
ここに書かれている通り、当時のいがらしさんは「じゃあどうすればいいのか」まで『IMONを創る』の中で書いています。しかしこの連載が単行本化された1992年の、パソコンもインターネットにも親しみのない人が大多数だった状況では、ほとんどの人がここに書かれていることをリアルには受け取らなかったのではないかと思います。
初版刊行後まもなく『IMONを創る』は絶版となり、この本への言及を含めて、長らくその存在は忘れ去られていました。今は閲覧できないいくつかのウェブ上の記事と、『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を除いては。
4.『IMONを創る』を読んでから
日記をさかのぼってみたところ、2017年2月の頭に『IMONを創る』初読の記述がありました。引用してみます。
このぼんやりした書きぶりからも分かる通り、一回読んだだけではよく分からなかったと見えて、この後も行きつ戻りつしながら読み返していた形跡があります。
やがて少しずつ、この本に書かれていることが分かりかけてきたような気がしてきました。そして確かに、『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』のような、膨大な物量と突き抜けた質を具有する、にわかにはその実在が信じがたい圧倒的なものというのは、こういうOSが搭載されている人間によって実現されるものに違いない、と思われてきたのです。
思わず仰ぎ見てしまうようなものと、それをこの世にあらしめた志の北極星となったものに鉢合わせてしまった私は、恥ずかしげもなく言ってしまえば「自分もこのように生きたい」と思いました。
それから半年後の2017年8月、私は出版社の国書刊行会に履歴書を送っていました。その少し前に島田潤一郎さんの『あしたから出版社』(晶文社/ちくま文庫)という本を読んで、いつか自分も出版社をやってみようと決めたところに、国書の新卒採用の情報がTwitterのタイムラインに流れてきたのです。
それまでの自分であれば見送っていたかもしれませんが、「リアルタイム」であり「マルチタスク」でありRAMであり続けることを説く『IMONを創る』を読んでしまった私は、とにかく応募してみることにしました。不思議なものでとんとん拍子に採用が決まり、翌年2月からこの版元で働くことになりました。
2年後の2020年の7月、書籍編集者としての最初の仕事である乗代雄介著『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』が刊行されました。「自分が本を作るなら、是非ともこれを」と入社前から思っていたものを、思い描いていた座組と形でいきなり本にすることができてしまって、私は正直うろたえていました。
しかしこれも、書籍版にも収録した「ワインディング・ノート」と『IMONを創る』を読んだあとの私が具体的な思考と行動を積み重ねた結果であることを思うと、変な言い方ですが「そりゃこうなるか」というような気もしていました。
『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』が書店に並び始めた7月の23日(木)のことでした。最寄り駅の古本屋で本を買い、公園の脇の道を歩いていると、一本のメールが入りました。通知のバナーには、「いがらしみきおです」の文字。すぐさまメールを開いてその場で一度読んだのですがまったく頭に入らず、目の前のサイゼリヤに飛び込んで一旦腰を下ろし、ドリンクバーでコーヒーを注いできて呼吸と動悸を落ち着けてから改めてゆっくり読みました。
そこには、『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』献本への御礼と、「『IMONを創る』をここまで読み込んでいる人がいるとは思わず、感激しました」との旨が書かれていました。震える指で乗代さんにメールを転送し、いがらしさんへ返信を送ると、私はしばらくそのままぼんやりしていました。こういうことも起こるのが、世界であって人生なのかと思いました(この時のことは、乗代さんが週刊はてなブログに寄稿されたエッセイにも詳しく書かれています)。
それまでにも漠然と考えていたことではありましたが、ここに来て私は『IMONを創る』復刊の企画書を書き始めました。
それからさらに二年が経った2022年末のこと、私はようやく『IMONを創る』復刊の企画を通すことができました。いがらしさんからのメールを受け取って以来企画書を出し続け、何度目かの正直でした。ちょうど重量級の企画『BAKA IS NOT DEAD!! イノマーGAN日記2018‐2019』(イノマー著、ヒロ編)が形になり、同年2月に刊行された『奇奇怪怪明解事典』(TaiTan、玉置周啓著)の続篇制作もそろそろ本格始動というタイミング。来年も頑張ろうと思っていたところで、新年明けてすぐ上長に呼び出されました。編集部から他部署への異動辞令の通達でした。
かなりの怖さはありながらも、ここで私は独立と創業を選択しました。辞令を受けて他部署で働き、抱えていた企画を手放すことも、社外の編集者として企画を担当することも、採るべき道としてしっくりこなかったのです。
その決断から9ヶ月が経った今、私はやはりそれで良かったのだと思っています。このことを実感できたのは、8月に『奇奇怪怪明解事典』続篇の『奇奇怪怪』が創業一作目として完成した時のことでした。既存の出版社を版元にしてはできないような方法でこの本を形にすることができたのも、自分で何をやるか・何をやらないかを決められる方を選んだからでした。
そして、そうでない選択肢を「しっくりこない」と思えたのは、やはり私が『IMONを創る』を読んでいたからだったと思います。
7年前、初めて『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』を読んだ時の「あ」に始まって、『IMONを創る』を読んでから今に至るまでのことをこうして振り返ってみると、改めて自分の人生にここまで大きな影響を及ぼした本だったのかと驚いてしまいます。そういう本を復刊し、再び流通させようとしているということも、今更とんでもないことのように思えてきました。
しかしこの本が多くの人に読まれ、その人たちがIMONを搭載した身体で世界を見、自分の生活を具体的に始めた時、世の中は少しずつ、いつでも・もっと・おもしろいものになっていくのではないかと思います。少なくとも私の生活は、あの日実家の炬燵にあたりながら『IMONを創る』の最後のページを読み終えた時以来、(もちろん普通に落ち込んだり風邪をひいたりはするのですが)いつでも・もっと・おもしろいものであり続けています。
5.私たちがこの本を読む準備がようやく整った
今回編集作業を進めながら、そして装い新たに完成した『IMONを創る』を手にとって実感されたのは、「やはり今この時に蘇るべき本だったのだ」ということでした。
全世界的なパーソナル・コンピューティングが一人一台スマートフォンを持つ社会という形で実現し、そのネットワーキングがインターネットとSNSによって当たり前のものとなり、隆盛するAI産業が人間という存在とその表現活動を劇的に相対化する2020年代に至って初めて、私たちが『IMONを創る』を読む下準備が整ったのだと言えます。『IMONを創る』が予言した世界像が現実のものとなり、30年前に提唱された「じゃあどうすればいいのか」を我々がリアリティをもって考えられる条件が、ようやく出そろったのです。
そこに何が書かれているのか、そしてこの本を読んだ後に世界がどのように見えるのか、ぜひ確かめてみてください。
(完)
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6.各氏推薦コメント
品田遊氏(作家)
樋口恭介氏(SF作家)
山本直樹氏(漫画家)