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「理性」の成長が幸せに生きるカギ

いろいろな考え方があることは理解はしていますけど、

個人としては「なんでだろうか?」と思うことも多いのです。

特に世の中の流れは個人の力ではどうすることもできないことばかりで、

やはり個人としては残念に思うし、

今後どんなことになっていくのだろうか?

なんて、心配になることもいっぱいです。

高学歴の方々が一生懸命に考えて、検討し、決まっていくことなので、

私のように「ふつうの人」には分からない理由?があるのでしょうけど、

「ふつうじゃないよね」と、「ふつうの人」代表の私はつぶやくわけです。

人が考えて導きだしていくことを思えば、その「人」の心がどうなのかが大切だと思うのです。

要は

「人の幸せとは?」という目指すところ。

その感覚がベースで導き出される方法なので、本人とすれば「よい」と当たり前に思ってそうしていることなので、どうでもそれを推し進めるのだろうな、と。

その結果って、その人の「幸せ」の形になるわけですよ。

みーんなが「いいね!」なら良いのですが。

せめて、世の中のリーダー的立場の人たちは、心のバランス感覚が良い人であってほしいと願う私なのです。

人の言動は「心」次第です。

心で思ったこと感じたこと気付いたことを言葉にしたり行ったりしていますから。

ですから、幸せな生き方は「幸せな心」次第ということになります。

私たち人間も動物です。

「人間らしく」と努力していないときは、動物という訳です。

なので、

「理性」が幸せに生きるかじ取りの役目です。

感覚は習慣なので、反復練習のように学習しないと身に付きません。

身に付かないと、やはり、本能的な生き方になるのは自然でしょう。

本能は我欲です。

良い悪いということではなく、自己中心的という内容です。

止められなくなるわけです。

本能を抑えて理性を繰り返し学習できるのは、日本なら高校生までかもしれません。

それを超えると、フリーとなり、よほど自分を律して生きないと理性は磨かれにくくなると思うのです。

今からできることって?

自己表現に誠を込め心を行き届かせて生きる努力です。

人生は、その努力あるのみということです。

そして、その自己実現の喜びが、

人の幸せであり、

関わる世界の平和を実現していく幸せな生き方なのです。

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