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「何事もありませんように」は叶う?

関西人の私ですけど、ご縁があって今は宮崎にいます。

来て初めて知ったのですけど、

宮崎県は「神の国」だそうです。

いろいろな意味が含まれているのだそうですけどね。

お仕事で高千穂にもしょっちゅう行きますけど、

「神々の郷(さと)」って看板があちこちにありますよ。

私が住んでいる延岡市にも、お祈りするところがいっぱいです。

ある意味すごい県ですよね。

観光がてら、いろいろな神社に参拝しました。

皆さん、手を合わせてお祈りをしています。

「何を祈っておられるのかなぁ?」

なんて、思う私です。

たくさんの神様がおられる宮崎。

どうぞ、お越しくださいませ!(笑)

ところで、

世界中の人の平均的な幸せ感は

「心が悩まない状態」

らしいです。

要は

「自分を変えずに、周囲が自分に合わせて変わってくれる状態」

ですかね。

よくある願いごとで

「何事もありませんように」

というのがありますよね。

そんなお祈りをされる方は結構多いのかもしれません。

それって要するに、

自分の心が悩まされるようなことが無く、

自分の在り方を変えずに生きられることを希望している訳です。

「世界」が「自分に合わせてくれる」

って。

そんな都合の良いことって

あるのでしょうか?

私は無いと思うのですよ。

無いですよね?

まぁ、あったらうれしいですが、

無いでしょうね。

一日って、うれしいとか楽しいこともあるし、

そうでもないこともある訳です。

考えてみれば、

自分から「合わせていく」ことの方が多いのでは?

そのたびに、

「えー、なんでー、いやだー」

と、楽しくない思いになって不足を思い、

果ては

心が悩む生き方になっているのかもしれませんよね。

特別なことが無くても何となく楽しくない積み重ねで生きていて、

幸せな人生の展開があるのかなぁ?

そして、

たまたまお祈りするような場に行くと

思い出して、

「何事もありませんように」

と、手を合わせてつぶやいているのかなぁ、なんてね。

だから

「祈ったって変わらない」っておっしゃる人も多いのかもしれませんね。

なるほど。

どうせ「お祈りする」のなら、

「誠を込め心を行き届かせて生きますから神様よろしくお願いいたします」

と、

謙虚な心で、

目の前の「今」にお祈りしてから関わることが良いかなぁと思う訳です。

大真面目にそうやってみたら誰でも実感することですけど、

しみじみと決意と覚悟ができて、

「世界に合わせていこう!」って、

実行する意欲まで湧いてくるものですよ。

不思議ですけど本当です。

お祈りの効果?ですね。

まぁ、

そもそも「人の幸せとは?」ということです。

「世界」に喜んで合わせていく芸術生活が

人の幸せなんだと私は思うのですよ。

そこへのあこがれの気持ちを「祈る」形にする大切さ。

祈るからこそ合わせられるように成長していき、

だからこそ、

叶うんですよ。

人生は芸術である、楽しかるべきである。

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