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僕の中の3.11 あの日を基準に。

日本中を恐怖のどん底に突き落としたあの東日本大震災。

あれから9年。当時社会人1年目だった僕は柔道整復師免許を取得し埼玉県熊谷市にある接骨院に就職していた。その時は深谷市にある分院に配属され暫くたった頃だった。当時は大したモチベーションもなくどちらかといえば専門学校を辞めて教員を目指したかった。

その理由はまた次の機会に。

免許取っちゃったしとりあえず就職するかと思って勤めた接骨院。ここでの経験がなければ石垣島にはいなかっただろう。

14時46分。埼玉では午後の診療が始まってしばらくしたくらいの時間、14時50分くらいだったと思う。

突然、大きく揺れた。

ただ事ではない揺れにスタッフ、患者さんは屋外に避難。電柱は今までない揺れ方をしていた。あの日首都圏では電車がストップして帰宅難民があふれていた。

僕自身はそれを同僚の実家で一緒に食事をしながらTVで見ていた。あわせて放送されていた映像に目を疑った。あの福島の津波の映像だった。

大変失礼な話で恥ずかしいが、当時は

「東北の方は大変だな。」くらいしか思っていなかった。

目の前に当時の自分がいたら確実にぶん殴っている。あの日以降、報道されていた内容はとてつもなく衝撃的な内容で被害の全容が明らかになるにつれて事の重大さを知る事になる。自分の浅はかさと危機感のなさを知った。

そして毎年この日は黙祷を捧げる日になった。

今年で9年目。被災された方と亡くなられた方へ想いを馳せるとともに、

「今、自分は全力で生きているか?今自分は何ができるのか?」と自問自答する日にもなった。

1年目と2年目では対して変化はなかったが、3年、4年と歳を重ねるうちに変化が出てきた。一番は子どもができた5年目。親の立場になってみるあの震災は見え方が全然違った。

自分があの場にいたら子どもを守れるだろうか?もし子どもを失ってしまったら自分は生きていけるだろうか?自分はしっかり立っていられるだろうか?

歳を重ねるごとに見方が変わっていく。

そして9年目。

命の尊さ。自然の恐ろしさ。自然に対しての人間の弱さを更に強く考えるようになった。

子どもたちの成長を見ることで命の尊さを改めて認識した。

石垣島に移住した事で自然の偉大さを知った。

毎週行っている街クリーンで地球の見方が変わった。

人間の身勝手さで自然が壊れている事を身近で感じた。

まさか去年までの自分では移住の事は考えていたけど、こんな事考えているとは想像すらしていなかった。

来年の今日はどういう想いを持っているのだろう。だから僕はあの日のことを忘れない。

今この時はどうだろうか。

今日本はコロナウイルスで未曽有の大混乱の中にいる。

メディアの視聴率稼ぎのニュースに踊らされ、マスクは品薄で転売屋さんはせっせと日銭を稼ぎ、デマ情報でなくても生活できるトイレットペーパーは買い占められ品切れになった。子どもは学校を休み子育て世帯は困惑している。モラルのないおっさんはコロナを持って飲み屋を歩き回っている。経済は消費税増税直後より輪をかけて落ち込み、停滞どころか淀み始めている。偉い人たちは安全なところから、ここぞとばかりにお互いの足の引っ張り合いでポイントを奪い合いさぞ有意義な時間だろう。

でもちょっと待ってほしい。被災地以外で生活していた人々は、あの震災から何も学ばなかったのか?

少しでも考えなかったのか。経験を活かさないのか。

先が見えない。どうなるかわからない。どうすればいいかわからない。こんな時だからこそ、みんなで支えていかなければいけないのではないのだろうか。

そして僕たちが住むこの大地や海だってもう悲鳴を上げている。地球温暖化の影響で海水温は上昇し、その熱で台風は年々巨大化し今年は関東を直撃。因みに本土では天気図くらいしか出ずサラッと流されているが、石垣島を含めた離島はこの脅威に毎年脅かされている。

生活排水や産業排水で水は汚れ、さらには大量のゴミで生き物の生態系は崩れ漁などで表面化してきている。このままあと何年かすれば顕著に変化が表れる。

そろそろ人として、人間として生き方や存在の在り方をひとりひとりが見つめ直す必要があるのではないだろうか。

こんな偉そうなことを言っている僕自身、まだまだ未熟で日々考え模索している日々を送っています。ですがあの日の僕を基準に自分も環境も変化しているし、こらからも変わっていくと思います。

これからの事を今考えよう。

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