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あなたがそのnoteを書けているのは、タイピング(フリック入力)を意識してやってないから。

2021/2/5(36/365)

昨日モノポリーというボードゲームをした。

資本主義の縮図みたいなゲームだ。

こんな版を使う。

やればやるほど、単なるボードゲーム以上に深いので興味ある方は是非やってみてほしい。

 

で、今日言いたいのはゲーム内容とかについてではない。

上の画像のように4辺に10マスずつあって、2つのサイコロを振った目の合計分進む。

そこで踏んだマスに意味があったり、他のカードが出てきてあれやこれやと交渉だったりが繰り広げられる。

とにかく考えることが多く、頭をフル回転させなければならない。

だから、余計なところに頭を使いたくない。

でも、僕はそもそもサイコロ振った目の分進むということに労力を使っていた。

1ずつ数えて、1.2.3...というみたいに。

12の目が出た時なんかは、あれ?ここで12だっけ?合ってる?みたいな感じで2度手間だったりした。

それが、やっていくうちにコツを掴んできて、「7、はいここ」「12、ここね」という風に、わざわざ数えなくても次のマスがわかるようになってきた。

そうすると、その数えるという事に頭を使わなくていいので、他の事に思考を割ける。

無意識化された事によって、頭の余白ができたのだ。

 

歯磨きしながら考え事なんてほとんどの人ができるだろうが、「上の歯を磨いて、次は下の歯、この位の幅で手を動かして」なんて考えながら磨いてたら、考え事なんて出来やしない。

食事も、「まず箸を人差し指と中指で持って、お米の次はこれ食べて、◯回噛んで〜」なんて考えながらだったら、会話すらもできないだろう。

車の教習中は教官の言う事を聞くので精一杯かそれすらも耳に入らないけど、免許をとって1年もしてしまえばしりとりしながらでも運転できる。

 

人は皆、量をこなし慣れることで意識してやっていたものが無意識に出来るようになり、余裕がもたらされ、出来る事の幅が広がる。

 

「量より質」なんて言われるように質ももちろん大事だが、とりあえず量をこなす事で広がる世界もあると思うので、一概にどちらがいいという訳ではないと思う。

少なからず量も大事だ。

こんな事を、ボードゲームによって感じた。

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